8月21日

「和夫」


 8月21日、和夫は下から聞こえるシゲの声で目が覚めた。まだ朝ごはんの前だというのに、何だろう。ひょっとして、病気の事だろうか?


 和夫は1階に下りてきた。そこには優太と智也もいる。すでに起きていて、リビングにいる。


「おじいちゃん、どうしたの?」

「そこに座りなさい」


 言われるがままに、和夫は座布団に座った。シゲはどこか真剣そうな表情だ。言わなければならない事があるようだ。


「和夫、おじいちゃんがあと半年しか生きられないって知ってるのか?」


 その時シゲは、自分ががんに侵されていて、あと半年しか生きられないという事を和夫の前で初めて話した。最初は、両親と近所の人しか伝えなかったが、和夫がその事に気付いてしまった以上、言わなければならないと思った。


「う、うん」

「知ってしまったのか」


 シゲはため息をついた。本当は知られたくなかったのに。知ってしまうとは。


「ごめんなさい」


 和夫はシゲに謝った。秘密を知ってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「どう思った?」

「聞いた時はびっくりした」


 隣にいる優太と智也もその話を真剣に聞いている。


「そうか」

「でも、考えたんだ。おじいちゃんのために、いい子になろうって」


 和夫は笑みを浮かべた。こんな事になっちゃったけど、それは自分がいい子になるためのチャンスだ。シゲが生きているうちに、いい子になろう。そうすれば、安心して天国に行けるだろう。


「そうか。でも、あと半年しか生きられないんだぞ」

「いい子になるから、天国で見守っていてほしいなって」


 和夫は天井を見上げた。あと半年ぐらい経つと、シゲは天国に行ってしまう。それからは天国から僕を見守っていてほしいな。


「そういう意味か」


 シゲは納得した。こんな事がきっかけでいい子になるとは。祖父思いの優しい子だな。必ずいい子になれるぞ。


「いいでしょ」

「うん」


 すると、優太もそれに反応した。優太も何か言いたい事があるようだ。


「優太・・・」


 その声に和夫は反応した。優太が何かを言うと思わなかった。


「じゃあ、僕もいい子になろっかな?」


 優太は照れくさそうな表情だ。自分もいい子とは言えないが、これを機にいい子になって両親やシゲに見守ってもらいたいな。


「えっ!?」

「天国の両親のためにも」


 それを聞いて、和夫は夏休みが始まった頃に起こった出来事を思い出した。両親が無理心中をしたニュースだ。あれもこれも自分が悪いんだ。優太をいじめに誘った自分が悪いんだ。そのニュースを聞いた時は驚いた。まさか、無理心中をしてしまうとは。


「優太もそう思ってくれるのか?」

「うん」


 優太は笑顔で答えた。いい子になれば、きっといい事が起きるに違いない。


「じゃあ、優太くんも見守ろうかな? 天国に行っても」

「ありがとう」


 優太はシゲの手を握り締めた。天国の両親よりも温かいように思える。どうしてだろう。


「成長してくれたら、それでいいんだよ」


 シゲは優太の頭を撫でた。まさか優太もいい子になってくれるとは。和夫だけでなく、優太もいい子になるとは。


「僕、今年の夏を、忘れないから」

「ありがとう」


 和夫はシゲを抱きしめた。シゲは驚いた。まさか、抱きしめられるとは。きっと、和夫の事を忘れないでくれと思っているようだ。シゲは胸が熱くなった。




 昼下がり、森琴駅のホームで和夫は鈴木と会話をしていた。和夫は昼までにある程度宿題を終えた。自由研究も着々と進んでいて、東京に帰るまでに何とかなりそうだ。駅は誰も来ずに、静まり返っている。次の列車は夕方まで来ない。


「やっぱり、おじいちゃん、がんだったのか」


 鈴木は空を見上げた。シゲの病気の事は、鈴木も知らなかったようだ。来年は空からこの村を見守るんだな。


「うん」

「来年の夏、おじいちゃん、もういないんだね」


 和夫はシゲと過ごす最後の夏の事を考えた。いろんな事があったけど、あれもこれもシゲの最後の思い出だ。自分にも、シゲにも、思い出に残る夏休みにしよう。


「寂しいね」

「それが人間なんだ。人間はいつか死ぬんだ。おじいちゃんはあと半年でその時が来る運命だったんだよ、きっと」


 しばらく和夫は信じられなかった。だが、人間はいつかは死ぬもの。シゲもその時が来たんだ。だから、その時までに悔いのない人生を送れと言われたに違いない。


「そうかな? がんさえなければもっと生きれたかもしれないんだぞ」


 鈴木は疑問に思った。がんさえなければ、もっと生きていたかもしれないのに。どうしてだろう。


「そうだけど、運命を受け入れようよ」

「そうだね」


 鈴木は受け止めた。シゲはがんにつながるような事をしていない。そういう運命だったんだ。受け入れないと。


「おじいちゃん、あとどれぐらいこの家にいられるんだろうかね」

「わからない。いつから入院するのかな?」


 2人は考えた。シゲがいなくなれば、この家は誰も住まなくなり、秋平はただ自然に崩壊していくんだろうか? そして、あの犬塚のようになってしまうんだろうか?


「まだ決まってないんだ」


 シゲがいつ入院するか、まだ決まっていない。だが、その日は刻一刻と迫っている事は確かだ。余命数ヶ月になると入院するかもしれない。そして、森琴村とも別れなければならない。


「やがて秋平は、誰もいなくなるのかな? 犬塚のように」


「いずれはそうなるだろう。でも、そこに秋平という集落があった事、この家があったことは、永遠に語り継がれていくんだ」


 鈴木は考えた。シゲの住んでいる集落は中心部より離れていて、住民は数える程しかいない。最盛期よりぐっと住民が減った。このまま、この集落も誰もいなくなるだろう。だけど、ここに人がいた事は、道の駅の資料館の中で語り継がれていく。森林鉄道や犬塚のように。


「あの資料館のように、そうであってほしいな」

「うん」


 和夫は先日行った資料館を思い出した。シゲの住んでいる集落もなくなり、資料館にその写真を残すだけになるんだろうか?

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