無名クラブへようこそ

秋野てくと

鮎村 アイリにまつわる異変

「無名クラブを知っているかね?」

 なぎちゃんは、気のりしない口調でぼくにたずねた。


 昼休みの図書室でのことだ。

 彼は自分から質問をしておいて、まるでそのことに興味きょうみがないかのように目線もあわせず、本をめくる手をとめなかった。はたから見れば空耳に思えてしまうほどに。それでもそのことば――無名クラブ――は、ざらざらとした奇妙きみょうなひびきをして耳に残った。

 無名クラブ。

 そう聞いて最初に思いあたるのは、校内のクラブ活動だった。第十三館川たてかわ小学校では四年生以上を対象にクラブ活動を義務ぎむづけている。ぼくとなぎちゃんは読書愛好クラブに入っていた。とはいえ活動は月二回のミーティングで、図書室で借りた本から一冊をえらび感想文を発表するだけだ。

 あってないような活動なので、クラブ活動に熱心ではない生徒にとっては人気のクラブとなっている。そのため読書愛好クラブといっても読書好きばかりではなく――熱心に活動している生徒といえば、目の前にいる四十万しじま なぎの他には、ミステリ好きで知られる同学年の鮎村あゆむら アイリくらいだろう。


「その鮎村あゆむらくんなのだが。このところの彼女の素行そこうは実によくない」

 思わぬセリフにぼくはドキリとした。

「どういうことさ」

「たとえば先日は校舎にある二宮金次郎像をコワしてしまった。こっぴどく怒られたそうだ。次にまだバレていないことなのだが、音楽室の……」

「そうじゃなくて! ぼくは鮎村あゆむらさんのことなんて口にしてないじゃないか」

「大したことではない。目は口ほどにモノを言うということだ」

「お得意の推理すいりかい」

 なぎちゃんはひらりと手をふって、ぼくの目線をしめした。ぼくが開いていた本――『緋色ひいろ研究けんきゅう』の貸し出しカードには鮎村あゆむら アイリの名前があった。それを読んで疑問ぎもんがとけた。自分でも気づかなかったが、彼女の名が浮かんだのは目に映るものからの連想ゲームだったらしい。

「手が止まっているぞ。本を開いたと思ったら、まったく先に進んでいない。はたして次のミーティングまでに感想文は間に合うのだろうね」

「昔の本は読みづらくって、頭にはいってこないんだよ」

 それでもぼくが読んでみたいと思ったのは、『緋色ひいろ研究けんきゅう』がシャーロック・ホームズの第一作だったからだ。なぎちゃんは鮎村あゆむらさんと同じくミステリ・マニアであり、なかでもホームズが大のお気に入りなのである。ふだんは本を読まないのだし、どうせ読むならなぎちゃんと話せる本を読んでみたかった。


「ホームズを読むのなら長編よりも短編から読むといい。今度おすすめをえらんでおくよ。それより、どうせ読まないのなら私の話に付き合いたまえ」

「話って?」

鮎村あゆむらくんのことだ。昨日の音楽の時間になにかおかしいことはなかったかね」

 昨日の音楽では合唱コンクールの練習をしていた。学年全員で音楽室に並び、ソプラノとアルトに分かれて歌っていたのだ。変わったことといえばクラスメイトの完太かんたくんが音程をはずしたくらいで……。

「左からクヴァンツ、エルガー、ドビュッシー――モーツァルトから右はそのまま」

 なんだって?

「それはなにかの暗号?」 

「暗号ではなくだ。先週まではたしかに肖像画しょうぞうがの並びはドビュッシー、クヴァンツ、エルガーの順番だった――誰かによっていれかえられていたんだ」

「気づかなかった……。どうしてそんなことを?」


「その人物がそんなことをした原因はといえば――それはどうやら、無名クラブにあるようなのだよ」

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