8月29日
8月29日、いよいよ明日、この秋平を離れる。冬休みに戻れるかわからないけど、戻れると信じよう。そしてあと3日で新学期だ。新学期を元気よく迎えられる準備はできた。後はシゲとの最後の思い出作りに全てを尽くそう。
和夫は縁側で空を見上げている。今日も快晴だ。こんな空を見られるのも今日と明日。この青空を心にしっかりと目にとどめておこう。
「あともうちょっとで帰っちゃうんだな」
和夫は振り向いた。そこにはシゲがいる。シゲも寂しそうな表情だ。もう会えないかもしれない。あと少しで入院生活に入るかもしれない。
「名残惜しいよ」
と、そこに智也がやって来た。智也も寂しそうな表情だ。
「今日で帰らなければ」
昨日は優太が帰ったが、今日は智也が帰らなければならない。残念だが、これは母との約束だ。
「智也くんも帰っちゃうんだね」
「うん」
和夫も寂しそうだ。せっかくいい思い出ができたのに。
「じゃあね、来月にまた会おうな」
和夫は智也に握手をした。まさか、握手をしてもらえるとは。かつていじめていたのに。智也は驚いた。
「ああ」
「じゃあね」
そう言うと、和夫は家を出っていった。もう帰る時間だったようだ。昨日は優太が送ってもらったが、智也は歩いて帰るようだ。この風景を歩いてじっくり楽しみたいんだろうか?
和夫とシゲはその様子をじっと見ている。この子が36年後に戻ってくる時には、秋平はどうなっているんだろうか?
「明日へ帰っちゃうんだなー」
今日は智也が東京に帰ったが、明日は和夫も東京に帰る。色々あったけど、明日の朝までだ。
「また冬休み、会おうね!」
「ああ」
だが、シゲの顔は冴えない。ひょっとしたら会えないかもしれない。まだ和夫に入っていないが、がんの進行が思った以上に進んでいて、あと数カ月の命かもしれないと言われている。残念だが、冬休みまでには持たないだろう。それでも、この夏でいい思い出ができた。それだけで十分だ。だけど、もっと生きたかったな。
「会えたらね」
和夫は立ち上がった。2階に向かおうとしているようだ。
「さて、明日の支度してこなくっちゃ」
和夫は元気そうな表情だ。それをシゲはうらやましそうに見ている。今もそれぐらい元気ならいいのに。
「寂しいな」
すると、和夫はシゲの肩を叩いた。冬に必ず会えると思っているようだ。
「また冬に会えるんだよ」
「会えたらいいね」
だが、シゲの表情はそれでもさえない。やはりがんの進行の事が尾を引いている。
と、そこに鈴木がやって来た。和夫が明日帰る事を知っているようだ。鈴木も少し寂しそうだ。
「お邪魔します」
その声を聞いて、和夫は反応した。まさか、鈴木が来てくれるとは。きっと、名残惜しみに来たんだろうか?
「鈴木のおじさん!」
和夫は玄関にやって来た。鈴木は朝から農作業していたのか、汗をかいている。
「明日、帰っちゃうんだね」
「ああ」
寂しそうな表情だが、和夫は下を向かない。東京に帰ってからが自分のスタートラインだ。シゲが安心して天国から見ていられるように成長する。そう決めたんだ。迷いはない。
「色々あったけど、今年の夏の事、忘れないでね」
「うん」
和夫と鈴木は握手をして、抱き合った。36年後、会えたら会いたいな。そして、36年間に何が起こったか、話し合いたいな。
と、リビングから歓声が聞こえた。翔太だ。翔太は今朝からドラゴンクエストをしている。今日までにクリアしないと。明日、和夫が帰ってしまう。
「どう、終わった?」
和夫はリビングにやって来た。すると、エンディングが流れている。どうやら竜王を倒してクリアしたようだ。
「終わった! 光の玉を取り戻したんだよ」
翔太は笑みを浮かべた。色々あったけど、何とかクリアできた。
「面白いだろ?」
「うん」
和夫は肩を叩いた。翔太は笑っている。エンドロールが終わり、ゲーム画面には「THE END」の文字が出ている。そして和夫は、それと共に夏の終わりを感じた。これから新しい自分のストーリーが始まるんだ。それは36年後に続く。秋平でタイムカプセルを掘り起こした時が僕とおじいちゃんの物語の終わりだ。
その夜、和夫は和子に電話をかけた。こうして電話するのも今日が最後だ。明日からはまた間近で話す。
「もしもし」
「いよいよ明日だね」
和子の声だ。和子は元気そうだ。明日、和夫が帰ってくるからだろうか?
「ああ」
「やり残した事ない?」
和子は聞きたかった。先月21日から秋平に来て、自分を取り戻す事ができたか、色んな事を経験したか、そして何より、反省したか。
「ないよ」
「そう」
和子は嬉しくなった。この夏休みで自分を取り戻す事が出来た。これで来月からまた元気に登校できるようだ。
「来月からまた頑張るね」
和夫は笑みを浮かべた。これからいい子になるから、シゲ同様見守っていてね。そして、36年後の目標に向かって進んでいくよ。
「立ち直ってくれてありがとう」
和子はいつの間にか泣いていた。どうしてかわからない。シゲがもうすぐ死んでしまうからだろうか? それとも、和夫が立ち直ってくれたからだろうか?
「うん」
「それじゃあ、おやすみー」
「おやすみー」
和夫は電話を切った。和夫は縁側を見た。縁側にはシゲがいる。シゲは寂しそうだ。もうすぐ死ぬからだろう。
和夫は縁側にやって来た。誰かが来たのに気づき、シゲは振り向いた。そこには和夫がいる。
「和ちゃん」
2人は星空を見上げた。この星空を見るのも今日までだ。この星空をしっかりと心にとどめておこう。そして、これから2人は空と地上から互いを見る事になるだろう。
「星空がきれいだね」
「ああ」
2人はしばらく見とれていた。今日ほど星空が美しいと思った事はない。どうしてだろう。和夫と過ごす最後の夜だからかな? それとも、最後の夏の終わりを感じているからかな?
「この夜景、しっかりと記憶しておこう」
「うん」
今年の夏の出来事が走馬灯のようによみがえる。どれもこれも素晴らしかったけど、やはり一番の思い出は、和夫がこの夏休みで立ち直ってくれた事だろう。そして、これからいい子になってくると言ってくれた。これで心置きなく天国に行ける。本当にありがとう。
「冬にまた見れたらいいね」
和夫は冬に帰ってくる日を思い浮かべた。雪景色の中で思いっきり遊び、忘れられない冬にしよう。そして、おじいちゃんと一緒に紅白歌合戦を見て、その次の日の元日で一緒におせちを食べよう。
「見れたらね」
またしてもシゲは下を向いてしまった。冬休みまでこの空が持つんだろうか?
「おじいちゃん・・・」
その表情を見て、和夫は何かを感じた。ひょっとして、がんが思った以上に進行していて、冬休みまでに死んでしまうのでは? いずれにしろ、この夏がいい思い出になった。この夏がなければ、僕はどうなっていたんだろうか? 想像すると、下を向いてしまう。だが、前を向いて進まなければならない。36年後にタイムカプセルを掘り起こす時に向かって。
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