第3章 皇帝

第26話 買い物の帰り


 ポールの店で丸薬を補充したケルビンは、ビージーに向かって、

「一応これで予定の買い物は終わった。どこか行きたいところとかあるか?」

「ううん。帝都の中で知っているのは下水道しかないし、別に行きたいところなんてない」

 下水道しか知らないというビージーの答えに苦笑したケルビンだった。


「うまいメシ屋でもあればいいんだが、あいにく帝都じゃうまいメシ屋なんかどこにもないしな。

 それじゃあ、帰るか」

「うん」



「ねえ、ケルビン」

「なんだ?」

「審問官のことを考えていたんだけれど」

「?」


「審問官はあの仮面をつけているけれど、仮面の下は普通の人の顔をしてるんだよね?」

「きのう斃した時、ビージーに仮面の下の顔を見せてやればよかったな」

「まさか人間離れしているの?」

「そうだな。連中の顔には眉毛、まぶた、鼻、唇がないんだ。あと耳たぶもな。もちろん髪の毛もない」


「うえっ! 唇も鼻も耳たぶないの?」

「鼻のあるべきところに孔が二つと耳があるべきところに孔が一つずつ開いているだけだ」

「うわー。怖くて誰もそんな顔見たくないよ」

「だからフードを被って仮面を着けているんだ」


「まぶたがなかったら目も乾くだろうし、唇がなかったら、何か食べたら、全部こぼれちゃうよね?」

「連中も生きていくうえでそれなりに苦労してるんだろうな」

「だけど、どうしてそんな顔になるの?」

「審問官になる時飲まされる薬のせいだと俺は思っている」

「そうなんだ」


「薬を飲んで死なずに生き残り、審問官に成ったヤツはそれで済むが、死んだヤツは目ん玉が溶け出てそこに孔が空いて、脳みそが顔にある孔という孔から溶け出してくるようだ。

 俺は大ナメクジの餌にされているそんな死体を何度も見たことがある」


「さっき審問官に連れていかれた二人だけど、あの二人も審問官になる薬を飲まされるのかな?」

「それはどうだろうな。審問官も生き・・がいい方がいいだろうしな。

 さっきの二人だと歳もいってたから、大空洞の人夫をさせるんじゃないか。

 人夫を続けていればだんだん体が弱って使い物にならなくなる。そしたら大空洞に投げ込まれて大ナメクジの餌にされてお終いだ。そうでなくても人夫を続けていれば大ナメクジの粘液が体のどこかについて死ぬこともある。そうなればそのまま大ナメクジの餌だ」

「そんなことを止めさせるには、皇帝を止めないといけないんだ」


「そうなんだが、皇帝は暗黒の塔から出てくることはない。

 何度か試したことはあるが、俺でもあそこに忍び込むことはできなかった。

 そういうことなので、皇帝が塔から出てくれないと、こちらからは仕掛けようがない。

 それと、もし皇帝を斃せたとしても、まだ五公家こうけが残っている。皇帝というタガの外れた五公家がどういった動きをするのか全く読めない。お互いつぶし合ってくれればいいがな。

 俺が考えているのは、五公家こうけの一つを必要以上に弱めて、残った四公家こうけの食い物にさせてしまおうと思っている。公家こうけが四つになれば、その中の一つを弱める。これを繰り返して二公家こうけにまで絞り込んだ後は共倒れを狙うわけだ」


「そんなにうまくいくかな?」

「難しいだろうな」

「そうだよね」


「俺たちにはまだまだ時間があるから少しずつ準備を進めていけばいい」

「だけど、皇帝はもう千年も生きてるんでしょ? これから先も同じくらい生きるんなら、わたしたちなんかよりよほど時間があるんじゃない?」

「そう言われればそうだが、皇帝は俺たちが命を狙っていることを知らない。つけ入る隙はあるはずだ」


「そうだね。

 もしハンコック家とセリオン家で争いが起こっているなら、いい機会じゃない?」

「どういうことだ?」

「皇帝にとってはどちらもなくてはならない公家こうけなんだよね」

「その通りだ。その二家に限らず、どの公家こうけも無くなればその公家が仕切っている産業がガタガタになり帝国は無茶苦茶になる」


「ということは、その二家が争い合ってつぶし合うように仕向ければ、間接的に皇帝の力を弱めることになるんじゃないかな」

「どうだろうな。全ての丸薬の素材であるスラグシルバーを握っている皇帝が争いを止めろというだけで争いは終わってしまうような気がするが。

 もし二家が皇帝の命令を聞かずに戦いを続けるようなら、皇帝の私兵である審問官がその二家に差し向けられて当主が取り押さえられてしまうだろう。いくら各公家に私兵がいようとも多数の審問官にはかなわないと思うぞ」


「そのときもしも審問官側が負けたらどうなるの?」

「あり得ないと思うが、もしそういうことが起これば皇帝自らが力を振るうだろうな」

「そのとき皇帝は暗黒の塔から出てるんじゃないの?」


 ケルビンはビージーの言葉を真面目に考えてみた。

「確かに。

 そこに皇帝を斃すチャンスはあるかもしれないな」

「俺たちで公家と戦っている審問官を間引いていけば可能性はある。さらに言えば審問官を見つけ次第間引いていけば、公家の力が相対的に強くなってなにがしかの動きが出るかも知れない。

 とはいえ、公家が皇帝の命令に敢えて逆らう理由は今のところないからな」


「もし、どこかの公家で、スラグシルバーに代わる何かを見つけたとか、大ナメクジを飼いだしたらどうかな?」

「それならあり得るな。スラグシルバーの供給を止められても丸薬を作り続けることができるわけだし、皇帝を斃せばその公家が帝国の新たな主人になるわけだからな。

 ビージー。お前は覚えがいいと思っていたが、頭も相当いいな」

「えへへ。今までちゃんと考えなくちゃいけないことがなかったからいつもぼーとしていたんだけど、今は考えなくちゃいけないことがいろいろ増えてすごく楽しいんだ」

「なるほど」




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