閑話 お祖母様の鬱屈

「裏切られた」


 消え去ったアリシアのドレス。思い出の数々。あの人は、それらを簡単に持ち去っていった。


「ああ、アリシアの娘に贈るんだ。アリシアも喜ぶだろうよ。なに、ほんの一部じゃないか」


 アリシアの娘、レイシア。あの平民のような、しつけの出来ていない娘。あの男の娘。

 私は、3年前の夏の事を思い出した。


 まったく貴族としての振る舞いも出来ない子だったわ。なぜ、私のアリシアからあんな子が。平民の言葉遣い。平民の動き方。平民の体付き。アリシアの面影があるのに、なんであんな教育も施されない野蛮な子に……。料理? 計算? そんなものは平民や使用人に任せればいいのよ。貴族子女としての意識もプライドもまるでないあの子。せっかく私が教えてあげようとしたのに、楯突くように暴言を吐き逃げ出した娘。


 大嫌い。あの子。


 なぜそんな子に大事なアリシアの形見を与えないといけないのよ。私に相談もなく。あの人の一存で。



 私は貴族として、貴族の息子と結婚したかった。ええ、貴族の結婚は両親が決めるもの。それは分かっていたわ。もともと、田舎の男爵だったオヤマー家。


当時、没落して金に困って罪を犯した子爵がいた。当主は捕まり子爵家はおとりつぶしになった。王都の隣でダウンタウンと化した子爵領。


その荒れた借金まみれの地を押し付けられたのがオヤマー男爵。私の祖父だ。代わりに男爵から子爵になった。オヤマーが選ばれたのは、お祖父様が学生時代に酒造りの特許を取った才覚を認められたから。オヤマーを酒蔵の町として発展させたお祖父様とお父様。その右腕として頼りにされたあの人。貴族でもないのにその才覚でのし上がり、父の後継者として私があてがわれた。貴族でもないのに。


 私の社交界での苦しみは何だと思うの。平民と結婚した女。貴族に相手にされなかった女。しょせん成り上がり物の娘。金で爵位を上げたオヤマー家らしいわ。そんな陰口をたたかれ、笑いものにされる若い頃の日々。


 私は金で情報を集め、敵対する相手を貶めた。高位の爵位を持つ方々に高価な贈り物を欠かさず、情報を流し、役に立つ者として立場を強めた。それと同時に、最先端のファッションや流行を作り、社交界での立場を安定させることができるようになったのは、若さもう衰えた年になってから。


 若い頃の苦労が報われた? 冗談じゃない。若い頃にちやほやされなかったのよ。それが貴族の女性にとってどれだけの屈辱だったか……。分からないでしょうね。


 お父様とあの人の才覚は確かなものだった。私がいくら使おうが困らないだけ利益を上げ続けたのは認めてあげるわ。でも、それだけ。貴族の結婚に愛情など不要。分かっているわ。そんなものよ。



 だいぶ前の事になるけど、王家から伯爵に格上げしないかと打診が来たの。オヤマーの収益が上がり、国としても爵位を上げて税を増やそうという提案だったわ。


 社交界では、伯爵から本当の貴族。そんな雰囲気があるのよ。私は喜んだわ。伯爵! 伯爵になれば、あの人の評価も変わる。平民でありながら爵位を上げた本物の貴族として扱われる。そうなれば私の評価も、平民としか結婚できなかった女から、夫の爵位を上げた、内助の功にたけたすばらしい奥方に変わる。社交界での女性の評価は男性の政治力にも反映されるのよ。私が育てた信頼とネットワークが力になったのは間違いがない。


 ……しかし、あの人はその提案を断った。まだ伯爵として立ち回れるほどの利益と信用がないと。男爵から子爵に上がったばかりの領が、50年たたず爵位を上げるのも問題ではないかと。

 知っているわ。あの人は爵位より利益、爵位をあげて税や交際費を上げるのが嫌なだけのケチな男なのよ。私のためなんてこれっぽっちも気にしてくれない。相談もしてくれない。私がどれほど喜んだのかも……。


 王家も50年という所に問題を感じたようだった。他の子爵に影響が出ないとも限らないから。提案は白紙に戻された。


 期待だけさせられた私の落ち込みが分かるかしら。あなただけじゃない、私の努力もあっての打診だったのよ。私の努力は踏みにじられた。

 伯爵よ。夢の貴族中の貴族の伯爵夫人。私に相談もなく勝手に断るなんて。……もうあの人を信じるのはやめた。



 ドレスを持ち去られた数日後、息子が私に会いに来たいと手紙を寄こした。娘に裏切られ、あの人に裏切られ、もう私が信じることが出来るのは息子だけ。

あの子の大好きなお菓子とお茶を用意させ楽しみに待った。あの子は花束を持って私に会いに来てくれた。


 楽しいお茶会。私を気遣ってくれるのは実の息子だけね。それに比べあの嫁は気が利かないし反抗的だ。「お母様、そんな事なさらなくてもいいですわ」とか言いながら、私を追いやり立場を奪おうとする。息子だけだわ。私が心から信用できるのはこの子だけ。


 楽しいお茶会は途中から息子の愚痴を聞く会になった。領主としてトップに立つようになっていろいろ苦労もあるのかと思えばそうでなかった。


「お父様の影響が強すぎて、俺の自由にできない」


 自分のやりたいことが出来ない息子。あの人の息のかかった重役や幹部に、どんな意見やアイデアを言っても鼻で笑われ反論されるということ? 領主に歯向かう従業員など辞めさせたらいいのに?


「そういう訳にもいかないように親父がしたんだ。あいつは俺を認めていないから」


 そういう所はあるわね。あの人この子には厳しい。あれ? あの娘にドレスを渡すほど甘やかしているのに? 


「だから俺は何もできない、ぼんくら領主と陰口を叩かれているんだ」


 なんですって! 陰口! 私は若い頃の社交界を思い出した。あの人は私だけでなくこの子にもあんな苦労と屈辱を味わわせようとしているのね。私は息子の手を取り誓ったわ。


「分かった。私があなたの力になってあげる。あなたのお父様を退けてあげるわ」

「本当に?」


「ええ。あなたのためならあなたのお父様を切ってあげる。だから、ひとつお願いを聞いてもらえる?」


「うん。お母様のいうことなら何でも聞くよ。当たり前じゃないか」


 私は、息子に私の夢を語った。そう、あと数年で50年がたつ。


「私を伯爵の母にして。大丈夫、何もしなくていいわ。王家から陞爵しょうしゃく、爵位を上げる打診が来たら断らずに受けてくれればいいだけよ。約束してくれるなら、あなたのお父様を追い落としてあげるわ」


 女性の仕事も恨みも、社交すら甘く見ているあの人。私が教えてあげるわ。女性が本気を出せば、どれほどの事ができるかってね。平民上がりの私の旦那様。

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