注文の少ない料理店

久米坂律

犬飼亭の昼食

「お客さん、全然来ないねえ」

 入り口近くのテーブルで頬杖を突いて、薄暗い外の風景を見ながら、佳綸かりんが言った。


「ま、あたしとしてはむしろ助かるんだけど。今、お父さんいないから、大したことできないし」


 俺は、厨房に近いテーブルで、ゲーム機に目を向けたまま言った。

「これじゃ、『注文の“多い”料理店』ならぬ『注文の“少ない”料理店』だな」



 *****



 九月二十日火曜日、時刻は十一時を回った頃。俺、猫屋薫ねこやかおる犬飼亭いぬかいていという洋食屋にいた。


 本当はこの時間なら、まだ中学校で授業を受けている頃だ。しかし、今日は台風のせいで朝から大雨が降り、警報が出て休校になった。その割には、十時を回った頃には小雨になってしまったんだけど。


 だから、暇つぶしとして、父の友人であり、昔から俺を可愛がってくれていた犬飼佳久よしひささんが営む犬飼亭にやってきたというわけだ。


 つまらなそうに頬杖を突くのは、佳久さんの一人娘の犬飼佳綸だ。佳綸は高校に進学した今年から、犬飼亭でアルバイトを始めた。今も、ウェイトレスの制服であるオレンジのワンピースと真っ白なエプロンを身に着けている。


 三十分ほど前に、佳久さんは買い出しのために店を出て行った。そのため、今は俺と佳綸の二人で留守番をしているわけだけど……まあ、客が来ない。


 もともと犬飼亭は小さな店だ。洋食屋とは言っているけれど、ほぼ喫茶店のような規模で、佳綸がアルバイトを始める前は、佳久さん一人で店を回していたぐらいだ。それに加えて、大雨の後と来た。客が来ないのは当たり前だ。


 佳久さんだって分かっているだろう。じゃなきゃ、友人の子供とは言え、ただの客として来店した中学生と、アルバイトとしてまだまだ半人前の高校生の娘に、留守番なんか任せないだろう。


 佳綸が椅子ごと俺の方を振り向いた。

「中坊のくせに生意気なー」

「言っても、お前と二個しか変わんないだろ。去年まで中坊だった人に言われたくないですねー」

「くっ、盲点だった……!」


 会話が途切れる。

 ゲームの中で、どデカい武器を振り回す男を操っていると、佳綸が、

「薫、暇でしょ。あたしの相談乗らない?」

「は? 何で……」

「こないださあ」


 ゲームから顔を上げて抗議の声を上げたのに、無視された。こいつ……!


 佳綸はまた店の外に向き直り、話し始めた。

「うちの高校に、笹原ささはら君って子がいるって、前言ったじゃん」


 笹原という男子生徒は、佳綸の同級生で、えらくイケメンの優等生らしい。あと、サッカー部でも活躍がめざましく、一年生ながらエースストライカーと言われ、ファンクラブまであるとか。


 佳綸はそいつの追っかけをしているらしい。クラスが違うので、主にサッカー部での活動を応援していると言っていた。あと、笹原は、谷口たにぐちという友達を伴ってよく犬飼亭を訪れる。笹原のいるテーブルで接客している時の佳綸は、非常に生き生きとしている。


 この前なんか、


「接客中にちょっと話してきちゃった~! 笹原君、こないだ足の調子が悪かったんだけど、周りの人に心配かけたくないから病院には行かない、って言ってたのね。一応治ったらしいんだけど、『大丈夫だった?』って聞いたら、笑顔で『もう大丈夫だよ』って! 笑顔が輝いてた~!」


 と言われた。


 しかし、以前「恋愛的な意味で好きなのか」と問うと、「いや、別に? 華の高校生なんだし、せっかくならイケメンとお近づきになりたくない? 目の保養だし」と言われた。よく分からん。


「その笹原君なんだけど。あたしね、笹原君がサッカーの試合に出る時はずっと差し入れしてたの。うちの店、オムライスが名物でしょ? だから、そのオムライスをおにぎりにして、お昼時に渡しに行ってたわけよ。

 笹原君、いっつも『嬉しいよ、ありがとう』って爽やかな笑顔で言ってくれてたから、てっきり喜んでると思ってたの。それがさあ……」


 顔は見えないけれど、声で佳綸のテンションが下がったのが分かった。俺は相変わらず、ゲームでばったばったと敵をなぎ倒している。


「一週間ぐらい前かな、うちの店に来た時に話してるのを聞いちゃったの。『ってことは、笹原は米が嫌いってこと?』って谷口に聞かれて、笹原君が『まあ、ある一面ではそうかな』って!

 あたし、ずっとお米嫌いの笹原君におにぎり渡してたってこと? 薫、どう思う⁉」

「……」


 とりあえず、ずっと「君」付けで丁寧に呼ばれている笹原に対して、ナチュラルに呼び捨てにされている谷口がかわいそうだと思いました。


「笹原君、優しいからさ。あたしに言えなかったんだよ。でも、絶対好感度サイアクだ。心の中で、『こいつ、いっつも米渡してくるなあ』って思われてたんだ!」


 佳綸がわっ、机に伏せた。


 二週間ほど前、


「こないだ笹原君が風邪引いたみたいでね。多分前日に雨降ったからかな。で、直接詳しくは聞いてないんだけど、部活休んで、病院に行ったんだって。その日一日会えなくてさ。もー、あたし心配で。その日のうちに電話かけて『大丈夫?』って聞いたら、鼻水をすする音は聞こえてきたけど、『大丈夫だよ』ってきれいな声で答えてくれてさー! 声まで良いとか何事なにごと⁉ もう、耳が幸せだった~」


 と、でれでれしていたとは思えない悲痛な声だ。


 佳綸の話は、スルーでいいだろうと思って、ゲームを続ける。しかし、敵の最後の一人を倒し終わってから、さっきの話をぼんやり思い浮かべてみると、何か引っかかりを覚えた。何だろう……あ。


「なあ、佳綸」

「んー?」

 情けなく眉を下げた佳綸が、顔だけ振り返る。


「笹原、別に米は嫌いじゃないと思うけど」

「えー、そんなことないでしょ。はっきり言ってたもん。慰めてくれなくてもいいよ~」

「いや、そうじゃない」


 新しいゲームにログインしながら、そう断言すると、佳綸は納得のいっていない顔で言った。

「じゃあ、何であの言葉が出たのか、説明してよ」

「分かった。まず、谷原の言葉の最初には『ってことは』って言葉が入ってる。これは『ということは』が崩れた形だと思うけど、この言葉って、その前に言った内容をまとめ直したり、言い換えたりする働きがあるよな」

「どういうこと?」

「例えば、『彼は和食が好きだ。ということは、焼き魚も好きだろう』みたいな」


 佳綸が「ああ、なるほどね」と言いつつ、「でも、うち洋食屋なんだから、洋食で例えてくれても良くない?」と的外れな文句をつけてくる。いちいちうるさいやつだな。


「てなわけで、谷口の質問の前には、何か別の言葉があったはずだ。佳綸が聞いてなかっただけで。しかも、谷口の質問に、笹原は『まあ、“ある一面では”そうかな』って答えてる。『ある一面』ってことは、別の面もあるってことだ」

「うん……?」

 佳綸がよく分かっていなさそうな顔でうなずく。


 俺は無視して続ける。

「で、話は変わるけど、前に笹原が足を怪我したけど、病院に行かなかったって話をしてたよな。それと、風邪引いて病院に行ったって話も」

「ああ、したした。それがどうかした?」

「足はサッカー選手の命だよな。サッカー部の笹原は、他でもない足を怪我したのに、病院に行かなかった。それなのに、風邪引いただけで病院になんて行くか?」

「……言われてみれば」

 佳綸がむう、と考え込むように顎に手を当てた。


「だから、笹原は風邪を引いてたわけじゃなかった。何か別の病気だったんだよ。しかも、足の怪我で病院に行かなかったってことは、笹原は、病院には治療目的で行かないってことだ。つまり、笹原は治療以外の目的で病院に行った。

 ……佳綸、笹原が病院に行った日に電話かけて、『きれいな声で返事してくれた』って言ってたよな?」


 佳綸が真剣なまなざしでうなずく。


「人によるけど、風邪を引いたら、のどを痛める人が多い。それなのに、笹原はきれいな声で答えた。つまり、笹原の症状は鼻づまりだけ。のどは痛めてない」

「でも、のどを痛めない風邪もあるじゃん? やっぱ風邪でしょ」


 佳綸が不満八割、心配二割といった顔で見てくる。


 俺は答えた。

「違う、だ」


 佳綸がはっと顔を上げた。


「多分、笹原は前々から花粉症の症状が出てたけど、無視してたんだと思う。だけど、その日はあまりにも症状がひどかった。雨が降った次の日は、地面に落ちた花粉が舞い上がるから、そのせいだろうな。だから、病院が閉まる前に部活を早退して、本当に花粉症かどうか、診断してもらいに行ったんだよ。

 その日一日笹原に会えなくて、そのあとに電話で会話した佳綸は、笹原の目が充血してることに気付かなかったんだ」

「なるほど……で、これ何の話?」

「まあ、最後まで聞け」


 きょとんと首を傾げる佳綸を声だけで押しとどめる。


「今は九月だ。この時期に飛ぶ花粉はいろいろある。ブタクサとかヨモギとか。あと、イネだ」

「はあ」

「イネと言えば、米がとれるな」

「え、もしかして……」

「ここからは、俺の憶測だけど」


 佳綸の言葉を遮ると、俺は少し唇を湿らせてから言った。

「多分、谷口の質問の前に、笹原はこう言ったはず。『病院で診察してもらったら、イネ花粉のアレルギーだった。俺、イネは嫌い』」

「……!」

 佳綸が目を大きく見開いた。


「だから、イネが嫌い=米も嫌い? ってなって、谷口はああいうふうに聞いたんだ!」

「そう。『ある一面では』ってのも、『花粉症の面では』って意味だろうな。『食事としての面』では嫌いじゃないんじゃねえの」


 すると、佳綸がワンピースのポケットに手を突っ込んだ。

「笹原君に聞いてみる!」


 そうして、高速で文字を入力していき、小さく「送信! っと」と呟いた。

 五分ほど経って、佳綸がぱあっと顔を輝かせる。かと思うと、こちらに走ってきた。


「見てこれ!」

 スマホの画面をずい、と目の前に押し付けられる。近い近い。


 少しだけ距離を取り、画面を見る。そこには、


〈笹原君ってもしかして花粉症?〉

〈実はそうなんだ。この前、病院に行ったのも、実はそれで……。ちょっと恥ずかしい気がして、言ってなかったんだけど〉


 とあった。


「……良かったな」

「うん!」

 あれだけ落ち込んでいたのに、単純な奴だ。


 その時、ぐう、という音が、がらんとした店内に響き渡った。

 佳綸がこちらを向く。反対に俺は顔をそむけた。

 ちょっとカッコつけたのに、腹の虫が鳴くとか恥ずかしすぎる……!


 佳綸がにやにやしながら言う。

「あたしが何か作ったげよっか?」

「いや、いい。雨ももうほとんど降ってないし、コンビニで買ってくる」

「じゃあ、お小遣いあげるよ」

「いや、要らない」


 そこまで言うと、顔が両手で挟み込まれた。強制的に、佳綸の方を向かされる。

「あのね、薫。さっき、うちのこと、『注文の少ない料理店』って言ったでしょ」

「それが何だよ」

 顔を無理やり背けようとしたけれど、力が強くてかなわなかった。この馬鹿力……!


「あんたも、『注文の少ない』中学生じゃん」

「は……?」

「薫、あんた気ぃ遣ってるんでしょ。あたし達が自分のこと引き取ってくれたからって」

「……」


 実を言うと、俺は実は犬飼家に引き取られた子供だ。

 小学生の頃、両親を交通事故で亡くした俺を、親戚は誰も引き取りたがらなかった。それはそうだろう。めんどうくさいから。


 でも、そんな中、父の友人の佳久さんだけが「引き取る」と申し出てくれた。佳綸も、心細かった俺をよく遊びに誘ってくれた。そのおかげで、俺はこの年まで何不自由なく暮らすことができたのだ。


 そんな人たちに、気を使って何が悪い。引き取りたがらなかった親戚たちは、俺に小遣いはくれた。今日の昼飯を買う分には困らない。


 佳綸は、少しだけ優しい顔をして言った。

「別にいいんだよ、わがまま言ったって。もっとあたしたちに注文付けてくれていいんだよ」


 口をつぐんでいると、佳綸が少しだけ怒った調子で言った。

「というか、あんたがわがまま言ってくれないと、あたしも困るんだけど!」

「え」


 もしや、俺が気を遣っていることに、心を痛めて……。


「お父さん、ずっと言ってるもん。『薫君は、佳綸と違って全然わがまま言わないねえ』って。いっつも比べられて、そのせいでわがまま娘扱いになってるあたしの気持ち考えたことある?」

 つい吹き出してしまった。実に佳綸らしい理由だ。


 そんな俺を見て、佳綸は笑った。

「ほら、何食べたい? ここのメニューなら一通り作れるよ」

「……じゃあ、オムライス」

「それだけでいいの?」

「……プリンも」


 俺がそう言うと、佳綸は半袖のワンピースなのに、袖をまくる動きをしてみせた。

「よっしゃ、作ったろうじゃないの! プリンはアラモードにしてあげる。でも、メロンは勝手に使うと怒られそうだから、サクランボとミカンだけね」

「はいはい、失敗すんなよ」

「うるさいなー、バイト歴半年の佳綸様に任せなさい!」


 佳綸が厨房の中に入っていく。俺はゲーム機をテーブルに置くと、その後ろをついて行った。

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