第一章 ~ 血だまりの異世界 ~

第一章 第一話 ~ 目覚め ~


 ──どのくらいの時間、気絶していたのだろう?


 意識を取り戻した俺は、ふと身体を起こそうとして何気なく身体に力を込めた、その瞬間だった。


「~~~~っ、ぐっ、ぁっ、ぁぐっ?」


 俺は全く身に覚えのない、全身を伝う激痛……と言うか、激痛を通り越した衝撃とでも言うべき凄まじい不快感に顔を顰める。

 頭の片隅の冷静な部分が「トラックに轢かれたなら、こうなるんじゃないか?」なんて考えつつも、痛みに歯を食いしばるのが精いっぱいで、悲鳴すら上げる余裕もない。


 ──まぁ、実際の話、俺はトラックに轢かれた経験なんてないのだが。


 その全身を這いずり脳髄へと響く激痛に俺の脳は現実逃避を選んだらしく、そんな下らない思考が俺の頭を過る。

 ……そうしてようやく激痛が収まり息が整い始めた、まさにその時のことだった。


「お目覚めになられましたか。我らが主、滅びをもたらす神の化身よ」


「~~~~っ?」


 まだ自分の現状すらも理解できていない俺に向けて、突然、そんな男の声が背後からかけられたのだ。

 その声に驚いた俺が、未だに残る激痛の残滓を押さえつけながらも上体を起こし、恐る恐る背後を振り向く……


「うわぁっ!」


 次の瞬間、俺の口からは、思わずそんな叫びが零れて出ていた。

 ……いや、別に俺が臆病って訳じゃない。

 臆病でなかったとしても、俺の眼前には十数名の、邪教徒って雰囲気を隠そうともしていない、黒いマントの連中がずらっと並んでいたのだ。

 しかも、先頭の男……俺に声をかけたヤツは、不気味な山羊の頭蓋骨を頭にかぶり、先ほどまで使っていただろう血に塗れた短剣を手にしている始末である。

 こんなヤバ目のホラー映画みたいな状況……もし俺と同じ立場に立ったなら、よほど特殊な訓練を積んでいない限り、どんなヤツでも悲鳴を上げてしまうだろう。


「だ、だだだだ誰だっ、あんたたちはっ!」


 だから、慌てた俺が怯えを必死に隠そうと、虚勢を張って怒鳴り声を上げたのはそう不思議なことでもなかった筈だ。


「我らは破壊と殺戮の神ンディアナガルに仕える者」


「……んでぃあ?」


 そうして思わず放った俺の怒声に返ってきたのは、山羊の頭蓋骨を被った男が口にした、聞き覚えすらないだった。


「破壊と殺戮の神にして、滅びと終焉をもたらす超越者。

 即ち、貴方様のことにございます、我らが神よ」


「……はぁ?」


 聞き慣れない単語に見慣れない雰囲気、見たこともない衣装の連中に、訳の分からない話の展開を聞かされた俺は完全に処理能力の限界を迎えていて、ただ首を傾げることしか出来なかった。

 ……ただ、俺を取り巻くこの状況が冗談の類でないことだけは確かだろう。

 何しろ……どう考えても俺よりも遥かに年上だろうその不気味な集団は、一斉に俺に向けて土下座をし始めたのである。


 ──まるで、彼らの言うとおり、だと言わんばかりに。


「……お、おい」


 ただ、適当に生きていた俺でも、これがドッキリや猿芝居でないことくらい……彼らが発している必死の気配で何となく分かる。


 ──大体、此処は何処なんだ?


 そろそろ薄れてきた身体の痛みをこらえつつ、頭を垂れ続ける黒マントたちから目を逸らすように周囲を見渡してみると、どうやら俺が寝転んでいたのは神殿の祭壇、らしい。

 地下にあるのか灯りは松明だけで薄暗く、周囲は真っ白なギリシア神殿みたいな柱が立ち並んでいる。

 正直な話、まだ学生でしかない俺には他の神殿形式なんて心当たりがないのだが……そんな俺でも唯一断言出来ることは、この場所が「見たことも聞いたこともない場所」だという何の慰めにもならない事実だけだった。

 ただ一つ……


 ──その祭壇の上に描かれている魔法陣だけは、何処となく見覚えがあるような……


 そうして唯一の手掛かりを確かめるべく記憶を辿ろうと……記憶を辿ることで現実逃避を図ろうとした俺だったが、すぐさまこの連中が聞き捨てならないことを喋っていたことを思い出す。


「い、いや、俺は……」


 「その何とかって神なんかじゃない」……と慌てて口を開こうとした、その時だった。


「いい加減にしろ、貴様らっ!」


 突如、神殿内を振わせる怒声が辺り一面に響き渡り、ビリビリと壁を揺らしていた。

 そのあまりの大声に、喧嘩をしたこともなければ怒鳴り声にも慣れてない俺は思わず首を竦めてしまう。

 驚きに速度の上がった心臓を押さえつけながら、俺は声が響いてきた方へ恐る恐る視線を向けると……鉄板を継ぎ接ぎした鎧と毛皮を着込んだ巨漢が、似たような恰好の男を二名ほど従えて、ずかずかと神殿内へと押し入ってきているのが見える。

 どの男たちも見たことのない風貌をしていて……その服装と言い、赤銅色に日焼けした肌やこげ茶の髪とダークブラウンの瞳と言い、そして何より顔や身体に走る刀傷のような古い傷跡が刻まれている事実こそ、彼らが日本人ではない何よりの証拠だった。


「そんな下らない儀式をしている暇があるなら、矢の一本でも作れ!

 今の状況が分かっているのかっ!」


「これは、バベル様。

 しかし、お言葉ながら儀式はもう完成しております。

 我らが神がこうして降臨されたことにより、我らの勝利は確約されました」


 バベルと言われたその巨漢は、黒マントたちが止めるのも意に介さずまっすぐと俺のところへ向かってきた。


「チェルダー、貴様は息子が死んでから相変わらずトチ狂ったままか。

 ……こんな貧弱な小僧ガキが戦で何の役に立つというのだ?」


 その巨漢は下らない物を見るかの如く、俺を見下ろしながらそう吐き捨てる。

 ……その言葉に、そして巨漢が放つ怒気と殺意を向けられた俺はただ震えるばかりで、言葉を返そうという気すら起きなかった。


 ──何故、俺はこんな場所にいて、こんな大男に睨まれているんだ?


 俺はただ、そんな疑問を胸に抱いたまま、自分の歯の根が合わずに鳴る音を聞くことしか出来ない。

 だが、チェルダーという黒マントの神官にとってはそうではなかったらしい。


「おやめ下さい。バベル様。

 幾ら我が一族最強の貴方とは言え、我が神の逆鱗に触れてしまうと……五体満足で済むとは思わない方がよろしいかと」


 巨漢に恐れる様子すら見せず、そして脅え続けている俺の内心すら意に介さず、平然とそんな脅迫とも取れる言葉を言い放ったのだ。


「……はっ。

 こんな餓鬼がバベル様に何をすると言うのだ?」


 けれど、その諫言は何の意味もなく……いや、この巨漢たちを宥めようとしていたのであれば見事に逆効果だったのだろう。

 何しろ……脅迫とも取れる言葉を向けられた当の巨漢は全く何処吹く風という体だったにもかかわらず、背後に控えていた彼の部下の逆鱗に触れるという結果をもたらしたのだから。

 その男……狐らしき毛皮を着込んだ男の手によって、口すら開いていない、無関係な筈の俺は何故か突然胸ぐらを掴まれ、そのまま凄まじい力で軽々と持ち上げられてしまう。


「う、ぐっ」


 何一つ抵抗すら出来ないままに持ち上げられた俺は、ただその男の怒気に震えるばかりだった。


 ──当然だ。


 この男は中央の巨漢ほどではないけれど、鍛え抜かれた身体に数多の古傷を刻まれた……どう見ても職業軍人の類である。

 平和ボケした日本で暮らしていた、ただの学生でしかない俺なんて、敵う敵わない以前に抵抗する意思すら浮かぶ筈もなく。

 いや、もしも体調が万全なら、万に一つくらい反骨心を出して異論の一つくらい唱えたかもしれないが……起きた時に感じた激痛の余韻がまだ全身に残されていて、力もろくに入らない現状では反論の言葉すらも出てこない。


「下らないことをしている暇があるなら、怪我人の手当てでもしていろ!

 貴様ら神官などという胡散臭い連中は、戦いもしない無駄飯喰らいなんだからなっ!」


 俺は胸ぐらを掴まれたまま、段々と朦朧としてきた意識の中で、そんな巨漢の怒号を聞いていた。

 ……いや、聞いているような気がしていた。


 ──お、おい。

 ──俺は、何で、こんな……


 俺の思考は理不尽な現状の理由を求めるものの……それすらも、息が出来ないという現実を前にかき消される。

 脳に血液が回らず、怖いのも苦しいのも感じられない。

 そんな『陸で溺れる』という滅多にあり得ない状況に置かれた俺は、怒りも憎しみも覚える余裕すらないままに、ただ必死に藁でも何でも掴もうと……無我夢中で俺を吊り上げている男の

 本当に俺がしたのは……ただそれだけ、だったのだ。

 だけど。


 ──ベリッ。


 次の瞬間、朦朧としたままの俺の耳に、そんな……不快な音が響き渡り。


「ぎゃあああああ、ああああっ、ぁああああああっ!」


 そんなこの世の終わりのような凄まじい悲鳴が響き渡ったのと同時に、首を締め上げていた筈の男の腕が力を失い……俺はようやく首を絞められ続ける拷問から解放されていた。


「はぁっはぁっはぁっ」


 地面に放り出された俺は、ようやく可能になった呼吸という生体反応を行うべく必死に息を吸い込み吐き出すことを三度ほど繰り返し……そして気付く。


 ──身体に、顔に、手に……生温かい液体の感触があることに。

 ──吸い込んだ空気が、生臭い、錆びた鉄のような匂いだったことに。

 ──俺の右手に……男の身体をどこかを掴んだだけのその右手に、真っ赤に濡れた、何やら奇妙な感覚の生温かいが握られているということに。


 ……そして。


「ああっ、あああっ。

 ぉおおれぇのかぁあおおぁああぐがぁぁぁああっ」


 俺を持ち上げていた筈の男が、言葉とも悲鳴ともつかない呻き声を上げながら顔面を押さえ、陽光の下へ出て来たミミズの如くのたうち回っていることに。


「……え?」


 自分の身に、そして眼前の男の身に何が起こったかさっぱり理解出来ず、俺は呆然とそんな呼気を漏らしていた。

 だが、それはバベルという名の大男も同じだったらしい。


「……何が、起こった?」


 巨漢は先ほど起こった出来事が完全に理解の範疇外にあったらしく、身内か部下かは知らないが自分につき従っていた男を助け起こすどころか、怒りも憎しみすらも抱くことが出来ず、ただ茫然と俺を見下ろしているだけだった。


「……へっ?

 う、うわぁっ」


 そして俺も今更ながら、自分が握りしめていたが「のたうち回っている男のだ」という事実に気付き、その生温かく湿った柔らかくて弾力のある、まさに皮膚というその手の中の感触に慌て、嫌悪感に突き動かされるがままに『ソレ』を遠くへと放り捨てる。

 床に落ちた皮のベチャリという音は、のたうち回っている男の悲鳴が響く中でも、何故かくっきりと聞き取れてしまい……その耳から入ってきた不快感に、いや、「この惨状を作りだしたのがである」という罪悪感に、俺は思わず眉を顰めていた。


「どうですか、バベル様。

 ……我らが主の力は」


 そんな、俺と巨漢とが自らの正気を疑うような光景も……チェルダーとか呼ばれた山羊の頭蓋を被った男にとっては当然の光景だったらしい。

 彼は自慢げに胸を張ったまま、顔の皮膚を剥がされた被害者の身内である巨漢に向け、堂々とそう言い放っていた。


「きさまっ!」


 当たり前の話であるが、その声を聞いた巨漢は怒りによって正気を取り戻すと、仲間の仇とばかりにそう吠えながら、腰の蛮刀に手をかけ……まだ手に残っている不快感に怯えて床に尻餅ついたままの俺へと血走った視線を向けてきた。


「~~~っ!

 くそがっ!」


 それでも、武器を抜く直前に俺の「破壊と殺戮の化身」とかいう肩書きを思い出したのか、悲鳴も上げる体力をも使い尽くし顔面を押さえて蹲ったままただ荒い息を吐き続ける部下と、腰を抜かしたままの俺とを見比べ……

 苛立たしげに唾を吐くと蛮刀の柄から手を離す。


「良いだろうっ!

 ソイツには最前線でせいぜい役立ってもらうっ!

 せめてコイツの分の働きくらいはしてもらわないとなっ!」


 巨漢はそう吐き捨てると、俺を視線だけで殺さんとばかりに睨みつけ……もう一人の部下と共に怪我人を担ぎ、そのまま立ち去って行った。


「……何だ、ったんだ?」


 武装した男たちという嵐が去った後、俺は何が起こったのかも、自分がどういう立場に立っているのかもさっぱり理解出来ず、ただ腰を落としたまま呆けることしか出来なかった。

 ただ、右腕に未だに残る気色悪い感触が、鼻を突く鉄錆の匂いが、そして脳よりも先に「これが夢ではない」と認識しているらしき胃がキリキリと痛み始め……それらの感覚が現実逃避を許さず、俺の置かれた状況がどんどん取り返しのつかない、最悪へと向かっていることを教えてくれていた。


「……最前線?」


「ええ。

 これから……貴方様のお好きな、戦争が始まるのです。

 我らが破壊と殺戮の神よ」


 救いを求めるように振り返った俺に向けて、山羊頭の神官は「父親が機嫌を取るためにを我が子に勧めるかのような」猫なで声でそう告げたのだった。

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