第5話 キキコミ

 現場検証では何の手掛かりも出て来なかった、ただ死体が一つだけ。

 目撃者は被害者の橘健午ただ一人、証言にも決定的なものは無し。

 健午を襲った犯人はマーチTVの音声スタッフ穂張涼、動機は不明。

 そして、もう一人の被害者でもある。

 穂張を殺害した犯人は逃亡中、健午の証言では女性。

 当然、特別捜査線が張られたものの現在まで手掛かり一つ無し。

 これでは警察も混乱するな、と言う方が無理である。

 犯人は夜明けと共に、その姿を忽然と消してしまったのであった。


 現場の健午邸に到着した境と田無も、また同様に混乱していた。

 橘麦秋殺害事件を捜査中に、まるで挑発的に続いた健午襲撃事件。

 しかも当の犯人が麦秋事件同様の手口で殺害された挙句、容疑者は逃亡中。

 その動機目的も犯人像も全く特定出来ずに苛立っていた。


「女性…、黒い服装の背の高い女性…」


「それが大の若い男を背中から一突き、かよ…」


 しかも、その凶器は調査の結果またも調理用包丁であった。


「また犯人は手ぶらで現れてキッチンから凶器を持ち出したって事ですね」


「何で犯人は、このホトケが健午を襲う事を知ってたんだぁ?」


「確かに不思議だし不自然ですね…」


「院長の時もそうだ、どうして犯人は屋敷の中で待ってたんだぁ?」


「それに、この男は何で健午を襲ったんでしょう?」


「駄目だ…分からん事が多過ぎて、どっから手を付けて良いやらだぁ」


 境は深い溜息を吐いた、この事件は娘の同級生も被害者の一人だからだ。

 田無は、いつもより境が冷静さを欠いている事を感じ取っていた。


(境さんは被害者と娘さんが同級生だという事で焦っている。

 ここは自分が頑張らないとな…)


 徒歩で逃亡した犯人の足取りが、まるで掴めない。

 最寄り駅でも、それらしき人物をカメラは捉えていなかった。






 決して朝に相応しくはない、そのニュースを見てコッコは大声を上げてしまった。

 それは同居している相方のユキを叩き起こすのに充分なボリュームだった。


「今、確かにマーチTVの穂張涼って言った…!」


「マーチTVって、アンタの『ヒソカ』の?」


 慌てて起きてきたユキが画面に見たのは大きく書かれた速報の文字。

 そして橘病院事件再び、の文字が続いた。

 容疑者として映された顔写真に穂張涼と死亡の文字が貼り付いていた。


「容疑者として死亡って事は、どうなってんの?」


「被害者に抵抗されて殺されたって事じゃない?」


「ああ…正当防衛って事ね」


 だが続けて出てきたアナウンサーの言葉は二人を混乱させるのに充分だった。


「容疑者の穂張涼は殺害されて、その犯人は未だ逃亡中との警察発表です」


 コッコとユキは顔を見合わせた、それは鏡の様に驚愕が貼り付いていた。


「え…、どうゆう事なの?」


「容疑者が殺害されて犯人が逃亡って、えぇ?」


「でも穂張君って、そんな事する様なタイプじゃないよ…」


 コッコの表情は青褪めて悲しみが拡がっていた。


「コッコ…もし本当なら番組ヤバいんじゃない?」


「そーだよね、これじゃ放送どころか打ち切りじゃないかな…」


「せっかく鳴神アヤメに突撃したのにね」


「あ…そう言えば穂張君、鳴神アヤメのパートで何か言ってたっけ」


「何かって?」


「音声にアヤメの言葉が小さく聞こえたとか何とか言ってたな…」


「気になるね、それ」


「ユキの番組で月鳴神会やるんでしょ?

 使えるかも知れないから調べておくよ」


「うん、よろしくね」


「穂張君の最後の言葉だもん、きっと使える何かが在る気がするんだ」


「アタシも屋久島でアヤメの尻尾を摑まえてくるからさ」


 ユキも自分の番組で月鳴神会の特集を予定していた、その為に屋久島へと飛ぶ。

 鳴神アヤメが覚醒した聖地と言われているのだが、その取材である。






 塁は暫く朝のニュース番組を追って見ていた、それはワイドショーまで続いた。

 橘健午襲撃犯殺害事件は、その日の話題を支配してしまっていたからだ。

 健午を襲った穂張涼は当然、橘麦秋殺害犯と目されていた。

 だがしかし、それは生放送のスタッフをしていたという事実で呆気なく消えた。


(アリバイが在ったのか…、それじゃあ何で健午を襲ったんだろう?

 そして誰が穂張を殺すまでして健午を助けたんだ…何が何だか)


 塁は境刑事に連絡をしようと考えた、それは先日依頼された事の確認も含めて。

 彼は境から橘病院に関する情報の収集を依頼されていた、それは噂レベルでも。

 その為に非番の今日、時間を使って情報を集めようと思っていたのだった。

 塁が電話を掛けた時、境は田無刑事と一緒に車内であった。


「梅見です、お早う御座います。

 本日、非番なので橘病院に関する聞き込みをしようかと思っています。

 その前に今朝の事件を詳しく教えて欲しいのですが…」


「おう、お早う境だ。

 健午がブッ刺されて斬られて意外と重傷だ、だが命に別条は無ぇ。

 犯人は穂張とかいうテレビマン、マーチTVの若造だ。

 だがな、こいつもブッ刺されて殺されちまった。

 そっちの犯人は逃亡中で、もう何が何だか分からねえって訳だぁ」


 塁は、あの境ほどの刑事でも自分と同様に混乱しているのが意外だった。

 だが今回の一連の事件で混乱していない関係者を、まだ見付けていなかった。


「その容疑者を殺害した犯人の特徴とかは何か無いんですか?」


「それがな、どうやら女らしいんだ。

 となると麦秋殺害犯と同一人物の可能性も高くなってくるって訳だぁ」


「両方とも女性が、あの殺人を実行出来たと言うんですか?」


「そうだ、その麦秋の娘と健午の証言がピッタリ一致しとるんだからなぁ」


「娘さんの意識は戻ったんですね、それは良かった…」


「どうかな、これからが大変なんじゃねえかな…」


 母親は一年前に自殺、理由は自分を助けてくれる為にである。

 そして実の父親からの関係強要と、それを救う為の父親の殺害。

 しかも犯人は母親似の女性、父の弟の健午を襲った穂張も殺害。

 一連の出来事は、もう既に女子高生のキャパシティを軽く越えていた。


 塁も境も、お互いに無言のまま携帯を握り締めていた。

 運転していた田無が境に話した事が通話口から聞こえてきた。


「凶器と手口から見て同一犯で間違い無いでしょう。

 ただ動機が、まだ全く見当も付いていませんが」


 塁と境は、お互い見えてはいないが同時に頷いていた。






 橘健午の娘である五月と義母の鳴神アヤメは飛鳥駅前のホテルに居た。

 健午の妻で五月の母親である橘紅葉は橘病院で療養中である。

 麦秋の妻であり姉の早苗が自殺してから精神的に疲弊していた所に今度の事件。

 緊急入院で静養しながら心療内科の治療を受けている。

 襲われた健午は自分の病院に入院したので健午宅は無人だった。

 麦秋の葬儀は午後からの予定だったが、それもどうなってしまうのか。

 健午宅は現場検証で警察の管轄下になっている為である。


「月詠み様、葬儀は私達だけで執り行うしかありませんね」


「仕方が無いですね、これから段取りを考えましょう」


「健午の退院まで病院の方は早緑に代理を務めさせます」


「サミドリ?」


「会の者なので、ご心配には及びません」


「そう、じゃあ病院の方もいよいよね」


「左様で御座います」


 五月は、いずれ病院の経営権を手に入れるつもりではあった。

 月鳴神会は教団施設を持たない、だが拠点は必要だったのである。

 ただ、まだ未成年だという事も在り父達の自由にさせていた。

 しかし麦秋の妻、早苗が自殺してしまい目論見が狂い始めたのは事実である。


「後はナツハちゃんが、これからどうなってしまうのか…」


「覚醒で御座いますか?」


「彼女は私にも読めないのよ、もしかしたら今度の事で…」


「飛鳥病院の方も誰かを監視させに飛ばせる算段をしておきます」


「ナツハちゃんに気付かれたら、それは寧ろ逆効果になるかも」


「留意させます」






 塁は、ほんの二駅先の飛鳥駅周辺での聞き込みをする為に自宅を出た。

 非番の個人的な捜査活動なので当然、私服での行動となる。

 警察手帳も所持していないのでマスコミのを記者を装う事にした。

 先ず手始めに病院の近所宅から聞き込みを開始してみた。


「そうですか今度の事件に関しては、やはり皆さん何も御存知では…」


「知らんでしょうね、ましてや病院の内情なんて部外者にはね」


「そうですよね…」


「ただね、まあ面白いと言っちゃあ何だけど不思議な事は在りましたね」


「不思議な事ですか?」


「奥さんが亡くなられた時の事なんですがね…」


 橘麦秋の妻の早苗が亡くなった時、最初は服薬の量の飲み間違いという事だった。

 だが、その後に自分で多量摂取した自殺だったと発覚したそうである。

 その為、通夜も葬儀も普通に行われてしまったという事だった。


「そりゃあそうでしょ、だって看護師さんだった方が薬の量を間違えます?」


「そうですね…、それが不思議であると?」


「いや違うんです、それじゃあないんです。

 その葬儀には私も参列させて頂いたんですがね…」


 話してくれたのは聞き込み三軒目の病院の直ぐ傍のカレー店の主人だった。

 橘病院関係者とは昔から付き合いを持つ貴重な情報提供者である。

 彼が橘早苗の葬儀に参列した時に、おもむろに入口付近がざわめいたそうだ。

 その方を振り返った彼も驚いて声を上げそうになった、との事である。

 そこには亡くなった筈の早苗が立っていた、いや正確には彼女ではなかったが。

 見た目だけではなく化粧や動作まで、それは橘早苗そのものだったのだ。


「双子だったんでしょうね…、その時は驚いてしまいましたが」


「双子ですか…」


 自分自身も双子の塁は、その話を聞いて少し複雑な気持ちになった。

 そして自分と双子の兄である睦の事を、ほんの僅かだが連想した。


(片方が亡くなってしまっても、そっくりな人間が残されてしまうって事か…)


「それが誰だったかは御存知無いですよね?」


「勿論です、もし知ってたら驚きませんよ」


「そうですよね…」


「あっ、でもウチの店に橘病院の元看護婦が働いておりますけど…」


「橘病院の看護師だった方が?」


「もう直ぐ開店の準備で、やってくる頃ですがね」


(現役でないとはいえ病院の関係者だった者に話が聞ける、これはツイてる)


 塁は店への再訪を主人に伝える、それは快く了承された。

 主人は昼食に店自慢のカレーを勧めてくれた、これで空腹も問題無くなった。

 塁は、これはツイてると再び思っていた。






 連続殺人事件となった事で橘病院事件の特別捜査本部が立てられた。

 その中心は境と田無のままだったが、より多くの人員が加わる事にもなった。

 何より逃亡した犯人について何の手掛かりも掴めていないのが問題視された。

 殺人鬼が、この飛鳥署の管轄を自由に動き回っている。

 そんな事実が署員達を突き動かしていたのは間違い無かった。


 犯人は女性、全ての目撃証言では黒い服のみを着用。

 凶器はキッチンから持ち出された包丁類、背後からの一突きで殺害。

 徒歩で逃亡したにも関わらず、その足取りは一切掴めていない。

 橘麦秋を殺害したにも関わらず、その弟の健午を救う為に穂張涼を殺害。

 動機目的、一切不明。


「…というのが全体的な事件の概要なんですが」


 捜査本部のホワイトボード前で田無が増員された者達に説明した。

 捜査本部に居た全員が、どよめいて暫く収まらなかった。

 ただ一人、境刑事を除いては。


「被害者宅の監視カメラの映像は無いんですか?」


「それが玄関からではなく巧妙にカメラの死角を突いて侵入した様です。

 だがですね、それが不思議な事に…」


 田無が設置されていたモニターのスイッチを入れた。

 そこには橘麦秋邸の玄関の監視カメラの映像が映し出された。

 一瞬だけライトの下を横切った黒い服の女性の後ろ姿。

 またも室内に、どよめきが拡がったのである。


「ご覧頂いた様に何故か逃亡する時には、その姿を堂々と晒しています。

 これは健午邸の時も同様で全くカメラを意識しておりません」


「一体これは、どういう事なんですかね?」


「つまり侵入時には細心の注意を払う、これは警備会社等に対してですね。

 だが犯行後は全く何も恐れずに立ち去っている事になります」


「つまり警察なんかに捕まりはしない、って事なんですね」


「そうかも知れません」


 再び室内はどよめいたが、その質は微妙に変化していた。

 それを察知した境が田無に変わってボードの前に立ち、そして話し始めた。


「犯人確保が一番だが、それには動機の解明が必要だと思ってる。

 だが今の所は全く手も足も出ない、そこで増員したって訳だ」


 ここで挙手をして発言を希望する者が現れた、それを境が促す。

 それは増員された刑事の一人、見覚えの在る者では無かった。


「もっと大事なのは、これ以上の被害者を防ぐ事では?」


「これ以上…、被害者?」


「つまり殺人は、まだまだ続きそうって事ですよ」






 橘病院の真ん前で営業しているカレー店マヒナ、ランチの営業が始まった。

 塁は何軒かの聞き込みを終えて、その店へと戻ってきたのである。

 それは橘病院の元看護士が、その店で働いているので内部事情を聞きに来たのだ。


「先ず最初に、お伺いしたいのは病院を辞めた理由からなんですが」


「院長の奥様が亡くなられた事ですね、あの時は辛かったです」


「確か自ら命を絶たれたんですよね?」


「辛いのは、その理由を知ってしまったからなんです」


「奥様の自殺の動機を、ですか?」


「ええ、それが…」


 元看護士の店員は、その表情を曇らせて話し始めた。

 その元看護師と鳴神早苗は病院では同期だったのである。

 暫くして早苗は麦秋と結婚して橘姓となり、その後に病院を退職した。

 夫婦円満だと思っていた所に麦秋の浮気を知ってしまう。

 それもまた病院で働いている看護師の一人であったのだ。

 その後に早苗の逝去の知らせを受けて、その事実に悩んだ。

 そんな或る日に、このマヒナの従業員募集の貼り紙を見て病院を辞めてしまう。


「院長の浮気が原因であると…?」


「私は、そう思っています」


「今回の事件については何か御存知でしょうか?

 もし記事になる様な事なら匿名に致しますので、お気兼ねなく話して下さい」


「月鳴神会が関係しているんじゃないでしょうか?」


「ゲツメイシン…会…ですか?」


「あら記者さん、ご存じ無いんですか?

 早苗は鳴神菖蒲の娘なんですよ、あの話題の新興宗教の会長の」


「ナルカミアヤメ…橘麦秋の義母ですよね」


「そうです、だから今回の一連の事件は月鳴神会が関係しているかと思って」


「これは大変、貴重な情報です。

 ニュースでも、その辺りは報道されてませんしね」


「テレビ業界にも団体関係者は多いと噂になる位ですから、その圧力じゃ…」


「ありがとうございます、これ食べ終わったら調べてみます」


「当店自慢のカレーですから、ごゆっくりどうぞ」


 微笑みながら、その店員は店の奥に戻って行った。

 それと殆ど同時に塁の後ろの客が席を立つ音がした。


(あれ?まだ誰も客がいないと思っていたのに…。

 話に没頭して入店に気付かなかったのか)


 塁はテーブル横を通り過ぎて出口へと歩く、その客の後ろ姿に驚いた。

 黒い髪に黒い服、背の高い女性だったからだ。

 まるで塁と店員の話を聞き終わったと同時に店を出ていった様に見えた。

 自動ドアが閉まる瞬間に、その後頭部から強烈な視線を感じた。






 捜査本部は、とある刑事の発言によって荒れる気配を見せていた。

 その刑事が、この連続殺人事件はまだまだ続くと言い放ったからである。

 虚を突かれた境に田無が助け舟を出した、その刑事に質問を返す。


「この事件が続いていくって…、その根拠をお伺いしたいものです」


「簡単ですよ、この事件はカウンターでしか起きていないんです。

 この犯人は決して自らは動いていない、お分かりですか?」


「確かに、これは専守過剰防衛って所でしょうか」


「そうなんですよ、こりゃ話が早いですね。

 犯人は先手を打っていない、だから動機は見えないんでしょう」


「つまり事件を動かしているのは犯人側ではない、と」


「月鳴神会じゃないですか、もしくは会のアンチ組織とかね」


「要は橘ではなく鳴神がターゲットだと?」


「でなければメインプレイヤーでしょうね」


 田無は感心した表情で、その刑事の顔を見た。

 見覚えは無く、まだ若い。


「失礼ですが、お名前は?」


「竹春です、これ名字です」


「竹春刑事、会議終了後に殺害された穂張容疑者の関係者に話を聞きます。

 同席して頂けますね?」


「喜んで」


 境は二人の会話に参加する事も出来ず、ただ黙って頷いていた。






 持って来たピッチャーからテーブル上の塁のコップに水が注がれた。

 全くカレーを口に運ばなくなったスプーンを見てマヒナの店員は行った。


「カレーもしかして、お口に合いませんでした?」


 ハッと我に返った塁は、その店員に慌てて返事をした。


「いえ、もっとチーズが溶けた方が好みの味になると思って…」


「ああマヒナカレー、チーズたっぷり入ってますからね~」


「それより今のお客さん、よくお見えになる方ですか?」


「あれ、お客さんなんて居ました?」


「あの…黒い服を着た女性だったんですけど」


「ああ、その方ならランチによくいらっしゃいますね。

 看護師さん達と同時に入ってくるから病院の方だと思ってたんですけど」


「でもナース服じゃないですよね」


「入院されてる方の付き添いかなんかじゃないですかね」


「なるほど」


 塁は、また食べに来ますと言って店を出た。

 塁を見送った店員は、そのドアが閉まると同時に振り返って店長に声を掛けた。


「いつものカラスみたいな人、今日も来てました?」


「オレは接客してないよ」


「あれ変だな、もしかして記者さんの勘違いかな…」






 義母である鳴神アヤメが喪主の代理として橘麦秋の葬儀は執り行われた。

 参列者はアヤメと麦秋の弟の健午の娘、五月の二人のみである。

 棺の中には橘麦秋、自宅内で侵入者により刺殺される。

 その妻でありアヤメの娘でもある早苗、自らの命を絶つ。

 娘の夏初、事件のショックから意識は回復するも現在もまだ入院中。

 喪主だった麦秋の弟の健午、自宅内で襲撃され重傷を負い入院中。

 健午の妻であり五月の母親である紅葉も、また精神を病んで入院中。

 身内だけの葬儀だった筈が、その身内が削り取られていたのである。


 アヤメと五月は出棺の車を見送って自分達の迎車へと乗り込んだ。

 広々としたバックシートにもたれた途端、二人の顔は残業後の表情に戻った。


「月詠み様、大丈夫ですか?」


「少し疲れましたね、でもこれで第一段階は上手くいったという事ですね」


「早苗と紅葉の事が無ければ完璧だったのでしょうが」


「でも、そのリスクは多少は感じ取れてはいたのでしょう?」


「…」


 押し黙ったアヤメに五月は、ほんの僅かだが同情した。


「それで、あの事件の犯人の捜査状況はどうなっているの?」


「会の者が捜査本部に上手く潜り込めたようでございます。

 これで警察を動かし、そして犯人の情報を一足早く手に入れられるでしょう」


「分かったら、どうするつもり?」


「勿論『いぐるみ』に処分させます」






 境と田無は竹春刑事を乗せてマーチTVのスタジオに到着した。

 車内で竹春は急速に先輩刑事の二人に馴染んでいく。

 スタジオには穂張涼が関わった最新の仕事の関係者が集められていた。

 その中にはリポーターとして参加していたコッコの姿もあった。

 田無が質問をするのを境と竹春が、やや離れて見守るスタンスを取った。


「コッコさんは芸人をされているんですね」


「エイプリルフールズっていう女性コンビです」


「プリフルの方だったんですか…テレビでネタ見た事ありますよ」


「えっ、ほんとですか…刑事さんでも見るんですね」


 刑事である田無からの意外な返事にコッコの緊張は溶け始めていた。

 キョトンとしている境の横、竹春も笑顔で頷いていた。


「穂張容疑者の最近の印象を聞かせて貰えますか?」


「ワタシには、あんな事をする様な人には見えませんでした。

 どちらかと言えば大人しいし、あんまり話もしないし」


 そこでコッコの隣の席のディレクターから言葉が挟まれた。


「ディレクターの芳歳です、あいつの家の事で気になる事が在るんです」


「ヨシトシさんですか、それって何の事でしょう?」


「穂張の家は何か新興宗教で破産したみたいなんです」


 三人の刑事は色めき立った、それを見て芳歳は話を続ける。


「一緒に飲みに行くと酔っ払って、よく喋るようになるんです。

 そうすると決まって自分は親ガチャにハズレたって言ってたんですよ」


「親ガチャね…」


「両親が新興宗教にハマって破産したから自分は大学に進学出来なかったって」


「もしかして、その宗教って月鳴神会だったとか?」


「いやぁ、そこら辺は詳しくは聞かなかったんですけどね」


「それなら橘健午を襲う動機もなくはないか…」


 そう呟いた田無に対して今度は竹春が口を挟んできた。


「月鳴神会は、お布施を受け付けていないですよ。

 ましてや、そんじょそこらの者では入信さえ出来ない筈ですし」


「ああ、そう言えばそうでしたね…」


「それに当然ですが信者の名簿すらありません、だから誰が入信してるのかも…」


「信者同士じゃないと分からないって訳かぁ」


 今度は境が不機嫌な口調で吐き捨てる様に言った。

 コッコは自分も穂張の言っていた事を刑事達に話そうとした。

 だが境の言葉で、そのタイミングを逸してしまったのだった。


「今日は、これ位で終わりにしときましょう。

 また何か思い出したら我々に連絡して頂きたい。」


 コッコは話そうかと躊躇した、その目が竹春と合った。






 マヒナを出てから聞き込みを続けていた塁、不思議な感覚に襲われていた。

 話を聞いた何人かに、まるで示し合わせたかの様に同じ事を聞かれたからだ。

 それは、その人達と塁が以前に合ってはいないかという内容だった。

 最初は交番やパトロールで会った事が在るのかと、ちょっと焦った。

 警察官の時の塁に会っていれば、そう思うのも無理は無いからだ。

 だがそれは皆が話す特徴で、そうではなかった事が分かったのである。


「もっと髪が長くて、うっすらと無精髭も生えていた」


 皆が話す、その特徴も一致していたのだった。

 塁は、かつて髪を伸ばした事や無精髭を生やした事も一度も無い。


(ボクは実は警官なんだから長髪も髭も在り得ないんだけどな…)


 塁は、そう思いながらも余りに一致する人物に興味を抱いていた。

 それ以上にマヒナで見掛けた客、黒い服の女性も気になっていた。


(もし犯人だったら、こんな真っ昼間から出歩いてる訳無いけど。

 一応、境刑事には連絡を入れておくか…)


 塁は境に電話を掛けようとして人気の無い静かな場所を探して歩いた。

 そこで近くの神社の鳥居を潜る時、神社の名前を見て思った。


(飛鳥神社…、何か聞き覚えが在る気がするな…)


 塁はスマホを取り出して境に電話を掛けた。






 境の内ポケットから着信音が聞こえた、それは未だに携帯電話のものだった。

 携帯電話の方が移動しながら話し易い、というのが境の主張だった。


「おう境だ、どうだった聞き込みの方は?」


「それがですね、ちょっと気になる点が幾つか在りまして…」


「おう収穫が在ったんだな、それで?」


 境は会話を続けながら席を立ち、そして田無を促して二人で部屋を出た。

 室内には竹春とコッコ、マーチTVのスタッフが残された。

 その途端に竹春がコッコに話し掛けた。


「先程、何かを言おうとしてませんでしたか?」


「はい、そうなんです。

 大した事じゃないかも知れないんですが穂張君との最後の会話で…」


 コッコは穂張が言った、あの突撃取材のテープの話を告げた。

 音声から微かに鳴神アヤメの言葉が聞こえる、という話を。


「そのテープは今も残っています?」


 聞かれたコッコがディレクターの方をチラッと見た。

 ディレクターが首を振りながら竹春に言った。


「テープは警察に一時的に押収されたみたいです、ええ」


 それを聞いた途端、今度はコッコが竹春に言った。


「でもワタシは自分が映っているのでデータを頂いています。

 次も取材する予定だったので、その参考としてですが」


「彼の言った通りに何か聞こえたんですか?」


「いえ、あの事件が在ってから映像は見返してないんですよ」


「もし良ければ、そのデータを送って頂けませんか?」


「でも警察はテープを調べるんじゃないんですか?」


「そうなんですが、ちょっと個人的に調べてみたいんです」


「分かりました…アドレスさえ教えて頂ければ後で送ります」


「ヨロシクです、ありがとう」


 その会話が終わる寸前に境と田無が部屋に戻ってきた。

 竹春は今していた会話については何も二人に話さなかった。

 境が竹春に告げた、その声には先程よりも張りが出てきていた。


「聞き込みから有力な情報が幾つか寄せられた、それはな…」


 容疑者はカメラ調査の結果、交通機関は使用していない可能性が高い。

 つまり徒歩、或いは自転車で逃亡した可能性が高い。

 長距離の移動は物理的に不可能である、となると潜伏の可能性が高い。

 病院の周囲で、それらしき人物が浮かび上がってきている。

 だが当然、身元は割れていない。

 聞き込み調査を中心に病院の周囲を調査する方針とする。


 境からの話を聞きながらも竹春は音声データの事で頭が一杯だった。

 メモを取るフリをしながらコッコに渡すアドレスを書いていた。

 









 




 













 








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る