閑話 学園長の困惑


 どうやら目の前のクリフト・ターナー子爵は現在困惑しているようだ。

 仕方がない。いきなり領主候補の長男が伯爵令嬢との婚約を決め、伯爵とサシで今後の方針を決めるというのだから。領主としても、父親としても、意見を差し挟む隙のない行動力と判断力なのだが、もう少し子爵に花を持たせても良かったのではないか?


 メイドがお茶と菓子を持ってきて子爵に声をかけた。


「そりゃ、旦那様は子育てをしていないのですから」


 うん。聞かなかったことにしよう。領主としては子育てより仕事が優先になるのは仕方がないことだ。


 お茶を飲んで落ち着いたところで、私はレイシア君が学園でどのように過ごしているかの報告を始めた。


 うん。分かるよ。そういう反応になるよな。王子に対する不敬とも言える対応の数々。騎士団相手にやりたい放題。いきなりの会社経営。魔道具の開発。王子への食事提供。膨大な借金。まだまだあるが、もう一杯いっぱいだろう。ここらで止めておこう。


「その、魔道具開発っていうのは一体どういうことなのでしょう。先日から誰に聞いても良く分からないのです。料理を作るかまどと風呂を沸かす機械ということだけは分かったのですが」


 それを私に聞くのか? 私は体験していないのだが。


「魔道具と言うのはですね、主に軍で研究している物だと聞いています。魔法を使えないものでも魔法と同じ、場合によってはそれ以上の効果をもたらす兵器の開発をしているのです。魔力の高い高難度の魔物から取れる魔石を使うことで、魔力を魔法に転換させるのです。ですがレイシア君の発明は、クズ魔石から魔力を取る画期的なやり方を開発したようですね。私も実物は見ていないのですが、シャルドネ先生の報告によれば、王家が管理しないととんでもないことになる発明品のようです」


 固まるよね。泡拭いて倒れそうになっているよ。分かるよ。私も報告受けた時同じようになったから。


「軍の関係者の発言では、魔道具開発が百年以上一気に進んだと絶賛されているようです。簡単に持ち運びできるかまどがあるだけで、進軍がどれだけ楽になるかと試算しているらしい。また、風呂を沸かせるということは、大量の水をお湯に出来るということです。遠征で熱湯を大量に作れる。傷の治療や衛生面でどれだけ効力があるのかはかりしれないということです」


 煮沸消毒が簡単に行えるだけでどれだけ楽になるか。そんな研究が始まっているらしい。


「昨日入った温泉は実に素晴らしいものでした。お湯のお風呂の素晴らしさは温泉を知っているなら分かるはずです。それを体験した高位貴族のご夫人やご令嬢が、お湯を沸かす機械を欲しがっております。もし一台しかなくオークションにかければ億でも落札できないでしょう。それほど期待されているのです」


 一応、シャルドネ先生やドンケル先生などから聞いたことを話した。信じられないよね。ああ、固まってしまったよ。話を変えよう。


「それはそうと今年の入学生、ターナーの法衣貴族の成績がやたらと良かったのですが。もう少しでAクラスに入れそうな生徒までいましたし、Cクラス以下は誰もいない。一体何があったのでしょうか」


「それについては、息子のクリシュに説明をさせようと思っていたのですが……。まあ、あんなことになってしまって申し訳ない」


 あ、そうだね。邪魔しない方がいいだろうね。


「先程教会に連絡をしておいた。バリュー神父から説明してもらうことにしようと思っている。もうじき来るので一緒にご移動願えますかな。子供たちの学習を直接見て頂けると分かると思います」


 願ってもない提案に、心が躍った。もちろんだ。現場を見るのが一番早い。

 久しぶりに会うバリューと、あちらこちらの学習会場を巡った。



 一体どうなっているんだ、このターナー領の教育は!


 えらいものを見た。いや、確かに二年前シャルドネ先生から視察の話は聞いたが。ここまでとは報告しなかったはず。


「ああ。あの時は孤児しか教育をしていなかったからね。教会の関係もあるし、報告は少しばかり手心を加えてくれるよう頼んでおいたんだ」


 

 バリュー、それじゃあ何のために視察させたか、意味がないではないか。


「そうか? それなりの報告はしていたはずだが。それに、見てみないと理解できないだろう?」


 そうだな。まさか法衣貴族が一番学力が低くて、平民が法衣貴族より勉強できるとは……。というかだ! なんだ孤児の学力の高さは! おかしくないか!


 俺だってな、頑張って教育を改革しようとしているんだ! 教会の隙を縫うように、やっと学園入学前の高位貴族を集めて事前学習会を開けるようにしたんだ。それで大分学力が上がったのだが、ここの法衣貴族と比べると全然じゃないか! って言うか孤児おかしくないか!


「孤児はもともとレイシア様と机を並べていましたから。そこの卒院生が教えていますし学力は上がりますよね。クリシュが教えるようになってからは更にレベルを上げているしな」


 領主候補が孤児に教えているだ? だってまだ十歳だろう? 今頃同じ年の貴族子女は王都に集まって読み書きの基礎を習っているのに。どうしてここにいるんだ? 招待したのに。


「息子は去年一年上のクラスに紛れ込んで『レベルが低すぎです。バカばっかりでした。時間の無駄でしたのでもう行かなくていいです』と言い切ったんだ」


 バカばっかりか。確かにさっきの一件をみたらそうなるよな。だがな、貴族同士のつながりを育むのも大切なんだよ!


「クリシュ様は学園に入ってからで十分だと仰っていますね。ガキ過ぎて話にならないとおもっているようです」


 羨ましいよ。まったく。俺が思い描いた教育改革の何倍も凄いことをやっているのか。しかし孤児が一番ってどうしたいんだ?


「当たり前です。身分の低いものほど読み書きができなければ仕事につけないでしょう? 立場がよわければ武器が必要なのですよ。学問とか狩猟技術とか」


 狩猟もするのか? 


「もちろんです。ほら向こうで解体が始まりますよ」


 小さい女の子たちが、大きなナタやナイフやのこぎりで解体をしている。内臓を持って笑っている。何だこの光景は……。


「新鮮な内臓は御馳走ですからね。肉の加工も孤児が行いますし、皮のなめしもできるのです。そう、石鹸も孤児たちが作っているのですよ。何でも王都の貴族が高く買ってくれるようで喜んでいます」


 石鹸? もしかして液体のもか?


「ええ。全て孤児たちがクリシュ様の工場で作っています」


 クリシュ様の工場? 領主のではなく?


「ああ、私はノータッチなんだ。レイシアとクリシュが勝手に始めたから土地と資金を手配して後はまかせきりだ。どうせ領主を交代する時に面倒くさい手続きがあるんだ。それならば最初から任せてしまった方が楽だろう。新規事業はほぼクリシュと孤児で回している。私は立ち上げの資金繰りで一杯いっぱいさ。次から次と事業広げやがって……」


「孤児だけでは手が足りなくなってきましたから、最近は平民も雇っているみたいです。そのため平民のやる気がはねあがっていますね」


 孤児の手が足りなくて平民を雇う? 俺がおかしいのか? 何か違うように思えるのだが?


「平民では孤児のレベルまで手が届きませんけど、まあやる気があれば伸びるでしょう」


 何言ってんだか理解したくない……。いや、おかしいだろう! 教育って……。教育の改革ってそうじゃないだろう? ないよな。 ないはず……。


 確かにこれは報告できない……。ターナー子爵が俺の顔を見て頷いている。そうだな。常識人にはつらいよな。分かるよ。よく領主として頑張っているよ。


 気持ちが通じ合った気がした。目が合った後、同じタイミングで大きなため息をついたのはそういうことだな。


 ああそうか。そもそもの原因はお前か、バリュー! やりたい放題やったんだろう!


 子爵を見たら、『その通り』とばかりに首を大きく振っていた。

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