第21話 テスト終了

テストが始まるまでの数日、ハルは地獄のようなストレスに晒されていた。


由佳達はあれから沈黙を守っているが、時折目が合うと鬼のように睨んでくる。

写真の真相は結局分からず終いで、それ以上何もアクションはない。

そしてそんな注意力散漫な中でも越前の指導は容赦なく続く。

いや、これはなくては困るのだが。


「テストなんてこの世から消えればいいのに」


初日の朝から単語帳の上で呪いを吐く。

それもある程度は仕方がない。

今のハルはHPメーターもゼロに等しく、碌な装備もないまま中ボスに挑む無謀な新米勇者のようだ。

越前に持たせてもらった木の棒だけが唯一の頼りどころか。

始まる前から絶望に暮れていると、つむじをグリッと指で押された。


「よ、おはよ。酷い顔してるな」

瓏凪ろーな…」


こんな日でも清々しいほどの男前。

どんよりと濁る今のハルには、彼の後光でさえ体力を削られかねない。


「なんか、余裕そう。いいなぁ」

「何始まる前からやさぐれてんだよ。ハルだって頑張ってたじゃないか」

「うー…もうやだ。何も頑張りたくない」


ぐだぐだと弱音を吐いていると、目の前にコンと消しゴムが置かれた。


「本番で頑張らない奴があるか。この一週間を無駄にしたら怒るぞ」

「越前!」


手に取ったのは新品の黒い消しゴム。

越前の愛用品と同じ物だ。


「これ…」

「テスト中にあんな商品のオマケみたいな消しゴム使ってたら余計な時間食うだろ」

「もしかして、俺のためにわざわざ買ってきてくれたの?」


ツンと逸らされた素直じゃない横顔に遅れて、藍色に透ける前髪が揺れる。


「ついでがあっただけだ」

「ついでって?」

「…」


瓏凪は笑いながらハルの頭を子どものように撫でた。


「とにかく頑張ろうぜ、ハル。これを乗り越えたら学年遠足が待ってるぞ」

「学年遠足?」

「そう。面倒だと思ってたけど、ハルと行くなら俺も楽しみだな」


軽やかに片目をつぶり、越前と席に戻って行く。

ハルは少しだけ絶望の淵から顔を覗かせ、手の中の消しゴムを握りしめた。

結果はともあれ、やるしかない。

無情なチャイムは教室いっぱいに鳴り響き、高校生最初のテストは粛々と始まった。





***




四日間、ハルは頭が灰になるまでやり切った。

手応えがあったのかと言われればうそぶくしかないが、とにかく頑張った。


「お、終わったぁ!」


放課後を迎えると、久々の開放感に歓喜の声を上げる。

ハルは鼻先に歌を乗せ、教科書は机の中へ置き去りにして瓏凪の元へ駆け寄った。


「ろーな!」

「おぅ、ハル。お疲れ」

「うん、疲れたぁ。お腹も減ったし、早く行こ!!」

「分かった分かった」


別室で試験を受けていた越前が戻って来ると、ハルはご機嫌に二人を引っ張り教室を出て行った。


「おい、あれ」

「ああ。嘘みたい…」


遠巻きにハル達を見ていた生徒がヒソヒソと囁き合う。

由佳達を含め、教室内はちょっとした騒めきに揺れていた。


そんな事など露知らず、ハルは弾む足取りでいつもの食堂へと向かっていた。

テストが終わった後のお楽しみ。

勉強中、あまりにも辛そうなハルに瓏凪が提案してくれた、ちょっとしたご褒美。


「今日こそ俺も、ラーメンを食べる!」


桐の絵柄がキラリと光る高級貨幣がハルの指先に現れる。

ほくほくとステップを踏んでいると、越前が冷静に水を差した。


「はしゃぐのは結果が返ってきてからだろ?ちゃんと見せて貰うからな」

「え、えぇ!?なんで!?」

「ハルの弱点を把握する為だ。期末はもっとしっかり対策取るぞ」


ハルの柔らかなほっぺは完全に引きつったが、越前は聖母のような微笑みを浮かべた。


「今回みたいな詰め込み方はしない。少し早めに始めて、あまり負担なく進めよう」

「え、越前さまぁ…」

「そのかわり、ハルも外ばかり見てないでもう少し授業に身を入れるんだな」

「う…」


ハルのマリア様は中々に手厳しい。

目を泳がせる隣で、瓏凪が朗らかに笑った。


券売機で食券を買い、肺の底まで染み渡る匂いを堪能しているとハルの胸は再び高鳴った。

窓際の長テーブルに三つのラーメンが並ぶ。

目を輝かせながら手を合わせ、やっとの思いでご褒美タイムへと突入だ。


「うぅ!!美味しい!!」


はふはふと麺を啜り、レンゲに脂が浮くスープとチャーシューを乗せてかぶりつく。

長らく指を咥えて見ていただけに、感激の味が舌を大いに満足させた。

この縮れ麺に絡んだ中華スープは世界一美味しいに違いない。


「もぅ最高!!俺も毎日これがいい!!瓏凪たちはいいなぁ!!」

「そうか?俺は毎日手作りのおかずが入ったハルの弁当のほうが羨ましいけどな。ハルの母さんは料理上手なんだな」


茹で卵に箸をかけたハルの手が止まる。

当たり前のように持たされている弁当は、瓏凪や越前にとっては「ない」ものなのだ。

無神経なことを言った気がしてちょっぴり眉が下がった。


「ご、ごめん。俺…」

「今度卵焼きとラーメン交換しようぜ」


すかさずニッと笑いながらハルの不安を掬い取る。

瓏凪はやっぱり気遣い上手だ。


「そういえば越前、お前遠足どうすんの?」


瓏凪の問いに今度は越前の手が止まる。

湯気にさらされた長いまつ毛の下で、黒い双眸が嫌そうにしかめられた。


「俺がテーマパークになんかに行くと思うか?そんな暇があるなら…」

「テーマパーク!?」


ハルが重ねるように身を乗り出す。

瓏凪はすかさず倒れかけたグラスを遠ざけた。


「なんだよハル。結構前にプリント配られてただろ?」

「ちゃんと見てなかった!!俺行ったことないや!!うわぁ、行きたい!!楽しみだなぁ!!」


純粋な期待が拒否の言葉をねじ伏せる。

目を輝かせながら「ね!」と同意を求めるハルに、今度は越前が気まずそうに目を泳がせるしかなかった。

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