*52* 安心感

「教えて。アタシにふれられるのは、どんな気持ちかしら?」


 問う虎尾とらおの声音は、じつにおだやかなものだ。


「そうですね……」


 うまく言語化はできない。ただ千菊ちあき葵葉あおばに抱きしめられたときのような感覚とは、すこしちがう。

 たとえるとすれば。虎尾の腕につつまれるこの感覚は、桐弥きりやに抱きしめられたときのような『安心感』に似ている。


はなちゃんおねぇさまに抱きしめられると、ほっとします……まるで、鞘のなかにいるときみたい」


 朱色の長羽織を贈られたときもそうだった。

 だいじにしたい、守りたいという虎尾の想いが、つたわってくるのだ。


(花ちゃんおねぇさまの霊力は、心地よくて、なんだかなつかしいわ……どうしてかしら)


 このまま身をあずけてもかまわないという、絶対的な安心感がある。

 ほう……と感嘆をもらして、虎尾にもたれかかる鼓御前つづみごぜん。その頭上で、息をのむ気配があった。


「……うれしいことを、言ってくれるわね」


 思わず見上げたさきで、虎尾はほほ笑んでいた。その唐茶色の瞳がわずかにゆらいで見えたのは、気のせいだろうか。


「ね、つづちゃん。鈍感なひとはね、いつまでたってもひとの気持ちに気づかないのよ。だから、立花たちばなセンセの気持ちとじぶんの気持ちはちがう、そう気づけただけで、あなたはすごいの」


「そうでしょうか……?」


「そうよ。ちゃんと前に進めてる。自信をもって」


 さらさらと、髪を梳かれる感触がある。虎尾に頭をなでられる感触だ。

 そのあまりの心地よさに、鼓御前はまぶたを閉じて感じ入る。


「そういえば。つづちゃんからの質問に答えてなかったわね」


 さらり、さらり。鼓御前の頭をなでながら、虎尾がつぶやく。


「アタシがだれかを好きになったことがあるかって話。答えは、『はい』よ。アタシには、とても手の届かないひとだったけどね」


「花ちゃんおねぇさまには、手の届かないひと……?」


「えぇ。……とても、やさしいひとだったわ。泣きたくなるくらい」


 虎尾のいう人物がだれなのか、鼓御前に知るすべはないけれど。ひとつだけ。


「花ちゃんおねぇさまは、いまもその方のことを──」


 確信を胸に、鼓御前は口をひらく。

 だが、その言葉が最後までつむがれることはない。


「──あなたたち! どうしたんですか、その怪我は!」


 どこからともなく聞こえてきた、ひなの声にかき消されて。



  *  *  *



 急いで部屋を飛び出す鼓御前。

 すぐに、居間であわただしく動き回るひなのすがたを見つけた。


「ここに座りなさい」


「姉上、ただのかすり傷ですから、ご心配は……」


「動かない!」


「はいっ!」


 居間には、あざみがいた。全身にすり傷や打撲痕をこさえており、その手当てにひなが奔走していたのだ。


「これはいったい……?」


九条くじょうセンパイにやられたんだよ」


「えっ……葵葉!?」


 神社をおとずれたのは、莇だけではなかった。

 莇同様ぼろぼろの葵葉が座布団の上であぐらをかき、ふてくされている。


「葵葉。御父おとうさ──九条先輩は、昇級試験をひかえたおれたちの特訓に、わざわざ時間を割いてくださったんだぞ」


「聞こえはいいけどよ、結局は俺らがサンドバッグにされただけじゃん。あのひとどんだけ虫の居所が悪かったんだよ。てか、手入れ師のくせに殺意高すぎじゃねぇか?」


ととさまが、葵葉と莇さんを……?」


 葵葉と莇の話を総合すると、ふたりをボコボコにしたのは桐弥らしい。特訓の一環らしいが、たしかにそれにしては痛々しすぎる。

 莇の手当てはひながしているので、鼓御前は葵葉の手当てをすることに。

 そうこうしていると、遅れて虎尾がやってくる。


「あらあら。ウチの九条ちゃんがごめんなさいねぇ」


「ぜんっぜん悪気が感じられないんだけど。つーか容赦なくぶん殴るわ、投げ飛ばすわ、あのひとホントに手入れ師か!?」


「そうはいってもねぇ。手入れ師以前に、一級の覡だし。もしかしてあおちゃん、覡の昇級条件を忘れちゃったのかしら?」


 わざとらしい虎尾の発言に、葵葉がぐっと口をつぐむ。

 むろん、忘れるはずなどない。脇差わきざしをあつかうことのできる二級の覡となるためには、〝ヤスミ〟の討伐実績が必要。

 ちなみに葵葉がぶつくさ文句を言っている桐弥は、それより上、一級の覡だ。


「九条ちゃんが二級に上がるときの話、教えてあげましょうか。あの子、刀を使いたがらなかったのよ。いま思えば、つづちゃん以外の刀をにぎりたくなかったのかもね」


「それなのに、九条先輩はどうやって昇級を……?」


「知りたい? あの子ね、刀を打つ大槌おおづちで〝ヤスミ〟をぶっ飛ばしたのよ」


「はっ……?」


「かわいい顔して、やることが豪快よねぇ!」


 虎尾が高らかに笑い声をひびかせる一方で、莇の顔が青ざめる。

 葵葉にいたっては「聞かなきゃよかった……」と頭をかかえていた。


「裏方だからって舐めてたら、痛い目見るわよ」


 桐弥が手入れ師であるように、虎尾も鞘師だ。そうした肩書きがあるというだけで、一級の階級をもつ覡。

 それは、数々の死線をくぐり抜けてきたあかしである。


「そんなわけで。今後の教訓にしてちょうだい──ぼうやたち?」


 凄みのある虎尾の笑みを前に、少年たちは圧倒されるほかなかった。


「ま、タイミングが悪かったのは事実ね。九条ちゃん、いまはすこぶるご機嫌ナナメみたいだから」


 肩をすくめた虎尾が、鴨居をくぐる。

 それから葵葉、莇の順に、頭をひとなでした。


「あれ……?」


「なんだ……?」


 異変は、すぐにおとずれる。

 葵葉と莇を苦しめていた痛みが、すぅっと消え去ったのだ。

 ひな、そして鼓御前も絶句する。

 虎尾がふれたとたん、淡い光とともに少年たちの傷が完治したのは、見間違いではない。


(すごい治癒能力……人の身でここまでの霊力をお持ちの方は、いらっしゃらないのでは?)


 手入れ師しかり、覡が癒やしの力を発揮するのは、御刀さまに対してのみだ。

 ひとがひとの傷を癒やすことはできない。霊力とは、そういうものであったはずだが。


「アタシのことが気になる? ふふ、残念」


 肝心の虎尾は、口もとに人さし指を添え、「ヒ・ミ・ツ」と笑むだけ。


「さーて。お待ちかねのぼうやたちも来たことだし、お仕事しましょうかねぇ」


 この場にいる全員の注目を受けながら、虎尾はまばゆい笑みで、こんなことをのたまうのだった。


「それじゃあ、そのボロッボロの服を脱ぎましょうか、莇ちゃん!」


「…………はい?」

 

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