8月28日
8月28日、優太はこの日で東京に帰る事になっている。少し寂しいが、31日に東京に戻るからそんなに寂しくない。色々あったけど、この秋平、そして森琴村とは今日限りでお別れだ。
優太は空を見上げながら、秋平での出来事を思い出した。この秋平に来なければ、こんな優しい気持ちになれなかった。両親が無理心中したけど、それを忘れるぐらい努力して、いい子になろう。そうすれば、天国の両親も喜んでくれるだろう。
和夫と智也は出来上がった3人の自由研究を読んでいる。自由研究にはこの村の風景やもうすぐ廃止になる吉岡線の写真が所々にある。ページは多くて、ボリュームがあるようだ。
「これが自由研究か」
和夫は出来上がった自由研究を嬉しそうに見ている。1人で作るのが普通だけど、複数の人で作る自由研究もいいもんだ。
「この村の未来をテーマにしたんだ」
「ふーん」
床に寝ころびながら、智也は天井を見ている。ここに来て、いじめられた心を癒す事ができた。また来月から元気に登校できそうだ。田舎には、ただのどかで空気がおいしいだけでなく、自分を癒すための絶好の場所だ。住んでいるうちに、徐々にそう感じ始めた。
「鉄道が廃止されると、この村はどうなってしまうのか考えたんだ」
和夫は線路のある方向を見た。あと1ヶ月余りで吉岡線は廃止されてしまう。すると、この村を含む沿線はどうなってしまうんだろうか? 過疎化が進み、消えてしまうんだろうか? どうか、そうであってほしくない。僕たちの思い出の場所を消さないでほしい。36年後に戻ってくる約束なのに、道に迷った時に再びここに戻れるように。
「そっか、僕も考えてしまうな」
「このまま、元の荒野に戻ってしまうのかなって」
空を見上げていた優太も、そういわれると考えてしまう。秋平はシゲがいなくなり、スエもいなくなり、そして誰もいなくなり集落はなくなってしまうかもしれない。記憶でしか残らなくなってしまうだろう。
「うーん、言われてみればそうかもしれないね」
「タイムカプセルを掘り起こす時、どうなってるんだろうね」
和夫は36年後の自分を考えた。2学期からどれぐらい変われるかわからない。だけど努力して、天国でシゲが悲しまないように精一杯頑張っていい子になろう。
「36年後が気になるね」
「その頃はどうなっていることやら」
その時、智也が思いついた。智也は相変わらずのんびりと寝転んでいる。智也も明日帰らなければならない。こんなに楽しい夏休みになるとは思っていなかった。この夏休みをきっと忘れない。
「先の事は考えずに生きようよ」
智也は考えた。その事を考えずに、ただいまを受け止め、一生懸命に生き、そして36年後にどれだけ成長したらお互い話そう。
「そうだね」
「36年後、また来よう。どうなってるかわからないけど」
その時、空を見上げていた優太が部屋の方を向いた。そろそろ東京に帰る時間が近づいてきた。帰りの気動車との接続の事もあって、この時間に帰ると決めていた。
「今日で僕、帰るから」
「そうなんだ」
和夫と智也は寂しそうな表情だ。だが、今月までの辛抱だ。すぐに会えるさ。そして、2学期が僕らの新しいスタートライン。そこから未来に向かって歩き出そう。天国のシゲにいい所を見せるためにも。
「来月、学校で会おうな」
「うん」
優太は和夫と智也に握手をした。東京でまた会おう。そして、36年後、再びここを訪れよう。
3人は1階に下りてきた。1階にはシゲがいる。シゲはテレビを見ている。シゲを見るのもあさってまでかもしれない。冬休みにも会えたらいいな。その時にはどれぐらい成長しているだろう。
「おじいちゃんも元気でね」
優太の声に気付き、シゲが振り向いた。そろそろ出発の時間だ。寂しいけれど、お別れだ。もう会う事はないだろう。そう考えると、少し寂しくなる。
「帰るんだな」
「うん」
優太は小さくうなずいた。寂しそうな表情だ。和夫と智也と別れるからではない。シゲと別れるからだ。
「今年の夏の事、忘れないでほしいな」
「うん」
3人はこの夏の事を思い出した。この夏で自分を取り戻す事ができた。シゲの余命を知って自殺しようとしたけど、天国でもシゲが笑顔で見守っていられるように努力しよう。
「なんだか、あっという間だった」
「確かに」
智也もこの夏の出来事を思い出した。それまでは和夫や智也に会うのが怖かった。いじめが終わってからもだ。だけど、ここで一緒に生活する事で変わった。
「でも、色んな事をして、自分を見つめ直すことができた。とってもためになったよ」
「そっか」
和夫は笑顔を見せた。この夏でずいぶん心を洗われた。これが田舎の力だろうか?
「今年の事、絶対に忘れないよ!」
「おじいちゃんも、僕のこと忘れないでね」
「もちろんだよ」
シゲは軽トラックに向かった。軽トラックの中は外以上に暑くなっている。冷房をかけてある程度涼しくしておかないと。
「とても充実した夏休みだったよ! ありがとう」
優太は和夫と智也に握手をした。今日で秋平とは別れるけど、これからも友情が続いていく。これからが勝負だ。
「ああ」
「今更だけど、いじめてごめんね」
優太はまだ智也をいじめた事を悔やんでいる。それで両親を無理心中に追いやってしまった。許してくれるだろうか?
「もういいんだよ。反省したんでしょ?」
だが、智也は笑顔で答えた。反省できたのなら、それでいい。大切なのはこれからだ。いじめた過去を持っているのなら、それ以上に頑張ればいい。そうすれば、両親が天国で温かく見守ってくれるだろう。
「うん」
優太は笑顔で答えた。この家に住む事で色々と考える事ができた。ここに来なければ、自分はどうなっていたんだろう。
「でも、それでこんな所で自分を見直そうとしている和ちゃん、かっこいい!」
「ありがとう」
和夫は笑顔を見せた。和夫も考えた。ここに来なければ、この先どうなっていたんだろう。ただの不良のままで大人になっていたかもしれない。これでは天国に行ったシゲも不安でたまらないだろう。
と、シゲがやって来た。どうやら、車内が涼しくなったようだ。そろそろ優太が秋平を離れる時が来たようだ。寂しいけれど、36年後にまた来よう。
「来月にまた元気な姿で会えるといいな」
「じゃあな!」
和夫と智也は手を振った。シゲと優太は軽トラックに向かう。和夫と智也はその様子を見ている。
シゲと優太を乗せた軽トラックは動き出し、家を後にした。和夫と智也はその様子をじっと見ている。助手席の優太は窓から秋平を見ている。秋平は36年後、どんな姿になっているだろうか? もう誰もいなくなり、ただの荒野になっているんだろうか?
やがて、軽トラックは橋を渡り、秋平を離れた。優太は窓から顔を出し、秋平を探した。だが、秋平はもう見えない。茅葺き屋根のシゲの家も。優太は涙が出そうになった。本当の別れじゃないのに。どうしてだろう。
軽トラックは森琴駅に着いた。森琴駅には誰もいない。廃止が決まってからの事、乗りに来る鉄道オタクがやって来るが、彼らは終点まで行くのが大半で、ここで降りる人はいない。この寂しさでは、廃止になるだろう。
「じゃあね」
優太は軽トラックを降り、ドアを閉めた。すると、軽トラックは秋平に向かって走り出した。優太はそれをいつまでも見ている。軽トラックからはシゲの姿が見えない。もう会えないんだと思うと、優太は少し寂しくなった。
優太は森琴駅のホームにやって来た。ホームにも人がいない。あの日、森林鉄道の廃線跡を歩いた時と同じ風景が広がっている。
しばらく待っていると、単行の気動車がやって来た。気動車には何人かの乗客がいるが、彼らはみんなお名残り乗車目的の鉄道オタクだ。
気動車は森琴駅のホームに着くと、ドアが開いた。優太は気動車に入った。車内はセミクロスシートだ。優太はボックスシートから外を見た。高台にあるためか、少し秋平が見える。茅葺き屋根もかすかに見える。それを見て優太は、秋平での出来事を思い出した。あんな事もあったな。こんな事もあったな。だけど、もう終わりだ。この夏休みで、僕は大きくなる事ができた。この事を一生忘れないようにしよう。
気動車は汽笛を上げて、森琴駅を後にした。優太は車窓を見ている。36年後、この村はどうなっているだろう。まだ森琴村は残っているんだろうか? 秋平は消滅していないだろうか?
気動車はトンネルに入った。そして、森琴村は見えなくなった。優太はトンネルから出るのを待った。抜けた先にまだ森琴村は見えるんだろうか?
トンネルを出ると、ただの渓谷が映っている。もう森琴村は見えない。川ではラフティングをしている人がいる。何日か前、自分もラフティングをしたな。ラフティングをした事も、忘れないでいよう。
優太は窓を閉め、車内に顔を向けた。車内はとても静かだ。東京と正反対だ。気動車の走っているレールは、東京まで続いている。そのレールは、自分の未来につながっているように見えた。
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