第13話 ウタゴエ

 ガジュマルの樹々の間から車の停車音が聴こえてきた。

 それはやがて人の姿となってユキ達に近付いてくる。

 上冬が、その人物と挨拶を交わす。


「初めまして」


「木染です」


「テレビ関東『ヒソカ』の上冬です」


 ガジュマル公園でインタビューは撮影される事になっていた。

 インタビュアーはユキの役目だが相槌専門の要員でもある。

 先ずは神社の鳥居を模した入口からカメラは廻され始めた。


「私は、この島の生まれで旅行の案内人をしております」


 木染は陽に灼けていて実年齢より遥かに若く見える。

 もう還暦に近く、それでスキューバダイビングから手を引いたのだ。

 乾をインストラクターに導いたのは彼だった。

 ユキを相手にインタビューが開始された。


「私は、とある宗教を信仰しておりまして月鳴神会を知りました」


「月鳴神会は宗教である事を否定していますよね」


「正体を隠すのに、その方法を選択したのです」


 木染の主張は月鳴神会の実態を表していた。

 最初は鳴神アヤメ個人の精神的カウンセラーとして始められた。

 訪問診療のメンタルクリニックでの開業という事になる。

 その驚異的な治療成果が評判となり、とある病院の心療内科に関わる。


「それが九州の橘病院だった訳ですね」


「そうです、その院長の息子達とアヤメの娘達が結婚して東京に進出した」


 それが現在の飛鳥町の橘病院という事になる。

 そこでも評判となり、その患者に議員の割合が増えていく。

 何故か政党には関係なく、どんどん規模が膨らんでいくのだった。


「そして議員たちが鳴神アヤメ信者を名乗りだした。

 それは超党派で繋がりを作り出していき、どんどん力を持つのです」


「何故か、その議員達の選挙結果も当選率が高くなっていくんですよね」


「そうです、それで一つの政党よりも勢力は上回る事になる。

 しかし実態が無いので、それを抑えつける事が出来ません」


 そうして屋久島を含む九州でも東京の飛鳥町でも絶対的な力を持った。


「見えざる権力って事ですよね」


「その規模は段々と拡大されていきます、それも秘密裏に。

 そこで我々の亜細亜天和了連盟と衝突する事となっていった」


「アジア、テンワリョウ…連盟ですか?」


「そうです」


 亜細亜天和了連盟は、その発祥は分かってはいない。

 アジア諸国で同時多発的に、その存在が浮上してきた新興宗教である。

 地球規模で大多数を誇る黄色人種を中心とした宗教団体であった。

 多数決が民主主義の基本であるなら黄色人種が盟主であるとの主義主張である。


「月鳴神会は呪術をベースにして他宗教を駆逐しようとしたんです」






 早朝特別会議の後、境と田無と竹冬は遅い朝食に出た。

 田無の強硬な主張で、いつものハンバーガーチェーンである。

 三人は、これまたいつもの奥のボックス席を陣取った。


「やっぱり刑事三人で朝からバーガーは、どうなんです?」


「竹春君、朝はバーガーじゃなくてマフィンですから」


「オレわぁ、こっちの方が旨いなぁ」


 珍しく境がマフィンを美味しそうに頬張った。

 ここでは署内では交わせない話をする事が多いのだ。


「それにしても催眠暗示で殺害なんて、どうしようもないですね」


「マジ無理ゲーじゃないっすか、そんなの」


「犯行を立証する事も立件する事も不可能じゃないですかね?」


「心の中じゃ証拠も押さえられねぇし、それに本当に出来んのかなぁ」


「でも鑑識の結論からすると可能って事なんですよね」


「何を、どうやって捜査しろって言うんだよなぁ」


「もはや呪いって事ですよね、これ警察の管轄じゃないっすよ」


 三人の刑事は、お手上げとばかりに黙ってしまった。

 竹春が三人分の珈琲の追加を注文しにカウンターへと向かう。


「ブラックとラテと、もう一つはシュガーどっぷりで」


 これを機に、そっと境が田無に小声で尋ねた。


「なぁ…マジムリゲーって何だぁ?」






 木染の告発にテレビクルー達は黙りこくってしまった。

 ユキが懸命に言葉を絞り出してインタビューは続けられた。


「呪い、ですか?」


「鳴神アヤメは他者の深層心理に潜り込めるみたいです。

 利用出来るなら操る、そうでなければ壊してしまう」


「操ったり壊したりですか、どうやって?」


 木染の説明は大の大人四人を戦慄させるのに充分な内容だった。

 カウンセリングに訪れた患者を治療と同時に査定する。

 月鳴神会との心波共振の値が高ければ催眠暗示で飼い慣らす。

 そうでなければ心的衝動の抑止装置を外して暴走させる。

 それも無理なら自死させてしまう、それが大まかな説明だった。


「そんな事って可能なんですか、とても信じられないのですが」


「全てにおいて『いぐるみ』が使われています」


「イグルミ?」


「御存じ無いですか、では説明しましょう」


 狩人が鳥を射る矢に紐を付けたものが「いぐるみ」である。

 射た獲物を手許に手繰り寄せる為のもの、そして外れた矢も回収出来る。

 それで信者の心を操作する能力を例えたものなのだ。

 その心に刺さった「いぐるみ」は射手の言葉による暗示で発動する。

 従順も暴走も、そして自死も。


「従順は信仰心から在り得ると思います、おそらく暴走も。

 だけど暗示や催眠では自殺は出来ないって聞いた事が在るんですが」


「自殺では在りません、それは自死なのです」


「自死と自殺の違いって何なのでしょうか?」


「自殺は自己の意思が働きます、だけど自死は無意識で自分を殺すのです」


「ど、どうやって」


「私の家族は人体自然発火による焼死でした」


「焼死…」


 ユキと上冬は乾の話を思い出して更に戦慄した。

 木染の思い出したくもない昔話が始まった、まだカメラは廻ったままである。


「我々は他の信者に改宗を迫ったりはしません、だけど月鳴神会は違う」


 木染は両親が亜細亜天和了連盟の信者だが自身は入信していなかった。

 月鳴神会は信仰の出入りは自由だと謳っていた、それは表向きの事だった。

 鳴神アヤメの次女、麗が天和了連盟に入信したいと言い出したのである。

 まだ麗が小学校に上がる前の事だった、それを天和了側は了承してしまった。

 その事にアヤメは激昂し、とうとう麗に養子縁組を組んでしまった。


「たったそれだけの事で親子の縁を切ってしまったんですか?」


「そうです、そしてアヤメは麗を東京に行かせてしまった。

 その後です、この島が静かに地獄の舞台に変わっていったのは」


 天和了連盟の関係者が次々に亡くなっていった、しかし事件性は無かった。

 そして木染家に順番が廻ってきた、その日は突然に訪れた。

 木染が就寝中に両親だけが二階の寝室で焼死したのである。

 二人がベッドの上で丸焦げになり、その部屋から二階部分が焼け落ちた。

 たまたま自分の部屋が一階だった彼は家から焼け出され助かったのである。


「父も母もタバコは吸わない、つまり火元が特定出来なかったんです」


「似ている事件を他の方から聞いた覚えが在ります。

 スポンティニアス・コンバッションでしたっけ」


「人体自然発火、良く御存知ですね。

 この島では似た事件が多発しました、それを島民は怯えた。

 それを利用して月鳴神会が勢力を拡大していった。

 勿論、犯罪らしき証拠も証言も一切出てくる訳も無かった」


 木染は少し歩いて不自然な形状のガジュマルに近寄る。


「このガジュマルは元々は大樹に絡み付いていたんです。

 だけど絞め殺された木は腐って崩れ落ち、そしてガジュマルだけが残った」


「この隙間は他の木の喪失痕だったのですね」


「アヤメこそがガジュマルで、そこにはキジムナーが住んでいる。

 火を操るといわれている精霊です」


 ユキ達は急に周囲のガジュマルの群れが恐ろしくなっていった。

 此処は絞め殺された樹々の墓場だったのである。






 かごめ、かごめ

 籠の中の鳥は

 いついつ出やる

 夜明けの晩に

 鶴と亀が滑った…


 東京に帰り着いた始和は編集部に連絡を入れ取材相手の確認をした。

 住所は確認出来た、だが相手とは連絡が付かないままだった。

 始和は待ち合わせの時間に、その住所を頼りに行ってみる事にした。

 それは桜田駅から少し歩いた住宅街の中のコーポだった。

 プレートの名前は取材予定の相手と一致していた。


「芳歳…、珍しい名前だから間違いって事は無さそうだな」


 始和はチャイムを押した、その音が部屋の中から微かに漏れてくる。


 ピンポーン、ピンポーン


 スマホで時刻を確認、待ち合わせ時間を少し過ぎている。

 ドアの新聞受けから重なった新聞が下に落ちそうになっていた。


(家に帰っていないのか?)


 始和は日付けを確認しようと新聞を一部、引き抜こうとした。

 その途端、釣られてドアが少しだけ開いてしまった。


(えっ…開いてる)


 始和はドアを開けて、そこから部屋の中に声を掛けた。

 だが何の返事も返ってこない、まるで人の気配はしなかった。

 玄関から見えている範囲は真っ暗で何も確認出来なかった。

 だが足下に靴は置かれている。


「ヨシトシさん、いらっしゃいますか?」


 始和は靴を脱いで玄関に上がりながら、もう一度声を掛けた。

 胸の内に急速に嫌な予感と不安が拡がっていく。


「自分は『噂ノ深層』の者ですが」


 そう言いながら奥に入っていく、ふと正面に気配を感じた。

 …其処に彼は居た。

 奥のデスクチェアーに座って、こちらを見ている様だった。

 だが、その表情が始和には見えなかった。


「ヨシトシ…さん?」


 見えないのも無理は無かった、そこに顔が無かったからである。

 始和の方を向いて座っているのに、その顔は後ろを向いていた。

 なので始和には、その後頭部しか見る事が出来なかったのである。

 首が極限を超えて捻じられていた。


(うっ、ううっ)


 始和は恐怖の余り、それを凝視し続けてしまった。

 やがて膝が震え出し、その震えが吐き気に変わっていった。

 よろめく足取りで、その遺体の正面に廻る。

 目は真っ赤で見開かれ、その口許から紫色に変色した舌が出ていた。

 まるで垂れ下がった新聞みたいに。


「うあああっ、あああっ!」


 閑静な住宅街の一角に始和の絶叫が響き渡った。

 それを聞いた隣の部屋の主婦が直ぐに警察に通報する。

 パトカーが急行すると、そこには放心状態の始和が座り込んだままだった。


 後ろの正面だあれ






「うあああっ、あああっ!」


 ベッドから跳ね起きた塁、顔色は真っ青で冷や汗を掻いていた。

 今日の夜勤に備えて仮眠を取っていたのだ。


(あれ、もしかして自分の悲鳴で起きちゃったのか?)


 夜勤の為に濃い珈琲を淹れる事にした、お気に入りのジャワロブスタ。

 何故だか胸の内が酸っぱい様な感じがしたのも、その一因である。


(物凄く嫌な夢を見た気がするんだけど…)


 塁は珈琲を淹れている間、懸命に悪夢の残像を追い掛けてみた。

 録画を再生するかの如く、その映像を思い出してみた。


(全く記憶に無いアパートに新聞、玄関の靴…。

 椅子に座っている男…)


 それ以上、何故か男に関しては容貌が思い出せない。

 その内に珈琲が出来上がり、その匂いに心が少し休まった。


(男の机の上の写真立てと小さな鏡、映っているのはムツミ兄さんに似てる人。

 その後ろに、もう一人…女の人かな?)


 プルルル、プルルル


 塁は兄に電話してみようと思いスマホで番号を押した。

 その直後、部屋の固定電話が鳴った。

 この固定電話の番号は家族か署内の人にしか知らせていない。

 塁は、もしかして夢に出てきた兄かも知れないと思い受話器を取った。

 だが、その予想は外れてしまう。


「もしもし、どうしたのママ?」






 元マーチTVディレクター芳歳が殺されたというニュースが走った。

 それは飛鳥署の特別捜査本部にも真っ先に届いていた。

 管轄は違えども橘病院関係者連続殺人事件の関係者だからである。

 橘健午を襲撃し殺害された穂張涼が芳歳の部下だったのだ。

 これで看護師の雁来蘭の不審死を含めれば四人目の犠牲者となる。

 管轄外ではあるが、その関連性を鑑みて連携捜査体制を取る事になった。


「今度のホシは、かなりエグイ殺め方をしとるらしいなぁ」


「首を真後ろ迄、捻っていたらしいですね」


「しかも死亡推定時刻が直近過ぎるし、また同じ奴ですかね」


「何か今度の殺しは計画的な匂いがするんだよなぁ」


「アクシデントじゃない、って事ですか?」


「おそらくガイシャは自分で鍵を外しとる、となると顔見知りの犯行だろぉ?」


「確かに」


 報告書を呼んでいた竹春の顔色が、どんどん青褪めていった。

 気分も悪そうに見えたので田無が心配そうに声を掛ける。


「竹春君、大丈夫ですか?」


「大丈夫です、また一人ガイシャが増えたかと思うと…」


「犯人も同じとは限らんし、この辺も物騒になってきたなぁ」


 そう言いながらも境は、この所の竹春の様子が気になっていた。


(橘病院でカウンセリングでも受けさせるか)


 自分で自身のブラックジョークに笑ってしまった。






 木染の告発は、どんどん内容に凄味を帯びてきていた。

 ユキは殆ど話を聞いているだけなのに圧倒されている。


「そのキジムナーとはアヤメの孫だと言い換えても良いでしょう」


「孫…ですか?」


「それが月鳴神会の本質的な核心部分だと思われます。

 アヤメの力を受け継いだ孫、隔世遺伝で能力が増幅している者」


「そのアヤメの能力を、もっと詳しく教えて下さい」


「先程の『いぐるみ』を、その標的の深層心理に射ち込みます。

 服従か暴走か自死、本人はコントロールされている自覚は無い。

 時々、心理状態によってアヤメのイメージが視覚に紛れ込みます」


「アヤメのイメージですか?」


「そうです、これは宗教の偶像崇拝を利用しているんです。

 信者が第三項、超越的存在に従う性質を見抜いている」


「神と悪魔のルックス的問題って聞いた事が在ります」


「アヤメは自己投影した女性像、黒い服を着た女性の姿を見せる」


「黒い服の女性…」


「月鳴神会の正統的色彩という事らしいです、それは夜の象徴」


「夜の色…」


「そしてトリガーになる言葉、或いは音楽を設定する」


「聴覚的要素にしたのは、その有効距離だと思われます」


「有効距離ですか?」


「臭覚や視覚に頼ると遠隔操作が、しにくいという訳です」


「携帯電話が登場したからだ…」


「その通りです」


 月鳴神会は従来の宗教とは明らかに全ての面で違っていた。

 非存在的であり、かなり現代的だとも言える。

 ユキも上冬も告発しようとしている相手の正体に戦慄していた。

 こんな集団が正体を隠して、その存在規模を拡大させているのだ。


「それでは孫についても、お願いします」


「始めは月鳴神会の発足会に東京から二人の孫を屋久島に招待しました」


「橘兄弟の娘達ですね」


「まるで姉妹みたいに、よく似た可愛い子供達でした。

 アヤメは、その二人の能力をテストしたらしいのです」


「テスト?」


「月鳴神会の反対勢力の家に電話を掛けさせた。

 幼い孫達はアヤメの言われた通りにしただけでしょう」


「孫が電話を…」


「その結果、我が家を含めて全焼やボヤを出した家が複数。

 自殺も多数で、その実態は全く掴めていません」


 ユキは絶句してしまった、そんな事が信じられなかったのだ。


「殆どが姉に見えた方の女の子の力だと情報を掴みました。

 だが証拠が全く在りません、つまり完全犯罪が成立してしまった」


(証拠も無いのに本名を出して、しかも未成年をも告発するなんて…。

 このインタビューは殆ど使えそうもないな)


 上冬は頭を抱えた。






 橘健午は亡くなった兄、麦秋に代わり正式に橘病院院長に就任した。

 これで病院を自分の意のままに操る事が出来る事になる。

 だがしかし、もう頼れる兄は消え去ってしまった。

 我が娘達を自分達で共有するという夢も潰えたのである。

 だが彼は、そんな自分の芽生えた欲望を捨て去る事が出来なかった。


(五月を誰にも渡さず、そして夏初ちゃんを手に入れたい)


 もはや健午は常軌を逸していて、その事に五月もアヤメも気付いていた。

 彼は気付かれている事を知ったが、もうその事を隠そうともしなくなっていた。

 五月とアヤメは健午を処分したかった、だが妻の紅葉がいる。

 五月の母でありアヤメにとっては、もはや残った最後の娘である。

 健午はナツハを手に入れたかった、だが祖母のアヤメがいる。

 健午に取っては義母であり、五月に取っては祖母である。


(お義母さんさえ、いなくなれば全ては思い通りになる)


 一つの家族の中で、お互いに存在を消してしまいたいと思う。

 立派な邸宅に、まるで地獄絵図みたいな状況が展開されていた。

 愛情が裏返り殺意となって相手に向けられている。






 ガジュマル公園での取材撮影も、ようやく終わりに近付いた。

 ユキ達はインタビューの、その内容の壮絶さに震え上がっていた。

 挨拶を交わし、そろそろ去ろうかという木染にユキが言った。


「木染さん、あの…お願いが在るんです」


「私に、ですか?」


「はい…実は昨日から乾さんと連絡が取れなくなっているんです。

 役所の仕事とかで粟生海水浴場に下見に行くと言って、それっきりで」


「おそらく珊瑚か海亀でしょう、あの辺は比較的安全ですし」


「でも、その直前に妙な電話が掛かってきてまして…」


「電話って、まさか…」


「その時は、『かごめかごめ』でした」


 木染の表情が強張った、その声が微かに震えていた。


「分かりました、それなら今から私が様子を見に行ってみます」


「勝手なんですけど、お願いします」


 木染はユキに頷いて見せた、そして車に向かった。

 エンジン音が聴こえなくなる迄、見送ったユキは上冬に告げた。


「ワタシも東京に戻ります、もう島から出たい」


「分かった、もう一日取材したらオレ達もケツ捲るから。

 先に東京で『レディワン』優勝しといてくれよ」


「勿論、絶対にミルクラテを叩きのめしますから」


 ユキは、もう既に気持ちを切り替えていた。


(東京には始和さんも戻っているし)






 その頃、始和は桜田署内で事情聴取を受けていた。

 やはり殺されていたのは芳歳太郎、元マーチTVディレクター。

 死因は窒息死、顔見知りによる犯行の可能性が大。

 死後、遺体を損傷させた形跡により怨恨が動機と推測される。


「…成る程、取材で訪れて遺体を発見した訳なんですね」


「はい」


「アリバイも確りしていますし、もう今日は帰って頂いても結構です。

 また何か在った時は御足労を、お願いするかも知れませんが」


 始和は全てを話して桜田署から解放された、まだ気分は悪いままだった。

 屋久島の取材内容を「噂ノ深層」編集部には送信しておいた。

 編集部からは内容を変更して今回の事件をメインにする案が返ってきた。


(一番重要な取材相手が亡くなっているんじゃ仕方が無いよな…)


 屋久島から朝一番に飛んで帰って、その足で取材に向かった。

 だが取材相手が殺されていて、その第一発見者になってしまった。

 こんな事態に遭遇して、もう疲れはピークに達してしまっていた。


(流石に屋久島の取材内容と今回の事件は結び付かないよな。

 このままじゃ月鳴神会の告発記事は書けそうもないな…)


 未だに乾に関する連絡は入ってきていない、それも疲れに拍車をかけていた。

 始和はスマホで乾の番号を押しながら、その無事を祈っていた。






 粟生海水浴場の近くの駐車場、乾の車の中でスマホが震えていた。

 直ぐ傍に車が停車、降りてきたのは木染である。


(やっぱり、これは乾の車で間違い無いな。

 ここから海岸に出て行って、まだ戻ってきてないって事か…)


 木染は車の中でスキューバの準備を整え、ゆっくりと海岸へ向かう。

 その心の内側では、どんどん不安が拡がっていた。

 家族は焼き殺されてしまったが、まだ自分は生きている。

 生き延びている、そんな自信も持ち合わせていた。


(かごめ、かごめ…)


 ユキから聞いた言葉を頭の中で呟いた、だけだった。

 だが脳内で、その言葉が他人の声でリフレインされ始めた。


(「かごめ、かごめ…」)


 それは老婆の擦れた声に代わって唄い続けられた。

 木染は頭痛がしだした、そして目が廻る感覚に襲われた。

 痛さを払おうと頭を軽く振りながら波打ち際へと向かう。

 躊躇せずに海の中へと乾を探そうと入っていった。


(乾、今行くから無事でいてくれよ)


 そう思った途端、聴こえている声のボリュームが上がった。

 頭の中は繰り返される唄声が、ずっと反響し続けている。

 目も廻り続けている気がしていた。


 籠の中の鳥は

 いついつ出やる

 夜明けの晩に…






 塁が署に出勤したのは三時過ぎ、ぎりぎり遅刻は免れた。

 そこで隣町の管轄ではあるが芳歳の殺人事件を知る。

 事件現場の桜田町は、かつて家族全員で暮らしていた場所でもあった。


(そうだ、まだムツミ兄さんに電話してなかったな)


 今や別々になってしまってはいるが、いつも兄の存在は感じていた。

 双子であるという理由以上に塁の中には兄が居た。

 離れて暮らし始めてから、より結び付きは強固になった。


「大丈夫か梅見、病院で点滴打ってきたんだって?」


 交代相手の同僚、松風巡査が心配そうに話し掛けてきた。

 咄嗟に、ぎこちない笑顔を作って頷く塁。

 引き継ぎも滞りなく終わり、いつもの交番勤務が開始された。


(橘病院の看護師も不審死らしいし、ここんとこ続いてるな)


 塁は勤務しながらも、ふと先程の悪夢を思い出してしまう。

 まるで自分の中の誰かが見ている光景を共有しているみたいな夢だった。


(机の上の小さな鏡に映るムツミ兄さんに似た人と、もう一人の女性。

 椅子に座っている顔が全然見えない男、何かが微かに聴こえている)


 それが何だったかを思い出そうとすると急に動悸が速くなった気がした。

 椅子の男の顔と一緒で思い出されるのを拒否しているみたいだった。






 木染は海に入っていき、いつものポイント迄進んで行った。

 昨日から連絡が取れていないのであれば、もはや絶望的である。

 だが何故か乾には、また会える気がしているのが不思議だった。

 そして、その予感は当たる事になる。

 だがそれは木染が望んだ形の再会ではなかったのだが。


(あ、あれは…)


 少し離れた水面下を確かに何かが漂っているのが見えた。

 近付いて行った木染は、それが人間であると確信した。


(人じゃないか!)


 その水中を流されていたのは紛れもなく人間だった。

 木染は浜に連れて行こうと、その浮遊する身体を掴もうとした。

 その時、顔が木染の方に向き直った。


(乾!)


 その真っ青な顔は乾に間違い無かった、まるで生気は感じられない。

 だが突然、目が見開かれて木染を捉えた。

 海中で見る真っ赤な目は、とても此の世の者とは思えなかった。


(乾…)


 木染は混乱して直ぐに手を引っ込めた、そして後退る。

 だが遺体に見えた乾は、ゆっくりと木染の周りを周回し始めた。

 泳いでいるのではなく身体をくねらせて漂っているのである。

 木染は恐怖で心臓が掴まれているみたいに痛かった。

 水中を乾の顔が近付いてくる、その表情は嗤っていた。


 鶴と亀が滑った…






 飛鳥署の特別捜査本部、定例会議での捜査報告会が始められた。

 捜査方針の変更と拡大で、その人員も規模も増加していた。

 先ずは橘病院の関係者の家族構成が洗われる事になったのだ。

 それは従来と違って被害者にも関わらず調べ上げられた。

 その結果、幾つかの進展が見られたのである。


「先ず行方が分からなくなっていた鳴神アヤメの次女、麗についてです。

 彼女は小学校に上がる時に養子縁組に出されています。

 その理由も、その貰われた先も資料が見付かりません」


「そんな事が在るのか?」


「絶縁という形で離籍しているからでしょうか。

 ですが姉妹の証言から麗も結婚した事実が確認されています」


「今は、どこでどうしているんだ?」


「それがですね、もう既に亡くなっています」


 捜査本部が、どよめいた。

 自殺した長女の早苗と双子だという事実から容疑者の一人に挙がっていたからだ。

 一連の事件の容疑者は早苗に似ているとの証言が得られていた為である。


「早苗の葬儀に来ていたって事は、つい最近亡くなったって事か?」


「そうです、どうやら交通事故死の様です。

 三女の紅葉だけが、やはり葬儀に出席しております」


「交通事故死って、やっぱり呪われた家系なのかなぁ」


 境が刑事にあるまじきオカルトじみた事を呟いた。







 ユキが上冬に軽く挨拶をした、もう東京へ向かう時間である。

 カメラと録音のスタッフ二人は、もう部屋に戻っている。

 始和とユキが宿泊していた部屋を、そのまま借りていた。

 上冬は島に残るのが何だか寂しかった。


「ゴールデンウィークの生放送で会いましょうね」


 上冬の「ヒソカ」もユキの「レディワン」も生放送の特番である。

 ゴールデンウィーク用の勝負番組でもあった。


「うん、こっちも何カ所か撮影したら戻るよ。

 プリフルも絶対に優勝してくれよな」


「勿論、新人に負けるぐらいなら死んだ方がマシです」


「その意気だ」


 ユキは見送られて機上の人となった。

 観光気分だった屋久島で人間の怖さを思い知らされた。

 だが巨大に思われた力にもアイデアで対抗出来る事も知った。

 その経験を「レディワン」決勝に活かしたかったのである。


「早くコッコとネタ合わせしなくちゃな…」


 まだ決勝用のネタに納得がいっていない、ちょっと弱く感じていた。

 インパクトを残してフォロワー以外の反応を引き出したい。

 そうでなくてはミルクラテに勝てない、それだけは分かっていた。

 インフルエンサーのコンビを超えるインパクト…。


(「負けるぐらいなら死んだ方がマシ」)


 ユキは自分自身の言葉に呪われ始めていた。






















 















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