第30話 タナボタ相続
「最近、何かあったのですか?」
アンが聞いてきた。
「なにがって何ですか?」
私はツンとすまし返って聞き返した。
なんとも油断も隙もない侍女兼女中である。
「どうも旦那様との距離感がおかしい」
「何を言っているのかしら。それに、そんなことはあなたとは関係ないでしょう。台所に戻って、メアリの手伝いをするように!」
アンは薄気味悪くニヤリと笑って、台所に戻っていった。
可愛くない使用人だわ。主人の私がからかわれているみたいだわ。
でも、とにかくアンなんかに構っちゃいられないのだ。
王都の社交界は今、風雲急を告げている。
なぜなら、変人で有名だった、厄介なラムゼイ伯爵の後継がやっと決まったからだ。
誰もが垂涎のたなぼたらしい。伯爵家の財政状態が思っていたほど悪くはないらしいとも囁かれている。
確かに、どこにどれだけの領地を持ってるかなんて、秘密でもなんでもない。
「問題は屋敷のあの有り様と、庭の惨状よ。誰にも想像もつかないと思うわ。みんな、きっと素敵な庭付きの豪華なお屋敷を想像してるんだわ!」
そして、それを受け取るのは、つい最近結婚したばかりの旦那様。
「今、旦那様って言ったね?」
真顔で、旦那様は私の顔を見た。目が笑っている。
「ダメですな。アーサーと名前呼びしてくれるって言ったよね」
「つい、うっかりですわ。旦那様でも正解ですもの……」
旦那様が指を二本振った。今のもカウントに入るらしい。
「これで二回。せめて、私の夫と呼んでくれたら、考慮の余地があると思うんだけど」
旦那様は、キスを強要する。
うわあああ、近い、近い!
「近づかないで、どうやってキスするつもりなんだい?」
「投げ……キスとか?」
「なにかのスターのつもりなの?』
呆れ顔の旦那様が近づいてきて、ちゅっとリップ音がする。
は、恥ずかしい……
だが、アンもメアリもセバスも完全無視である。
食堂の空気は冷え冷えとしているが、旦那様はまるで平気だ。
「新婚夫婦だからね」
違いますってば。
しかし、そんなこと、大声では言えない。
相続の当事者である旦那様は、さぞ大変なんだろうなあ。
出かけていく旦那様の後ろ姿を見送りながら、私はぼんやり考えた。
私だって、これから、どういうわけか意気投合した姉とハリソン夫人がお茶にやって来るのである。
私のご縁で?知り合いになった二人は、たちまち切っても切れない大親友になった。
でも、これ、親友と言うのだろうか。
ものすごく近い感じがするのよね。社交界の動きにやたらに敏感なところとか、常に話題の最先端を突っ走っているところとか。
考えてみれば予想がつく通り、この二人は当然のようにウマが合った。
そして、この二人は(当然のように)伯爵位相続の話題で盛り上がるためにやってくるのだ(多分)。
「いいじゃないの。伯爵夫人」
自らも伯爵夫人のくせに、姉は、お茶を飲みながら堂々といいじゃないとか、のたまった。
「素敵ですわ、ファーラー夫人」
ハリソン夫人の方は、この未曾有の玉の輿?事件に目を輝かせている。
「独身の伯父や伯母から思わぬ遺産の恩恵に預かる方の話を聞くと、自分にもそんな親戚いないかしらなんてよく思いましたけど、実際にいるのですねえ」
他人の嫉妬や嫉みが怖い。
「まあ、確かに妬まれる方も多いと思います」
私はハリソン夫人の言葉に震え上がった。
目をキラキラさせながら、そんな恐ろしい予言はしないで欲しいわ。
「でも、庭はすごい有様だったんでしょ?」
そんなにいいものではない。二人とも知っているはずだ。
「ええ。あれをどうにかしようと思ったら、いくらかかることやら。とんだ貧乏神……貧乏伯爵ですわ」
私はため息をついた。
「でも、思ったほど、財政状態は悪く無かったそうじゃないの。領地があるのよね?」
姉が慰めてくれた。
「でも、領地も長年放置してきたので、収入は雀の涙だそうなんです。これで、外見だけでも整えようと思ったら、大変な出費になります。騎士の俸給でつましくやっていくはずだったのに、降って湧いたようなこの騒ぎ。伯爵家に相応しいパーティなんかできっこないわ」
「そういえば、屋敷の中もすごかったって言ってましたものね」
ええ、ええ。二人とも死ぬほど笑っていたじゃありませんか。あれが、自分のものになるのですよ? ハンカチでホコリを振るって、さらにスカートにシミがつかないか心配しながら座らなきゃならない椅子なんか嫌ですわよ。
「椅子一脚の修理代だってバカにならないわ」
「まあまあ。いっそ、その惨状を皆様に見ていただいたら?」
姉は人ごとなので、笑顔で言う。
「そんな恥なパーティは、できかねます」
「あら。お友達だけお招きになればよろしいのよ。ゴミ屋敷、探訪ツアー」
「そうそう。あれを見たら、思いもよらぬ伯爵位を手に入れて、うらやましいなんて妬む気が無くなっちゃうわよ」
ハリソン夫人は提案してきたが、その中に自分もちゃっかり入っているに違いない。要するに、自分自身も見てみたいだけなのだ。
だが、この二人が完全に忘れていることがある。
つまり、ラムゼイ伯爵はまだ存命中なのだ。
「見舞いに行ったものかどうか……」
別に行くのは当然だと思うし、義務から逃げるつもりもない。
しかしながら、ラムゼイ伯爵は、足は動かないし、医者に言わせると心臓も弱ってきているそうだが、
「なにしろ口だけは達者だそうで…」
「なるほど。何を言われるかわからないと」
訳知り顔で、ハリソン夫人が引き取った。
「……そうなのです」
そしてお見舞いの申し出には罵詈雑言で返してきた。
さすが筋金入りの変人……いやあれを変人と呼んだら、変人の皆さんがお気の毒だ。
姉とハリソン夫人は吹き出していたが、きっとラムゼイ伯爵の怪返答もいいネタにされるに違いない。
「今晩は、オペラに行くのよね?」
笑いながら姉が聞いた。
「はい。それで新しいお衣装を届けに参りました」
ハリソン夫人が返事した。
なんだか本当に、生活が上流社会の一員ぽくなってきている。
当初の計画によれば、人違いが発覚した時点で、実家に戻る予定だった。
私の男怖い病なんか、治る予定もなかったし、旦那様の勘違いは余計に恐怖を呼び込むだけだった。
それなのに、まずは、無理矢理、旦那様の部屋での同居が始まり、次にオペラにいったらモリス氏が寄ってきた。次は女性にだらしないので名高いというモリス氏が自邸を訪れ、知らない間に私を警備しいていたというヘンリー・バーティがやってきた。さらには、旦那様が何をトチ狂ったのか毎晩口説き続ける事態が続き、さらには伯爵家の再建が私の双肩にかかってきた
「目まぐるしいわ」
「まあ、がんばんなさいよ」
ハリソン夫人が辞去した後、姉が簡単そうに言った。
「できなかったら、それなりよね。誰しも、頑張った分の評価しかもらえないのよ」
お姉様。そういう問題なのかしら? この結婚、最初は離婚必至でしたわよね?
それが今では、素晴らしい玉の輿結婚物語に化け、ラムゼイ伯爵夫人として、いかにそれに相応しく夫を支えるかって話にすり替わってますけど……
事情は変わってしまった。
私は賢夫人として伯爵夫人の名を汚さぬよう頑張るべきなのか。
それとも、自分のしたいことを貫くべきなのか。
「まだ、離婚しようとか考えているの?」
「う……」
「ファーラー氏が怖いっていうの?」
私は首をふった。
旦那様は、アーサーは、とても特別なひとだ。
彼の存在は大きくなっていて、そして心の奥底の警戒音は慣れで気にならなくなってきた。
それでも、やっぱり彼の行動はよくわからない。どうして私なんかを好きだって言うのかしら? ちっとも美人ではないし。
「大事な人は一人だけよ? 美人順に好きが決まるというなら、世の中、不満だらけになってしまうわ。政略結婚だろうと、お互いのことを大事に思うなら、その結婚は唯一無二の幸せよ」
姉は言った。
「今日はオペラハウスに行くんでしょ? 頑張って! 伯爵夫人!」
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