第3話 ビージー2
台所の扉からアパートの中庭に出て顔を洗ったビージーがしばらくして部屋に戻ってきた。
「メシにしよう。昨日と同じものだけどな」
テーブルの上にはスプーンとスープの入った深皿が二つと、パンが二切れ乗った皿が二つ置いてあった。
「うん。
きのうはおいしいものをお腹いっぱい食べられてうれしかった」
「そいつは良かった。
中庭に出て誰かに遭わなかったか?」
「おばさんたちが沢山いたけど、誰にも話しかけられなかった」
薄汚れた子どもに話しかける大人は少ないだろう。その子どもの面倒を見ている自分のことを考えケルビンは苦笑した。
「
部屋の中の物は勝手に触るなよ」
「わかった。何も触らない」
「分かったなら、ちゃんと食べろ」
「うん、早く大きくなって、おじさんが喜ぶような女になる!」
「ああ、がんばれよ。それとこれからは俺のことはケルビンと呼んでくれ」
「わかった。おじさんのケルビン」
「いや、ただのケルビンにしてくれ」
「うん、ケルビン」
「それでいい」
食事を終えて、片付けを済ませたケルビンはビージーに向かって、
「留守番頼むな。
トイレ以外で勝手に外に出るんじゃないぞ。
のどが乾いたらそこのヤカンの中の水を飲むんだぞ」
「うん」
ケルビンは上着を着てその上にコートを羽織って部屋を出て行った。空を見上げると薄雲を透かして赤みを帯びた太陽が見えた。
通りのずっと先には、ゆっくりと降る灰を通して皇帝の住まいである常闇の城の黒い尖塔が曇った空を背景に影絵のように見えた。
ケルビンは二時間ほどで荷物を抱えてアパートに帰ってきた。その間ビージーは
「ビージー、おまえの服を買ってきたぞ。下着以外は古着だがな。
買ってきた服を着る前に、おまえの体を湯で洗うからな」
ケルビンは、火の消えたストーブから灰を掻き出して、代わりに種火用に炭にした麦わらと小枝を入れて、火打金で火を点けた。
火が大きくなったところで少しずつ石炭を入れていった。
石炭に火が着いたところで、大きな薬缶に樽から水を手桶で掬って入れ、ストーブの上に置いた。
薬缶の湯が沸く前に流しの前に置いたタライにも水を樽から半分ほど入れて準備しておく。
薬缶のお湯が沸いたところで、加減をみながら湯をタライに入れたケルビンは、タオルをたらいの中に入れて湯で濡らした。
「ビージー、服を脱いで、タライの中に立ってみろ」
「うん」
真っ裸になったビージーがタライの中に足を入れた。
「お湯の中に入るの初めて。
田舎を含め山は
はげ山になっていない山は木材の供給以外の目的で木を切り出すことは禁止されている。
そのため燃料は主に石炭に頼ることになる。
金さえ出せば田舎でも石炭は手に入るが、現金収入の少ない田舎だと石炭は簡単に手に入るものではない。
飲むためのお湯を沸かすことも容易ではないため、灰の混ざった水の上澄みを飲んでいるという話をケルビンは思い出した。
「まずは髪の毛だな」
真っ裸でタライの真ん中に立つビージーの頭にタライから手桶ですくったお湯をかけながら少しずつ汚れを落としていく。
最初にかけたお湯は汚れで泥水のようになったが、三度目にお湯を流したら流れるお湯はだいぶましになった。
ケルビンは汚れてしまったタライのお湯を一回流して、水を入れ、薬缶から残った熱湯を足してお湯を準備し直した。
ガリガリに痩せたビージーの
「こんなところかな」
ケルビンがタオルをビージーに渡し、ビージーが自分の頭と体を拭いたところで、
「まずは下着を着ろ」
「わかった」
ビージーはケルビンから渡され下着を着けていった。
「大きさはどうだ?」
「ちょっと大きいけど紐で結ぶからこれでいい」
「それじゃあ、こっちがお前の普段着だ。上と下一枚ずつ。それとベルトとコートが一枚だ。靴が一足あるが小さすぎたり大きすぎるようなら取り換える」
「上と下が別々の服は着たことないけど、頑張って着てみる」
ひざ丈のズボンにシャツ、それにベルトを締めて靴を履いたビージーは見違えるほどということはなかったが、痩せすぎのところに目をつむれば普通の女の子に見えた。
「いちおう大きさは問題ないな?」
「うん」
「靴もいいか?」
「うん」
「よし。それじゃあ、このブラシで髪の毛をとかしてできあがりだ」
ケルビンはブラシでぼさぼさで半乾きのビージーの髪の毛をとかしてやった。
「だいぶ見てくれは良くなったが、髪の長さが揃ってないとやっぱり変だな」
ケルビンは部屋の隅に置いてある小さな箪笥の引き出しからハサミを取り出し、
「髪の毛を切りそろえてやるからこっちに来てみろ」
パチン、パチン。……。
ケルビンがビージーの髪をハサミで切り揃えていく。最後にブラシで頭の上を軽く払ってでき上がった。
「
ビージーの髪の毛はいちおうは肩口で切りそろえられた。前髪は眉のあたりで揃えてある。
使ったタライなどを二人して片付け、床に落ちた髪の毛も箒で塵取りに掃きとった。
「これから二人で街に出て、足りないものを買い足したら、お前の装束を作るからな」
「装束って?」
「衣服のことだ」
「わたしにはこの服もあるのに、また新しく服を作るの?」
「そういうことだ。俺の助手としてお前に働いてもらうための服だ」
「そうなんだ。だったら、それ着て頑張る!
だけど、そんなに買い物して、お金はだいじょうぶなの?」
「子どもが金のことを心配する必要はないが、金ならだいじょうぶだ」
「ケルビンってお金持ちだったんだ。帝都に住んでるんだもの当たり前?」
「それなりに働いていれば、それなりに食べていけるのが帝都だ」
「ふーん。ケルビンはどんな仕事をしてるの?」
「そのうち教えてやるよ。その前に俺がじっくり仕込んでやるから覚悟しておけ」
「わかった。頑張る」
ケルビンはビージーに物干しロープにかかっていた乾いたタオルを一枚渡し、自分も一枚とった。
「それを顔に巻いて口や鼻から灰を吸い込まないようにしておけ」
「うん」
ケルビンは最後に大き目の麻袋を一枚流しの下の物入れから取り出して、手に持った。
「それじゃあ、いこう」
ケルビンはビージーを連れて表の通りに出ていった。
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