吸血鬼に福音を
奈々野圭
第1話 Welcome to Mad City ※'22 11/4 改
――20XX年。マッドシティ。
日は沈み、闇が支配する。今日は大雨だ。時折稲光が轟音と共に、辺りを照らす。マッドシティは、いつも喧しい。
そんな中心地から少し離れたところに、その屋敷はあった。閑静な住宅地にあるため、中心地と比較すれば穏やかだ。
地下室も含めると、四階建てになるという洋風の建物は、正しく豪邸という佇まいである。
庭も相当な広さで、車が何台も止まっている。
――そんな屋敷に、一体誰が住んでいるのか?地元のもので、ここの存在を知らぬものはいない。けれど、誰が住んでいるか、までは知らなかった。
いや、知ってはいけないのだ。何故ならば、知ってしまったら、闇に葬り去られてしまうからである。
そこは伊原邸。『闇の支配者』の根城である――
「最近頻出している怪事件……」
少女は、雷光煌めく窓から外を見ている。赤い瞳を持ち、髪は瞳と同じく赤い。前髪を目の上で切りそろえ、更に縦ロールをサイドテールにしていた。
身につけているものは、俗に言うゴシックファッションに分類されるような黒を基調とした服装だ。奇妙な印象を受けるのは否めない。
しかし、見たところは10代半ばで、その年代の少女と比較するとだいぶ小柄だ。そこはかとなく可憐さを感じさせる。
「どう思う?アサト」
少女は、窓から目を話すと、男の方を見る。口ぶりは横柄だ。可憐な出で立ちに似つかわしくない。
アサトと呼ばれた男は彼女の物言いに腹を立てるでもなく、むしろ高人に接するかのように返す。
「血液がごっそり抜かれている死体。それもここ数日立て続けに発見されているにも関わず、何故かニュースにさえならない。
「…これは『奴ら』の仕業で間違いはないかと」
アサトの話を聞いたウラトは一呼吸置く。しばらくして、こう切り出した。
「余の承諾を得ずに人間を襲うとは。誰が闇の支配者かわからせる必要があるようだ」
彼女こそ日本を裏で牛耳ってきた闇の支配者、伊原家の当主、イハラ=ウラトその人だ。
一方のアサトは、代々陰ながら伊原家を支えてきたと共に、必要とあらば汚れ仕事も厭わないという大神家のオオガミ=アサトである。
「アサト!マキにエリをここに連れてこいと伝えろ」
「ウラト様。とすると『アレ』を使う気ですか?」
アサトは困惑したが、主人に悟られまいと、どうにかして取り繕った。
「仕方がなかろう。余が出歩く訳にもいかん」
ウラトは不敵な笑みを浮かべてこう続けた。
「奴とは長い付き合いなのだ。今になって下手を打たんわ」
***
「エリ様を連れてきたっす」
部屋に少女を連れた女が入ってきた。
その少女は明るい色の、くるくるとパーマがかかったボブで、白いロングのシフォン生地のロングワンピースを纏っていた。
背格好と顔立ちはウラトと同じであるが、全体的には穏やかな雰囲気だ。尊大で威圧的なウラトとは正反対である。
「ええと、アレ、やるんすか?」
少女を連れてきた女はウラトの顔色を伺うように尋ねる。
「マキ、貴様らは本当に姉弟だな。弟も似たようなことをほざきよったぞ」
それに対し、ウラトに傲岸不遜に返した。
少女は、ウラトとマキのやり取りを見ていたが、不意にウラトが近寄ってきて少女の手を取る。ウラトは、アサトとマキとやり取りしてる時には見られなかった慈しみの眼差しを向けて、囁いた。
「エリ。本当に申し訳ない」
ウラトは申し訳なさそうにエリと呼んだ少女に頭を下げる。
「姉様、エリは大丈夫です」
エリはにこりと微笑んだ。
それを見たウラトはますます申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
ウラトは、どうにかして申し訳ない気持ちを脇に押しやり、慈しみの眼差しを険しいものに変えた。
「おい、『無名経典』よ、出てこい!!」
そして、エリに向かって恫喝した。エリは一瞬体勢を崩すも、すぐに元に戻る。
すると、今までの優しそうな表情が一変する。まるで人を小馬鹿にしたような、口に薄ら笑いを浮かべた顔になった。
「僕を呼び出すとは意外だね。だって僕が出てきても無視するか、『とっとと引っ込め』ばっかり言ってたのに……もしかして、『全てを無に帰す』ことに決めたってこと?」
表情と雰囲気が変わったエリに怖気づくことをせず、ウラトは毅然とした態度でこう言い放った。
「エリの口から世迷いごとをほざくな。貴様は『本』だ!黙って『読まれてれば』いいのだ」
ウラトは恫喝するも、エリは薄ら笑いを崩さない。
「おお、怖い怖い。でも、僕が黙ってたら願い事は叶わないよ?」
エリは相変わらず人を小馬鹿にしたような態度を改めようとしなかった。ウラトはそれに関わらず、エリの額に指を立てる。
「『無名経典』よ!全存在の消滅を願う忌まわしきものよ!捨てられし地に君臨する『混沌の主』に翻弄されし書よ!余の願う頁を開け!」
ウラトが呪文のようなものを口に出す。その途端、エリが「うぇぇ」と嘔吐きだす。続いて、口から細長いロール紙のようなものを吐き出した。
ウラトは眉を顰めながら紙を拾い上げる。
「ったく、貴様はいつも下品だな。毎度毎度、どうにかならないのか」
ウラトは文句を言いつつも、その紙に書いてある文章を読み上げる。
「鬱陶しい小バエども! 余の断りなく跋扈する吸血鬼どもよ! 目障りな輩を全て撃ち抜く鉄砲玉をよこせ!」
――呪文というには些か乱暴がすぎるような文ではあった――読み上げた瞬間、何も無いところに黒い筋が入ったかと思うと、筋は急速に広がり、禍々しい色味をした裂け目となる。
裂け目はまるで部屋を飲み込まんとしたが、そこから一つの物体が飛び出す。
裂け目は物体を吐き出した瞬間、次第に収斂していき、そして消えた。
「あはは、大当たりだ」
「当たり? これが鉄砲玉なのか?」
エリの満足そうな言い様に対し、ウラトは怪訝そうに答える。
出てきた物体は、青年であった。
頭は緩やかにウェーブがかかっているセミロングの金髪で、屈強という訳ではないが貧相でもないというバランスのよい体躯だ。ただ、身にまとっているものは白い拘束衣のようで、なにやら痛々しい印象を与える。
裂け目から出てきた青年は体勢を整えると、周りを伺うように赤い目を左右に動かす。
エリは、青年は状況が飲み込めてないように見えたので、声をかけた。
「やあ、君は『ジェイ』だね?僕は『エヌ』。エヌじゃなくて無名経典って呼ばれてるけど」
青年はエヌと名乗ったエリの方を見る。
「『ジェイ』?」
「それが君の名前だよ。だって君、名前がないじゃないか。名前は大事だよ」
「名前……」
ジェイはエヌの問いかけを反芻するかのように呟いた。
「というわけで、ジェイをよろしくね」
エヌはウラトに改めてジェイを紹介した。
「そうか。要は済んだ。とっとと引っ込め」
ウラトは再びエリの額を指に立てると、エリはその場に崩れた。マキは、慌ててエリの元に走りよって、身体を支える。
「マキ、エリを部屋に戻してくれ」
ウラトはマキに命令すると、マキはウラトに一礼し、エリを抱えてその場を立った。
***
「『鉄砲玉』ねぇ…」
ウラトはジェイを見上げる。
「それにしても随分綺麗な面だな。鉄砲玉というよりも人形だ」
「……ウラト様 、戯れでその者を呼んだわけでは……」
アサトは物珍しそうに観察ばかりしている主人に対し、気まずそうに口を開く。
対してジェイはウラトを目で追うも、表情を変えることはしなかった。
「わかっておるわ。余はこやつが使えるかどうか見極めておるだけよ」
アサトは「いや、ただ美形が目の前に現れたから観察しているだけでしょう」と思ったが黙っていた。
「それにしても、その服はなんとかならんか。誰がここをマッドシティと呼びだしたか知らん。文字通り、イカれたやつの巣窟と化してるが、流石に目立ちすぎるわ」
アサトは「ゴスロリみたいな格好をしている貴方がそれを言いますか」と思ったが黙っていた。
「とにかく、服はこちらで用意するから、それに着替えるんだ」
ウラトはジェイに向かって提案する。
「いや、その必要はない。私は『自分の身に纏っているものを変えられる』能力がある」
それに対し、ジェイはこう返した。
「ほほう、そんな便利な能力があるのか」
ウラトは感心する。
「私はヴァンパイアがベースになっているんだ。『服装を変えられる』というのは、変身能力を応用したものだ」
「成程な。貴様はヴァンパイアなのか」
「どうだろうな。ヴァンパイアがベースになってるのは確かなんだが」
「ヴァンパイアの話はあとだ。そういえば、貴様には『自分の身に纏っているものを変えられる』能力があると言ってたな……そうだ、余の言ったような格好に変えられるか?アサト!ノートとペンを持ってこい」
ウラトはジェイの服装の話に戻し、アサトに書くものを要求した。
アサトは内心嫌な予感がしたが、主人の命令に逆らう訳にもいかない。ウラトの為にノートとペンを用意する。
ウラトはノートにサッとスケッチすると、それをジェイに見せ、こう命じた。
「ジェイと言ったな。貴様、ここに描いてあるような格好をしろ」
「わかった」
ジェイは返事をする。そのとき、纏っている拘束衣のような服は黒いコウモリと化す。コウモリはジェイの身体を離れたかと思うと、すぐさま身体を纏い、服に変化した。
「素晴らしい! 上出来だ。やはり面が良いから何を着ても似合うな」
「ウラト様ー!!」
堪らずアサトは絶叫する。
「なんですか、この格好は!拘束衣よりも目立ってるじゃないですか!
「なんですか、このヨーロッパの貴族みたいなジャケットは!よく見たら後ろ長いな! シャツもなんかフリフリだし、袖がラッパみたいになってるし!
「あとシルクハット被せる必要あるんですか! それになんですか左目の薔薇! 左目を塞ぐ意味あるんですか!
「それからなんでスカートなんですか!」
「ロングだからいいだろう。脚を出してるわけじゃないし。フレアだから可動域に影響はないぞ」
アサトの怒涛の突っ込みに対し、ウラトは冷静に口を挟む。
「そういう問題じゃないんです!」
一方、ジェイはというと、相変わらずの無表情でアサトのウラトのやり取りを見ていた。
「お前もなんか言え-!」
一連のやり取りの後、ジェイは黒のスーツに白シャツ、首に赤いネクタイを締める、という出で立ちになった。
「なに、こやつの力を見極めてたのだ。中々の使い手と見える」
アサトは、「遊んでただけでしょう」と口から出かかったが飲み込んだ。
ジェイは相変わらず無言で、そして無表情で自分らのやり取りを見ている。気になったアサトは声をかけた。
「……ところでジェイ、さっきの格好、お前は恥ずかしくなかったのか?」
アサトの問いに対して、ジェイは淡々と返す。
「服装に対して、恥ずかしいか恥ずかしくないか、これは私に返答を求めているのか。ヒト社会というものは、住処を離れて他の群れの前に出る時、服と呼ばれているものを纏わなければならぬ、ということは知っている。そのさい、服の形状も気にしなければならないのか。『注目される』という状態は、繁殖行動をしたいという目的以外では望ましい状況とは言えないのはわかる。私の場合、他者に対して『認識を阻害する』能力がある。だから、どういう服を着たとしても、注目されることは回避出来るのだが」
それを聞いたウラトは、不服そうに口を尖らせた。
「認識阻害があるのか。それならば、どんな格好をしても大丈夫だな。先に言わんか」
「ウラト様ー!!」
***
「貴様、そういえば、ヴァンパイアがベースになっている、と言っていたな。
「……ということは、血の重み、わかっていないわけがなかろう。」
ウラトは真顔になり、こう命じた。
「ジェイ、余の前に手首を差し出せ。」
それに対し、ジェイは躊躇なく右手首を差し出す。
「ははは、右手首か。余の右腕になりたいというのか? まあいい」
ウラトはジェイの右手首を取ると、大きく口を開き、ナイフのように鋭く尖った犬歯を大動脈の辺りに突き立てる。
ジェイは一瞬、身体をビクつかせるも、されるがままになっていた。
ジェイの手首から血を吸っていたウラトは、もう十分だと言わんばかりに、手首から口を離した。
「うっ……」
血を吸い終わったそのとき、ウラトの足元が振らつく。それから、頭を手で抱える。
「大丈夫ですか?ウラト様」
主人の様子によからぬものを感じたアサトは、ウラトに駆け寄った。
「大丈夫だ……」
ウラトは頭を上げた。
「本当に、大丈夫なのですか?」
ウラトの顔色を見ているアサトの目には、青ざめているように写った。
「だから、大丈夫だと言っておろう。要らぬ心配をかけさせたな」
ウラトは手で口を拭う。そして、こう言い放った。
「今日から貴様は、余の下僕だ。命令は絶対だ。わかったな?」
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