配信の方向性
次の日には登録者数30万人が、35万人へ増加していた。
無名事務所の新人がこんなことになるというのは、正直なところありえない。
普通は良くて数千人スタートだろう。
この増加速度は大手事務所すら凌駕している。
一日経って冷静になり、牙太とイセルは顔面蒼白の表情で顔をつきあわせていた。
「……大丈夫なのか、これ」
「だ、大丈夫だ……牙太……。自分は35万人の軍勢を相手にしても、ひっ、怯まない……!」
「さすがにエルフの姫騎士様も、この数字にはビビるか……。というか、大丈夫なのか心配なのは俺自身もだ。この数字を、ただのVTuber好きだった俺が素人知識でやっていくっていうのは……」
35万人の注目を集める。
それは普通の人間ではありえない状況だ。
学生で経験するのは、クラスに向かっての発表で十数人からの注目くらいだろう。
社会人となっても、職種によっては注目を集めるかもしれないが、ほぼ個人で一身に受け止める状況というのはなかなかにありえない。
35万人というプレッシャーで吐きそうになるレベルだ。
「俺なんかが……アドバイスをしていい立場なのか……」
「はい、むしろ牙太社長でなければいけません」
いつの間にか事務所へやってきていた秘書子。
牙太はついビクッとしてしまう。
「い、いたのか秘書子くん!? でも、俺はただの元一般人だし……」
「そこが良いのだと思います」
「ど、どういうことだ?」
秘書子はいつもの無表情――だが、どこか優しげな口調に聞こえた。
「最初は、ただの条件に合う元一般人でした。しかし、そこから徐々にイセル様と絆を深め、二人で初配信に挑戦する。この業界では、それが力となるのではないでしょうか?」
イセルは『どういうことだ?』と首を傾げているが、牙太だけは意味がわかった。
今のVTuberのメイン層は、録画ではなくリアルタイムだ。
そのために〝生〟の感情が乗りやすい。
それは配信をしているVTuberからだけではなく、配信を裏で支えている者たちの想いも伝わってくるのだ。
VTuberであるイセルと、裏で支える牙太が、多大なるプレッシャーの中で素人なりに頑張っている。
「つまり、成長を期待されているってことか……」
「その通りです。これは伸びしろのあるお二人にしかできないことです。断言します、最初から百パーセントのモノなんてつまりません」
珍しく秘書子の感情の乗った私的な意見だ。
牙太はその言葉を心に刻み込んだ。
「よし、そうだな! もう逃げられないんだし、ここから成長していこうぜ!」
「ふんっ、前向きな奴は嫌いではない。人間共に、この森焼イセルの成長速度を見せてやろう」
それから二人で気合いを入れ直し、今日は何をやるか相談することにした。
一応、以前からいくつか企画は考えていたのだが、ここまで大ごとになるとは思っていなかったし、もっとゆっくりやるつもりだった。
しかし、鉄は熱いうちに打てだ。
注目されている今は毎日配信をした方が良いはずだ。
「VTuberの配信ジャンルといえば、雑談、ゲーム、歌、企画モノなどだ」
「ほうほう」
一応、企業からの案件や、ふり返り、記念の節目にする配信などもあるのだが、それはまたタイミングがきたら考えることにした。
コラボ配信という手もあるが、今のイセルだと相手に迷惑をかけてしまうので却下だ。
「イセルは、やりたいものってあるか?」
「……そうだな。雑談、歌はわかる。ゲーム……というのはピコピコするやつだろう。動画で見た」
「最近のゲームはあまりピコピコしないがな……」
「ふむ。それなら歌配信を希望する。自分は歌が上手いと妹に褒められたことがあってな! それなら絶対に喜ばれるだろう!」
「わかった、セトリ……と言ってもわからないか。歌うリストを用意しておく」
「この森焼イセルらしい歌を頼んだぞ!」
――イセルらしい、と聞いて牙太は彼女の姿を再確認した。
「な、なんだ牙太……ジッと見てきて……」
戦う時や、VTuber姿は甲冑なのだが、普段はダボダボのクソダサTシャツ(今日は『エルフつよいすごい』と創英角ポップ体で書いてある)を一枚着ているだけだ。
これには理由がある。
事務所の上の方のフロアが牙太やイセルが住む寮となっているので、他人の目を気にせずに過ごしやすい服を着ているのだ。
何というか、家でくつろぐ女子小中学生にしか見えない。
……ちなみに牙太は秘書子の目が気になるので黒スーツだ。しかも身長183で、イセルとは対極的に見える。
「お前、地球に馴染みすぎだろう……」
「ん? 牙太、何か言ったか?」
「いや、何でもない……」
とりあえず、今のイセルらしい可愛い系の曲がいいだろう。
曲の使用許可の確認など、秘書子と相談しながら探すことにした。
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