閑話 店主の動揺 ②

 この店をもう止めてしまおう。


 そんなことを思っていた閉店間際のあの日、学園の制服を着た少女が店に入ってきた。


「いらっしゃいませ。もうじき店は閉まりますがそれでもよろしいですか?」


 少女はコクンと頷くと、カウンターに座った。


「メニューです」


 僕は精いっぱい愛想よく言うとメニューをわたした。

 その子は、おすすめと書いてあるティーセットを注文した。


 クッキーを一枚食べた時、


「甘い!!」


 と言うとポタポタと涙を流した。


「どうしました?」


 僕はあわてて声を掛けた。


「甘いんです。クッキーが。甘いんです」


 そういえば、妻もクッキーが甘すぎるといつも言っていたな。


「君は、辺境の出かい? 僕の妻も、最初に出会った時同じような反応していたよ。……なにか辛い事でもあったのかい? 話してごらん?」


 僕は、学園の制服を着ている女の子に、出会った頃の妻の姿を重ねていた。

 話を聞くとこの子は奨学生。学生時代の妻の事を思い出してその子の話はちゃんと聞いていなかったかもしれない。それでもつらい立場で頑張っているその子に、僕は妻に言っていたように声を掛けた。


「そう、奨学金で学園に……。えらいね」


 目の前の少女がボロボロ泣き出した。声も立てず、表情も変えず。付き合う前の妻の様に……。


 僕と付き合う前の妻は、独りで何かと戦っているみたいだった。誰にも頼らず、誰も信用せず。僕まで泣きそうになる。だめだ、彼女の今を邪魔しては……。


 僕は急いで厨房に引っ込んだ。学生時代の妻の事を思い出しては涙があふれる。気を紛らわすため、妻が好きだった『ふたりの失敗パン』を作り始めた。




 『ふたりの失敗パン』 それは僕が学生時代、料理下手なのを知らなかった彼女つまが、僕に自慢げに作った料理。パンを作ろうとして水加減を間違え、さらに塩と間違え重曹をいれたパンのようなもの。妻は「誰にもこの失敗を教えないで!」と涙目になって言っていたのだが、出来上がったパンのようなものは気に入ったみたいだった。

 その後、僕は食器を洗うための重曹が何かの害がないか調べた。帝国では、山菜のあく抜きで使うらしく、人体に害はない。苦みを気にしなければ食べても平気だということが分かった。だからといって、他人に出すようなものではない。だから『ふたりの失敗パン』は僕たちだけの内緒の食べ物だった。





 僕は泣いている少女に、失敗パンと紅茶を与えた。甘いのが苦手な妻の面影を感じたのだろうか。少女は一口食べて固まってしまった。


「口に合わなかった? うちの妻が失敗してできた不思議な料理だからね。妻は最高! って食べていたんだけど……」


 ブツブツいいながら食べ終わった少女は、ものすごい勢いでこう言った。


「もう1枚、いえ、2枚焼いて! あと、はちみつとバターを下さい! お願いします!」


 おいしかったの? お腹すいているのか? 言われるまま2枚焼いては少女の前に出した。


 少女はさっき食べたお皿に1枚乗せて2人分にした。その2つのお皿のパンそれぞれに、にバター一切れずつのせはちみつをたらした。


「食べてみて!」


僕は言われた通り食べてみた。


「おいしい! なんで……」


 いつも食べていたパンがまるで違う。これは立派なお菓子。いや、そんなものでは言い表せない。なんだこれは!


「アツアツの生地にバターを塗ることで、いい感じの塩分とコクが出たの。そこに、砂糖とは違うはちみつの甘さを足すことによって、たんなるパンではなく、甘味、お菓子として成立したわ。思った以上に良い出来ね」


 少女はここで働きたいと言い、勢いにまけた僕はひと月後閉めるつもりだと言いながらもバイトとして雇うことにした。




……………………まさか、あんなことになるとは思いもせずに。

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