*54* 炎天下のざわめき
文月も終わりにさしかかるころ。
「はぁ、終わったぁ……つかれたぁ」
この日すべての日程を終えるや否や、
「もう。明日から長期のお休みなんでしょう? もっとうれしそうにしたらどうですか?」
「
「つまり?」
「朝から晩まで、地獄のスパルタ三昧ってことなんだよ……だれのとは言わないけど!」
「おや、呼びましたか?」
「うげっ……!」
がばり。机から身を起こした葵葉の顔が引きつる。
それも仕方ない。物々しい竜頭の面をつけた青年が、突然目の前に現れたのだから。
無意識のうちに、鼓御前もぴくりと身がこわばる。
「だからあんたはっ、急に来んなって! 気配なかったぞ!」
「そうはいっても、先生が学校にいるのは当たり前のことですしねぇ」
「はりきっているようで感心です。明日からも、先生と特訓をがんばりましょうね」
「もうやだ……このひとホントにやだ……」
「陰口なんか言ってるから、こんなことになるんだぞ」
いつの間にか
「他人事みたいに言いやがって! おまえも道連れにしてやる!」
「残念だが、それは無理だな」
「はぁ? ひとりだけ抜け駆けする気か!?」
「ちがう。とにかく落ち着け」
食ってかかる葵葉だが、莇の対応は落ち着いたものだった。
「特訓を続けたいのは山々なんだが、この夏休み期間中、おれは本家にもどらなくちゃいけない」
「は? 本家? どういうことだ」
「『奉納祭』をひかえているからですよ。その件で、私もさっきまで莇さんとお話をしていたんです。つづ、きみにも関係のあることですよ」
「わ、わたしにも、ですか?」
まさか話をふられるとは思わず、鼓御前の声が上ずる。
その様子をじっと見つめた千菊は、おだやかな口調で続ける。
「
「へぇ。それが、姉さまとなんの関係が?」
「奉納する神楽は、
「それって……」
「えぇ。つづも毎年やってきたことですよ。きみには、記憶がないでしょうけれどね」
鼓御前が人の身を得たのは、ほんの三ヶ月ほど前の話。それまでは鞘のなかで、深い眠りについていた。
けれど千菊の話から、『それ』が毎年たしかに受け継がれてきたことをうかがい知る。
「毎年この時期は、御三家の代表があつまり、『奉納祭』の準備をします」
「それじゃあ、おまえが本家にどうのこうのってのも?」
「あぁ。おれはいま
「今年の神楽の舞い手は、
「昨年は
首に巻いた薄青色のストールをきゅ、とにぎりしめ、莇がつぶやく。
「気負いすぎる必要はないですよ。みんなで協力すればいいんですから。ね、つづ?」
「そ、そうですね! りらっくす、です!」
「お気遣いありがとうございます。ところで、鼓御前さま。お顔が赤いようですが……?」
「今日も暑いからですねぇ!」
「はっ、まさか暑気あたりですか!?」
「どう見てもちがうだろ。はぁ……黙ってながめてるあんたもいい性格してるよな、立花センセ」
あたふたと慌てる鼓御前から千菊へ視線をうつし、葵葉はため息。
「なんのことでしょう?」
案の定、千菊からはとぼけた返答がある。
葵葉はさらにため息をつきながら、席を立つ。そして。
「からかうのも大概にしとかないと、俺も黙ってねぇぞ」
「わわ……!」
ぐっと、鼓御前の肩を抱き寄せた。
ふいのことで鼓御前は大きくよろけ、葵葉の胸に倒れ込むかたちとなってしまう。
「おやおや。私が悪者みたいですね」
「いじめてるやつが言う台詞か?」
葵葉の言葉はそっけない。
千菊もにこやかな口調のままだが、どことなく周囲の気温が下がったような。
「……葵葉と立花先生は、なんで不穏なやり取りをしているんだ?」
そしてこの場において、莇だけが状況を理解していなかった。
なにせ、筋金入りの刀剣オタクである。要はそれ以外のことに関しては、ポンコツなのであった。
「みなさん、こんにちわぁ。あら? これってまさか修羅場ってやつ?」
そんなときだった。どこからともなく、聞きおぼえのある声が教室にひびいたのは。
(このお声は……!)
助かったわ、と鼓御前は安堵した。
想像どおりの人物──
「みなさんおそろいねぇ。ところで、困ってるつづちゃんのことは見えてないのかしら?」
虎尾は笑っている。笑っているのだが──
「論外ね。──すっ込みなさい、野郎ども」
……ぞわり。
虎尾の口から地を這うような低音が吐きだされ、鼓御前は肌が粟立つのを感じた。
「まったく……ちょっと用事があってきてみたらコレよ。呆れちゃうわね。つづちゃん、大丈夫?」
「……あ、お、おかまいなく!」
ぽかんとしているあいだに、虎尾によって葵葉と千菊から引き離されていた。そのことに遅れて気づき、鼓御前は慌てて頭を下げる。
「虎尾先生」
「はいはい。言ったでしょ、用事があったって。そんなわけでつづちゃんはお借りするわね。文句は聞かないわよ」
何事か言いかけた千菊の言葉もさえぎり、虎尾は鼓御前の右手を取る。
「それではみなさま、ごきげんよう」
そうして虎尾は、鼓御前を教室から連れだしたのだった。
「……あの、
教室を飛びだしてしばらく。階段をおり、昇降口へと向かう虎尾の背に、鼓御前は呼びかける。
「こうでもしないと、男子って気づいてくれないバカばっかりなのよね」
「ば、ばか……」
歯に衣着せぬ物言いに、鼓御前がおどろきを隠せずにいるころ。ふと虎尾が歩を止めた。
「無理やりつれてきちゃったみたいで、ごめんね。でも、どうしてもあなたにたのみたいことがあって」
「わたしに、たのみたいこと……なんでしょう?」
「
「──!」
千菊相手にもはっきりと物を言う虎尾が、言葉を濁している。なにかしらの一大事が起こったのだろうと、簡単に予想はつく。
「事情は行きながら説明するわ。アタシに、ついてきてもらえるかしら」
「はい、わかりました!」
ふたつ返事でうなずいた鼓御前は、虎尾に続いて校舎を出る。
じりじりと肌を焼くような炎天下。
鳴りやまぬ蝉時雨のごとく、鼓御前の胸はざわめいていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます