自分が知らない世界

「世界は一つじゃない。次元がずれた先には、それこそ数え切れないほどの世界が存在する。そう聞いたことは?」



 第一声として拓也が口にしたのは、意味の分からない問いかけだった。



「え? ……と、とりあえずは。でも、ファンタジーの話でしょ?」



 実は当然のように返す。

 しかし、拓也は首を横に振った。



「違う。次元の先にある世界ってのは、現実に存在する。ここには次元を開く方法も狭間はざまを渡る方法もないから、想像上のものになってるだけだ。」



「………?」



 理解できない。

 そんなことをあっさりと信じるなんて、ただの馬鹿か中二病だ。



「言ったろ。とりあえず、丸呑みしてればいいって。」



 拓也がなかば諦め顔で言う。



 拓也にとっては、こちらの反応も想定の範囲内なのだろう。

 彼には困っている様子も、話が伝わらないことに苛立つ様子もなかった。



「おれが生まれた場所は、そういう次元の先にある世界だ。」

「―――は?」



 ポカンと口を半開きにしてしまう実。

 拓也は構わず続ける。



「おれが元々いた世界にいる人間は、みんな魔力といわれる力を持ってる。それを使った技術が魔法。学校に影を置いたのも、実の家の鍵を開けたのも、実が落ちそうになった時に窓を閉めたり、体調を楽にしたのも、みんな魔法によるもの。ま、これは全部上級魔法だから、使える奴からして少ないんだけどさ。」



「………」



 実は目をしばたたかせる。



 許されるなら、拓也の正気を疑いたい。

 心の底からそう思ったが、現実に経験したことを例に出されては、否定のしようもなかった。



 戸惑う実を完全に無視している拓也の口は止まらない。



「おれたちが扱う最高難易度の魔法の中に、次元の扉を開く術があるんだ。次元の扉は次元の狭間はざまに通じていて、次元の狭間には、色んな世界からの道が集まっている。そこから別の世界への道を見つけて辿れば、違う世界に行けるってわけ。簡単に説明したけど、やっぱ誰でも簡単に次元の狭間を渡れるものじゃないんだけどさ。でも、あっちと地球は道が安定的に繋がってるから、比較的簡単に移動が可能だな。」



 そこでようやく、話を区切る拓也。



 拓也が話を丸呑みにしろと言った理由がよく分かった。

 多分何度同じ話を聞いたとしても、理解には遠く及ばない気がする。



 どうしたもんかと、返答に困る実。



 さすがに、ここまで突拍子もない話だとは思っていなかった。

 とはいえ、拓也の表情は至って冷静で、声は真剣そのもの。



 自分も含めた他の人間にはともかく、拓也の中では、今話していることは事実であり常識なのだ。



「……ふーん。とりあえず、話だけは分かった。だけどさ、なんでわざわざ、俺にそんな話をしようと思ったわけ?」



 自分からは建設的な話ができそうにないので、ふと疑問に思ったことを訊いてみることにした。



「隠そうとしてるけど、本当はあまり……っていうか絶対に、そのことを話すのは嫌だったんじゃないの?」



 そう問うた実に、今度は拓也が目をしばたたかせた。

 何をそこまで驚いたのか、拓也は実を見たまま固まる。



 しばらくして観念したように息を漏らした拓也は、表情に苦いものを滲ませた。



「参ったな。あっさり見抜かれるなんて…。平和ボケで、人をあざむく腕が落ちたかな?」



 自虐的に呟く拓也。

 その後彼は、表情を引き締めてこちらに目を向けた。



「最初に言っておく。おれがここに来て話をしているのは、この話を聞いた上で、実に知ってもらわないといけないことがあるからだ。生憎あいにくと、実を信用しているから秘密を明かしているわけじゃない。もしかしたら、実はこのことを知らない方が幸せかもしれないな。」



 容赦なくぶっちゃけてくれたもんだ。

 実は言葉をなくす。



 そんな実を見つめながら、拓也はふいに手を振った。

 その手から、床に向かって何かがかれる。



 蝶の鱗粉のような、青白い粉だ。



「あっ! それ…っ」



 床を指差して声をあげる実に、拓也が頷く。



じつは、ちょっとしたテストをさせてもらった。」



 粉をいた拓也は、その上に手をかざした。

 その数秒後、床に変化が起きた。



 床に、学校で見た小さなたけのこのような芽が生えてくる。

 実が息を飲んで見守る中、芽は徐々に成長していく。



 芽が開いて二枚の葉をつけ、茎が伸びてその先端に蕾をつける。

 あっという間に膨らんだ蕾は、ゆっくりと花を開いた。



 ひいらぎのような葉に、美しいグラデーションが印象的な青い花。



 間違いない。

 あの花だ。



 花がどんどん咲いていって、カーペットを青く染めていく。

 一輪でもものすごい存在感を放っていた花が、こうして群生している様は圧巻だった。



 綺麗な光景に思わず見入っていると、どさりと重たい音が耳朶じだを打つ。

 顔を上げると、拓也が椅子にもたれかかって脱力していた。



 よほど疲れたらしい。

 彼の額に汗が浮き、顔色も少し悪かった。



「大丈夫?」



 さすがに心配になって、声をかけてみる。

 拓也は微かに頷いた。



「大丈夫だ。一気にサルフィリアを成長させたもんだから、疲れただけ。」

「……そっか。」



 実はそう返すにとどめておいた。



 本人がそう言うなら、大丈夫なのだろう。

 おそらく。



「やっぱり……」

「え?」

「やっぱり、見えるんだな?」



 拓也が大真面目な表情で訊いてくる。



 質問の意味が分からない。

 実が返答に窮していると、拓也は改めて訊ねてきた。



「この花……実には、見えてるんだな?」



 見えているものを見えているのかと訊いて、どうするというのか。



 拓也は緊張した面持ちで返事を待っている。

 実は戸惑いながらも正直に答えた。



「見えるのかって……こんな目立つ花、見えないわけないじゃん?」



 立ち上がり、実は花を一輪引き抜いた。



 ほら、と。

 拓也の前に花を差し出す。



 すると、拓也は何故か表情を険しくした。

 その様子をいぶかしく思った実は眉をひそめる。



「………」



 拓也はゆっくりと花に手を伸ばすと、ピンッと指で花を弾いた。

 次の瞬間、花が炎に包まれる。



「うわっ!?」



 実は反射的に手を離す。

 赤々と燃える花は、床に落ちる前に炎ごと消えていった。



「なっ…何すんのさ! 危ないじゃん!!」

「火傷はしてないはずだ。」



 拓也は溜め息をつきながら、膝に腕を乗せてうつむいた。



 確かに火傷はしていない。

 熱くもなかった。

 だが、精神的には壊滅的ダメージだ。



 我ながら、よく正気を保っていられていると思う。

 ただでさえ現実についていくので精一杯なのだから、その魔法とやらを当然のように使わないでほしい。



 肝を冷やした実は、ついつい手をさすってしまう。



「その花は……」



 顔を伏せたまま、口を開く拓也。



「その花は、聖域っていう森の奥地に群生する花だ。サルフィリアは一般的な植物とは違い、聖域の清浄な魔力を養分として成長する植物。だから……」



 拓也は顔を上げる。

 静かな湖面を思わせるような深い色の瞳は、憂いに満ちていた。





「―――。」





 静かに、拓也はそう口にした。


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