閑話 ナズナの初舞台
レイシアさんのご縁で王国歌劇団に就職できました。おまけにメイド喫茶黒猫甘味堂でアルバイトもさせてもらえることになりましたわ。こんなことならメイドコースを履修しておけばよかったですわね。
貴族街の劇団に入れないことに未練はありますが、無職で芸術の道をあきらめることになる未来はなくなりました。
でも、私の法衣貴族としての籍はどこまで維持できるかという不安はあります。独身である限り家の籍を名乗れるのですが、年齢が重なる前にお相手を見つけないといけません。
夢と現実は両立するのが難しいですわね。
劇団員の多くはメイド喫茶で働くか、夜のお店で働いているそうです。生きていくには日銭を稼がないといけないと先輩たちに言われています。
今は寮暮しですが、卒業すれば出ていかなくてはいけませんよね。今アルバイトで来ている事だけでもありがたいと思わないと。
貴族の楽団や劇団に入れないのが決まってからは、高い授業料の教室もやめました。なんとか独立のための初期費用も貯めておかないといけませんわ。
初めて稽古場に行ったときは本当に驚きました。
場末の飲み屋街のさらに奥にある空き倉庫のような所で稽古をしていたのですから。
うだつの上がらない酔っぱらいの冷やかしを受けながら稽古場まで行くのですよ。怖いったらありません。
「すぐに慣れるし、手は出させないように組に報告しているから」
ナノ様がそういって笑っていましたが、いつまでも慣れません。
本当にこの劇団に就職して良かったのでしょうか。
◇
劇団では基本的にお給金は出ません。むしろ赤字の補填でチケットノルマが課されますわ。
それは貴族街の劇団でも同じ。チケットがノルマ以上に売れる人は枚数に応じてキックバックとして二割頂けますし、またトップクラスの役者は出演料がもらえるそうです。
私は寮に住んでいるのを最大限利用してチケットを売り捌きました。ノルマ分は売れましたし、売りきることができない先輩の分も売ってあげました。
もっとも、今年は大量に売れているらしくて、チケットノルマも軽かったみたいです。「去年までの苦労はなんだったの?」と先輩たちがぼやいていました。
人気劇団という話でしたが、内情は大変みたいです。卒業したら大丈夫でしょうか?
◇
ナノ団長から、新しい仕事を頂きました。劇団員に対するダンスや貴族の仕草の指導です。
「どうしても平民の役者が多くてさ。ナズナみたいな学園出で教育を受けたことがないと基礎ができないんだよ。僕たちは新しい喫茶店のことで忙しくなってね。指導役引き受けてもらいたいんだ。もちろん安いけど指導料は払うよ。なにより君の実力を示すチャンスになるから。仲間からの信頼を得ることはのし上がるために大切だしね」
願ったりかなったりですわ。お金はいくらあっても足りそうにありませんし。
私は指導役を受けましたの。
学園での教育の高さに気が付けるほど、ダンスは適当でしたわ。平民街では誤魔化せても貴族街ではダメダメです。基礎からみっちり直していきませんと。
かなりましになった頃、ナノ団長から貴族街の劇場で公演ができる事になった話が伝えられました。皆さま喜んでおりますが、今のダンスや仕草ではいけませんわ! ナノ様やニーナ様、またメインキャストの先輩たちは大丈夫ですが。アンサンブルを担う大勢の先輩たち、特訓しますわよ!
ナノ団長には「ナズナが入ってくれてよかった」と感謝されましたわ。
◇
そのおかげか、わたくしにも役が付きました。とは言っても出番は一瞬です。しかも本編では悪役令嬢に雇われヒロインを攫おうとするならず者Dの役。セリフは「おう!」だけです。
このような下品な役、できる自信がありませんわ。寸劇では執事喫茶のウエイター。セリフは「はい!」だけです。男役ばかりなのは身長のせいでしょうか?
「どんな役でも大切な役だよ。ナズナには期待しているんだよ。それに自分と正反対の役をやることは役者として良い経験になるから。恥ずかしさを捨てないと役者としては成功しないよ」
ナノ団長が言います。そうですわね。わたくしにできない役などありませんわ。
でもセリフ一つでもガラを悪くするのは難しいですわ!
◇
本番直前に、ならず者A役のノン先輩が怪我をしました! この劇団で汚れ役をできる数少ない個性派役者ですのに!
ってレイシアちゃん⁉ じゃなくて、レイシア様! 雇用主でスポンサーなので学園と違い様付けで呼ばないと! いえ、そんなことはどうでもいいのです。なぜノン先輩の代わりがレイシア様なのですか⁈
先輩たちから不満の声が上がります。そうですよね。でも、ならず者できる先輩って誰かいますか?
みんなかわいい役やかっこいい役しかしたくないのですよね。
団長が言った「いろいろな役ができるようになった方がいい」って、こういう時に実感できます。
レイシア様が台本を持ち、セリフを言いました。
「痛ってえ~。 ああああ~、何するんだよてめえ。人にぶつかって謝りもしねえのか!」
はぁぁぁぁ? 確かにそこにならず者がいました。すごい迫力です。わたくしが言うのも
「おう、よう見たら綺麗な顔してるのう。ちょいと付き合えや」
周りはドン引きですわよ~、レイシアちゃん、何ですのそのリアルなならず者!
「やっ、やめて下さい!」
ニーナ先輩がセリフを重ねます。
「肩外れてしもうたやないかい! どうおとしまえつけてくれるんや、われえ! おめえら、かっさらえ!」
私のセリフです。
「「「おう!」」」
全然ダメです! レイシア様の迫力についていけていません。
これが演技、これがお芝居。たとえ一言でも場を崩すことがあるのですね。
誰も代役がレイシア様で文句を言わなくなりました。
私達ならず者B~Dの三人は、「「「おう!」」」の練習を本番近くまでやり続けました。よりヤサグレるために、より迫力を出すために!
◇
オープニングのダンスパート。わたくしがセンターで先輩たちをリードします。指導者としての責任と役得です。
それが終わると、すぐにならず者の衣装に着替えメイクを直します。舞台用のドレスは脱ぎ着が簡単になるように出来ています。このドレス、学園時代に欲しかったですわ。
「ナズナ先輩。がんばりましょうね」
レイシア様が可愛らしい声で言ってきます。でもメイクはやさぐれた男性のならず者。ギャップが激しいですわ!
「緊張なされているの?」
いきなり舞台に立つのですもの。先輩として気を使わないと。
「緊張? 狼の群れと戦う時に比べればなんてことないです。焦っても死ぬことはなさそうですし」
何をおっしゃっているのかしら⁈
「ま、まあ、全力で頑張りましょう」
優しくエールを送ると、またしても意外な答えが返ってきました。
「ナノさんとニーナさん、それにサチから『レイシア様は本気出さないで! お客様が卒倒するから! 一割、いえ、1パーセントまで抑えて!』って言われました。だから全力はだせないのです」
私達を混ぜないでどんな練習していたのですか⁉ 同じシーンに立つのにわたくしたち混ぜてもらえなかったのですよ!
「間違えたらフォローしてくださいね」
え? ええ。先輩として……、できるのでしょうかそんな事。
一抹の不安を抱えながらも時間が来てしまいました。
◇
これで1パーセントなのですか⁈ なんですのこの迫力! この緊張感! 台本読んでいた時と段違いの怖さとヤサグレ感!
早々に出番の終ったわたくしたちは、レイシア様の演技を見続けました。本当は舞台に上がっているはずのノン先輩も、必死な形相でレイシア様を見つめています。
「ここまで……できるのね。私もまだまだだわ」
まだ1パーセントらしいですよ! とはとても言えません。なんですの、殺陣の強者感は! 王子役のナノ様が劣勢に見えてしまいます!
「舞台終わったら、レイシア様に演技指導をして頂かないと……」
青ざめた顔でブツブツとノン先輩がつぶやいています。今までの演技感がボロボロと崩れ落ちたと絶望しているようです。
明日の舞台、大丈夫なのでしょうか。
レイシア様の出番は終わり袖に戻ってこられました。急いで楽屋に戻り、次の出番、バックダンサーのメイクと衣装に着替えなくては!
レイシア様がつぶやいております。
「あれでよかったのかしら。迫力出さなかったけど。ならず者ってもっと迫力出しても良かったよね」
十分ですわ! あれ以上はきけんですわよ!
大声で突っ込みたかったのですが、黙っていましたわ!
メイクを落とし着替え終わったレイシア様に、ナノ先輩が泣きそうな顔で「演技を! 演技を教えて下さい!」ってすがっていたのはまた別のお話。
舞台は成功でしたわ。フィナーレで客席から扇を掲げられてキャスト・スタッフ・観客が一体化した時は本当にこの劇団に入ってよかったと思った。
もう学園の寮に帰ることもできない。これから貧乏な生活が始まる。それでも舞台の上はこんなに華やかで、感動にあふれている。
今はこの瞬間が全てだ。
わたくしはこれからスターへの道を歩むのですわ!
そう思いながら満面の笑顔で、最後の礼をしました。
ゆっくりと幕は閉まり、いつまでも続く拍手の中、わたくしの初舞台は終わったのでした。
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