2.聖女、石っころに助けられる

 ◆ 聖女――ソフィア ◆


 わたしはお茶の時間を切り上げ、着の身着のまま専属護衛のアンジェと侍女を一人だけ連れて、馬車で国から一時的に出ることになりました。

 そして、馬を替えつつ馬車を走らせることほぼ一昼夜。


「チッ! ソフィア様! 複数の追手が迫っております! この先、難所の峠がございます。揺れにお気を付け下さいませ!」


 馬車を御すアンジェの言葉に、わたしと侍女は客車の中で手を取り合い、揺れに備える。

 わたし達には、後方から複数の騎馬が迫っているようですね……



「よいか貴様ら! あの馬車の“中身”には、我らの槍も剣も通じぬ! だが、あの峠で“中身”を崖下に落とせば、底の急流に流されて、自ら溺れ死ぬか遥か海まで運ばれるだろう。そこまで出来れば、我らの将来は安泰だ! いくぞー!」

「おうっ!」

「おおー!」


「くっ逆賊め! させるかっ! 殿下! ここから本格的に揺れますよ!」


 馬車が狭い道を右へ左へ蛇行しながら、壁と崖の峠道を駆けて行き、客車も大きく揺れてきました。

 この崖を落ちでもしたら……いくら『聖女』の力でも、わたしもただでは済まないでしょうし、外のアンジェはもちろんこの侍女は助からないでしょう。ですが、せめてこの侍女の命だけは……


 わたしは、わずかな可能性に賭けて侍女を抱き締める。


「ソフィア様……」

「シィ! しゃべると舌を噛みますよ」


 どうかこの危機を切り抜けて、シーヴ帝国に入れますように……


 ◆ 石っころ――ベルグ ◆


 この、しばらく続く峠道を抜ければ王国の玄関口の町だ。馬も変えられるし、飯も水も補給できるぞ。

 この峠は、基本的には荷馬車であれば二台がすれ違えるほど道幅はあるのだが、見通しも悪いし曲がりのキツイ場所や道の欠けもあったりして、狭くなっている箇所も多いのが難所たる所以ゆえんだ。


 おっ? ん? まだ距離はあるけど、向こうから馬車がふらつきながらやってくるのが見え隠れしている。しかも馬に乗った奴らにあおられているのか?

 客車を槍でつついたり、隣に着けて幅寄せしたり……結構エグイことしているなぁ。――うわぁ、車輪も壊そうとしているぞ? 殺意満々じゃねえか……


 ……助けてやりたいが、俺にはもっと重要な仕事があるんだよなぁ。一刻も早く王女様の危機を報告しないと、仕事を首――最悪、物理的に晒し首――になってしまうんだ……素通りゴメン!

 馬車の御者や客車の中で怖がっているだろう人には悪いけれど、俺の特技ですれ違わせてもらう!


 俺は鞍にまたがったまま、身体を伏せて馬を両ももと両手で挟む格好になる。

 『路傍の石』のせい? おかげ? で、元々影が薄かったのが、常時存在が薄くなって他人から認識され辛くなっているが、俺が四肢で同時に触れた物の存在も薄くすることができる。


 これで俺が乗っている馬も姿や気配が消える。

 ただし、馬のひづめの音や土埃は立ってしまうが、ここは屋外だし風で誤魔化せるだろう。すれ違っても気付きすらされないはずだ。


 俺は頭を起こして前を確認する。

 馬車は近付いて来ているけど、未だに煽られている。可哀そうに……でも、俺の仕事が最優先だよな……


 う~~! 俺の悪い癖、発動! 一度気になったら、ずっと気になってしまう……このままでは眠れなくなってしまう!

 一大事を何より優先するか、上司に怒られるのを覚悟で安眠を取るか……

 う~~! 悩ましい……



 対面から煽られている馬車も煽っている騎馬連中も迫って来ている。

 両者とも俺の存在には気付いていない。そろそろ決断の限界地点か……


 ……よし決めた。馬車を助ける! 王女様には悪いけど、目の前の困っている人を助けないなんて、寝覚めが悪くなるからな!


 ◆ 聖女――ソフィア ◆


 ――怖い!

 ずいぶん長い時間、客車をドンドンガンガンと叩かれ、外からはアンジェや男達の怒号が飛び交っている。


らちが明かねえ! 車輪だ! 車輪をぶっ壊せぇ! そうすりゃ勝手に谷底に落っこちるだろうぜ」

「なっ! 逆賊め! 止せっ」


 バキッ! ガタンッ! ガガガガーッ! バタン!


 遂に車輪が壊されてしまって、客車もガタンと傾きグルリと回って急停止。急停止の反動も大きく、わたしと侍女は客車の中を前方に投げ出され、壁に叩きつけられてしまった。

 幸い、岸壁側の車輪が壊されたので谷には落ちなかったけれど、客車は横倒しになってしまった……侍女は気を失ったようですし、アンジェもどうなったか分からない……


 もうダメと、覚悟したその時――


「ギャー!」

「な、何だ? うわぁ!」

「急に馬が現れ――グヘェッ!」


 次々に男達の悲鳴が聞こえてきました。

 そして……


 倒れて天井の位置になってしまった扉が開かれる。


「おーい。大丈夫ですか? 煽っていた奴等は成敗しましたよ~。って言っても俺の事は見えないかな? おっ! 可愛い子だ!」


 ……その人――光りに照らされたその方は、銀髪黒眼のお若い殿方でした……凛々しいお顔の殿方。アンジェと同い年くらいかしら? しかもわたしの事を可愛いだなんて……


「みっ! 見えます!」


 その方は、「ええ!? 俺の事が見えるの?」と驚きつつ、上から手を差し伸べてくれます。

 わたしがその手を掴むと、「本当に見えてるっ!」と、更に驚いている。どうしてでしょう?


 気を失っている侍女を車内に残して、先に引き上げてもらう。

 ――アンジェは? 彼女も投げ出されたようで、腕や脚に怪我を負っているけれど命に別条は無いみたいね。

 お礼をお伝えしようとすると、彼は一人で横倒しの客車内に飛び降りて侍女を抱えて出てきてくれました。なんて力持ちなの……


 そして、手際良く襲撃者――結局五人いました――の衣服を剥ぎ、簡易的に手足を縛って拘束していく。

 襲撃者の拘束のみならず、散らばった破片の整理もして、他の馬車が来た時に立ち往生しないように通行スペースも素早く確保して下さった。


「あのっ! ありがとうございます」


 彼がひと仕事を終えたと、呼吸と衣服を整えているところにお礼を申し上げる。それに、「か、可愛いと仰って頂いたことも……」と控えめな声量でお礼申し上げます……


「ほえ~。さっきからだけど、貴女は俺の事が見えるんだね?」

「――? 仰っている意味が分かりません……」

「そ、そう? まあ、いいや」


 そこへ、アンジェが足を引きずり腕をさすりながらやってきて――


「ソフィア様、このような事になって申し訳ありません」

「アンジェ……いいのです。みなの命があるのですから。あなたは大丈夫ですか?」

「は、はい。ところで……いま、どなたと話されていたのですか?」

「どなたとって……この方ですけれど?」

「え?」


 アンジェにはこの殿方が見えていないの? 足もちゃんとあって浮かんでもいない、銀髪にお優しそうな黒い瞳を持つ生きた人間なのに……

 アンジェも、わたしの答えに目を白黒させている。


 すると、彼がススッとこの場から離れて行き、手招きでわたしの事を呼ぶ。

 アンジェには痛みが引くまで休むように伝えて、彼のところに行く。


「お呼びですか?」

「あのアンジェって人の方が“普通”の反応なんだけどなぁ……。俺はベルグって言うんだけど」

「――ベルグ様! わたくしはソフィアです」

「“様”ではないけどね。ソフィアさん……どこかで聞いたような名前だな……まっ、いいか。今回は変な奴に絡まれて大変だったな。旅行か留学か知らないけど、どっかのお嬢様だろうから護衛は厳重にしていた方がよかったのに」


 わたしが王女で、しかも兄からの逃避行の最中だとは思いませんよね……

 改めてお礼をお伝えし、そして――


「あのっ! ベルグ様。もし……もしよろしければですけれど、帝国のどこか……近場で大きな街までの護衛をお願いできませんでしょうか?」


 ベルグ様は、困った表情で頭を掻きながら口を開く。


「あー、そのー……。そうしてあげたいけど、俺には大事な用件があるんだ……」

「用件ですか……」

「うん。フランネル王国の王女様に関する一大事なんだ」


 えっ? 王女?


「わたしです!」

「は?」

「フランネル王国の王女とは、わたくしの事です! ソフィア・フランネルです」

「はぁっ?」


 ベルグ様はズザッと飛び退き、わたしに対して地面につきそうなくらいに頭を下げて、膝を折る。


「しっ! 失礼致しましたぁ! 王国諜報部所属、ベルグ・アイラーセンにございます」

「諜報部……の方でしたか。してベルグ様、“一大事”とはいかなることです?」

「ハッ! 殿下のお命に関わる事にございます」


 命に関わる事? なぜわたしが向かおうとしていたシーヴ帝国の方向から来たベルグ様が、わたしが兄から狙われている事を――つい昨日の事を――知っているのかしら?


「な、なぜわたしが(兄であるフランネル王国王子から)命を狙われている事をご存知なのですか?」

「ハッ! 私が直接(シーヴ帝国皇帝フェリックスの口から)聞いたからです」

「直接(兄から)聞いたのですか?」

「はい。(フェリックスから)聞きました」


 ど、どういうことでしょう? 時間的にも距離的にも不可能なのでは?

 ――ですが、聞いているのなら話が早いです。先程の護衛の件をもう一度!


「でしたら、改めて帝国の大きな街――いいえ、帝都とフェリックス陛下への保護要請までの間の護衛をして頂けませんか?」

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