8月8日

 8月8日の早朝、車内のあわただしさで和夫は目を覚ました。今日は寝台急行の中で目を覚ました。シゲがいない。そう思うだけで心が寂しくなる。どうしてだろう。過ごしているうちにシゲといる生活に慣れてきたんだろうか? だが、いつかは別れなければならない。それはいつになるんだろう。


 寝台急行はもう埼玉県に入っている。もう外は明るい。車窓からは住宅地が見える。見慣れた風景だ。関東に戻ってきたんだ。みんなが待っている。和夫は実感した。


 この寝台急行は6時前に終点の上野に着く。車内は降りる支度をする人々であわただしくなっている。


 和夫は寝台から降りて、通路に出た。通路には和子がいる。和子は車窓を見ている。和子はもう降りる準備を済ませていて、キャリーケースを持っている。


「帰ってきたんだね」


 和子は後ろを振り向いた。和夫がいる。東京に戻ってきた事を、和夫は嬉しそうにしているようだ。だが、様子がおかしい。心の中で、もっとシゲといたいと思っているんじゃないだろうか? だが、いつかは別れなければいけない。それはいつになるかわからない。そして、1人前になって生きていかなければならない。


 6時前、寝台急行は上野駅に着いた。朝早くから上野駅は賑わっていた。この時間帯はこの駅が終点の夜行列車が次々と着く時間帯だ。彼らのほとんどはその乗客だ。


 2人は上野駅で営団地下鉄に乗り換え、自宅に向かった。見慣れた風景だ。だが、シゲの家で過ごしていたせいか、なぜか新鮮に見える。どうしてだろう。


 地下鉄の車内で、和夫はシゲと過ごした夏休みの半分を思い出した。もっと夏休みが続くといいのに。もっとシゲと暮らせたらいいのに。だけど、いつかは叶わなくなる。


 2人は最寄りの駅に降り立った。もうすぐ自宅に帰ってくる。和夫はシゲの家が恋しくなった。どうしてだろう。自分は東京で暮らしているのに。この感覚は何だろう。


 2人は自宅に戻ってきた。出かけた時と全く変わっていない。とても懐かしい。また帰ってきたと実感すると、和夫はほっとした。


「ただいま」


 和夫は元気そうな様子だ。久しぶりに俊介に会える。俊介は今、どうしているんだろうか? 順調に仕事をしているんだろうか?


「和ちゃん、おかえりー」


 玄関で迎えてくれたのは、俊介だ。これから出勤のようで、ネクタイを付けている。7月20日に出発するまでは日常の風景だ。


「懐かしいなー」

「久々に戻ってきたもんね」


 和夫は笑顔を見せた。久しぶりの我が家はいいもんだ。


「和ちゃん、帰ってきてたんだ」


 和夫は振り向いた。そこには優太や智也がいる。これまた懐かしい顔だ。明日また会うけど、まさか今日から会えるとは。


「うん」


 和夫は笑顔でうなずいた。また会えて本当に嬉しい。


「元気にしてた?」

「うん」


 優太や智也は笑顔を見せた。和夫が立ち直ってくれてよかった。でも、夏休みは今月いっぱいまで続く。その間に色んな事を経験して、来月からまた頑張ろう。


「すっかり立ち直って」

「いやいや、まだだよ」


 和夫は苦笑いを見せた。まだ夏休みはあと半分ぐらいある。それまでにどれだけ立ち直れるかだ。


「いつまでおじいちゃんのとこにいるの?」

「今月30日までさ」


 夏休みは今月31日までだが、夜行列車で帰る事も考えたら、30日にシゲの家を出なければならない。


「ふーん」


 優太や智也はうらやましそうな表情で見ている。まるで自分も過ごしてみたいと思っているようだ。


「成長して帰ってくるからね」

「期待してるよ」


 和夫と優太は抱き合った。来月1日に成長した姿でテニスをしたいな。




 その日の午後、和夫は2階の自分の部屋でのんびりしていた。ここも懐かしい。帰宅したら毎日のようにいた部屋だ。机も本棚も、カレンダーもポスターもそのままだ。和夫はいつでも帰ってきていいようにしてある。とても嬉しい。


 突然、電話が鳴った。きっと和子への電話だろう。そう思って、和夫はベッドに仰向けになってのんびりしていた。長旅でとても疲れている。


「そっちの友達から電話よ」


 その声に、和夫は驚いた。翔太だろうか? ドラゴンクエストをしていて、何かがあったんだろう。ドラゴンを倒したんだろうか?


「本当、電話出るね」


 和夫は1階に降りてきた。和子が受話器を持っている。和夫は受話器を取った。


「もしもし」

「あっ、和夫兄ちゃん?」


 やはり翔太からだ。翔太は慌てているような声だ。進めていくうえで何かあったんだろうか?


「うん」

「復活の呪文が違うって出るんだよー!」


 翔太は朝からシゲの家に来て、ドラゴンクエストを始めようとした。だが、いつものように復活の呪文を入力したが、いつも『じゅもんがちがいます』と表示されるだけで、朝から戸惑っていた。正しい呪文を入力しなければ、途中から進める事ができず、1からやり直しになってしまう。


「何か違うんじゃないのかな?」


 和夫には原因がよくわかっていた。復活の呪文は複雑で、1文字でも間違ったら途中から始められない。きっと、メモした呪文と実際の呪文が少し違っていたんだろう。


「うーん、どうしよう」


 翔太は悩んでいた。せっかく頑張ってきたのに。本当に29日までに終わるんだろうか?


「もしわからなかったら、またやり直しだね」

「そんな・・・」


 翔太は呆然となった。あんなに頑張ったのに、もう1度やり直すなんて。


「復活の呪文はしっかりと覚えておかないとね」

「そうだね・・・」


 翔太は電話を切った。元気がなさそうだ。あんなに頑張ったのに、また1からやり直しだ。


 和夫はまた2階に戻った。まだ長旅の疲れが抜けていない。今日はゆっくり休んで、明日の登校日に備えよう。




 その夜、和夫は2階から東京の夜景を見ていた。和夫はパジャマを着て、寝る準備を済ませている。シゲの家とはまた違って、夜景が美しい。どっちの夜も好きだけど、やっぱり東京かな? 明るくて、見ているだけでなごんでくる。


「東京の夜景を見るの、久しぶりだね」


 誰かの声に気付き、和夫は後ろを振り向いた。和子だ。もうすぐ寝るのか、パジャマを着ている。和子も夜景を見に来たようだ。


「うん」


 和夫は笑顔で答えた。毎日のように見ていた夜景を見てこんなに感動するのはどうしてだろう。久々に見るからだろうか?


「来月、笑顔でいられるようにしないとね」

「ああ」


 いよいよ明日は登校日だ。久々に学校に行ける。先生や同級生、先輩に会える。どんなことを話そう。そして、どれだけ立ち直ったのか、見てほしい。


「おやすみー」

「おやすみー」


 和子は部屋を出て、寝室に戻っていった。街の明かりが徐々に少なくなってきた。もうそろそろ寝る時間だ。明日は登校日だ。みんなに会える。成長した僕を見て、どう思うんだろう。


 和夫はベッドに横になり、眠った。このベッドで眠るなんて、何日ぶりだろう。とても懐かしい。和夫はいつもよりぐっすり眠る事ができた。

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