*42* 刀をふるう者

「お初にお目にかかります、紫陽しようさま」


 桜の木にやどった精霊、紫陽。

 彼を前にして、千菊ちあきが深々とこうべを垂れる。

 敬意を示す千菊を、紫陽は怪訝そうに見つめる。その腕には、ふゆが抱かれていた。


「ふゆおばあちゃま!」


「いけません、つづ」


 ふゆはぐったりとして、意識がない。ただごとではない状況であるはずなのに、鼓御前つづみごぜんが駆け寄ることを千菊は許さなかった。


あねさま、気持ちはわかるけど落ち着け。あの桜の精……やばいぞ」


 この場において、葵葉あおばも冷静に状況を把握したらしかった。常磐ときわ色の瞳を細めながら、鼓御前をなだめる。


「そういえば、桜の精さんに、黒い煙のようなものがまとわりついて……」


 そこまで言葉にして、鼓御前ははっとした。

 とたん、冷や汗がふきでる。

 予想しうる『最悪の状況』を、理解してしまったために。


「先ほどゆみさんを襲っていたモノが、〝ヤスミ〟の本体ではない」


 アレは操られていたモノ。

 つまり、モノにやどった邪気にはたらきかけた存在がある。

 そして、その存在というのは疑いようもなく……


やすんでしまわれたのですね、紫陽さま」


 モノにやどった邪気は、きっかけにすぎない。

 しかし自宅にまで押しかけ、口汚くふゆを罵るゆみの『負の感情』にふれ、彼──紫陽は堕ちてしまった。

ヤスミ〟を取り込み、祟り神になってしまったのだ。

 それが、千菊の見解。そして揺るぎない事実だ。


「……ぼくは、いたずらな殺生を好まない。二度とぼくたちに関わらないと誓え」


 紫陽の口調は淡々としたものだ。しかし堕ちてなお、鼓御前たちへ慈悲をかけている。


(もしかして、先日の神隠しは……紫陽さまが? ゆみさんたちに対する『警告』だったということ?)


 ゆみたちを怖がらせて、追い払おうとしていた。

 これ以上ふゆに近づくな。傷つければ容赦はしないと。


(きっと紫陽さまは、とても心根のおやさしい方なんだわ……)


 そう理解すると、鼓御前は目頭が熱くなるのを感じた。胸にあふれた切ない気持ちが、苦しい。


「ゆみさんを許していただくことは……」


「できない。その者たちは幾度となく、愚かなふるまいをくり返してきた。何度も何度も何度も……ふゆを傷つけた人間どもを、ぼくはぜったいに許さない!」


 ぶわり。紫陽の激昂とともに、濃密な瘴気が爆発的にふくれあがる。

 そのとき紫陽の腕に抱かれたふゆが、苦しげにうめいた。


「うっ……!」


「紫陽さま、どうかお鎮まりください! このままではふゆおばあちゃままで瘴気に呑み込まれてしまいます!」


「許さない……ぼくたちを引き離そうとするのなら、おまえたちも許さない……!」


「紫陽さ……!」


「つづ、やめなさい!」


 なおも説得しようとする鼓御前の腕を、千菊がつかんで引きとめる。


 ──ブォンッ!


 うしろへかしいだ鼓御前の視界を、なにかがかすめる。艷やかな黒髪のひとふさが、はらりと足もとに落ちた。


「…………え?」


 こわごわと、鼓御前は視線をもどす。そして、愕然とした。


「ふゆはぼくのものだ……だれにもわたさない!」


 凛と咲きほこっていた桜の木は、見る影もなく。

 うねうねとうごめく枝が、先を尖らせ、鼓御前たちを捉えていた。


「完全に堕ちてる。言葉が通じる状態じゃないぞ。どうすんだ?」


 身がまえる葵葉。千菊はじっと紫陽の動向を注視したまま、鼓御前へ語りかける。


「つづ、このままではこの場にいる全員の身が危険です。早急に〝ヤスミ〟を祓う必要があります」


「できません!」


 しかし千菊の言葉に、鼓御前は激しく拒否を示した。


「姉さま、なんでだよ!」


「だって〝ヤスミ〟を祓うということは、紫陽さまをも祓うということ……そんなこと、わたしにはできません!」


 紫陽は〝ヤスミ〟とほぼ同化してしまっている。〝ヤスミ〟を祓うことで、ふゆは救えるかもしれない。ふゆだけなら。


「紫陽さまがいなくなったら、ふゆおばあちゃまは悲しまれるわ……おふたりを引き離すなんてこと、わたしにはぜったいできません……!」


「そんなこと言ってる場合じゃないって!」


「無理です! できないんです!」


 とうとう鼓御前は、わっと泣きだしてしまった。

 付喪神としては感情豊かなほうであった鼓御前だが、それにしては情緒が不安定だ。


「もしかすれば、瘴気にあてられてしまったのかもしれませんね。……つづはひとの痛みがわかる、やさしい子ですから」


 こうしているあいだにも、鼓御前は瘴気にさらされている。御刀おかたなさまは穢れを多く受けるほど、手入れも困難を極めてゆく。最悪、なおせない『きず』がのこってしまう。

 ゆえに千菊は、行動する。

 心を鬼にして、鼓御前へ語りかける。


「泣いているひまはありません。立ちなさい、鼓御前」


「でも……でも……!」


「愛すべき人の子を守る。そのために闘うのではなかったのですか? ならば、ぐずぐずしている場合ではないはず」


「っ……!」


「ちょっと、いくらなんでも言いすぎじゃ……」


 仲裁に入ろうとした葵葉を、千菊は毅然とした態度で制する。


「言ったでしょう。今日は見学だと」


 それは、口を出すなという牽制だ。

 葵葉が知る蘭雪らんせつは、『鳴神将軍』という異名にたがわず、厳しい人物だった。

 そしてその厳しさとおなじくらい、やさしい人物でもあった。


「大丈夫だから、きみは見ていて」


 そのひと言で、葵葉は引き下がる。

 そうだ、最初から口を出す必要などなかった、と。


「でもわたしは、刀です……斬ることしかできない……わたしでは、紫陽さまを傷つけてしまう……っ!」


「つづ」


 千菊はすすり泣く鼓御前の肩にふれ、ぐっとふり向かせる。


「──私を見て」


 鼓御前は、紫水晶の瞳を極限まで見ひらく。

 いつの間にだろう。千菊が面をはずしていた。

 そこにいるのは、恐ろしい竜ではない。

 澄んだ青玉の瞳を持つ青年だ。


「そうです、きみは刀です。ただ斬るだけなら、きみさえいればいい。けれど、御刀さまにはお付きのかんなぎが必要なんです。なぜだかわかりますか?」


「そ、れは……どうして、ですか?」


 千菊はふ……と口もとをほころばせ、そっと鼓御前のほほをつつみ込む。


「それはね、正しくふるう者が必要だからです」


「正しく、ふるう者……?」


「悪しきものを斬り、そうでないものは傷つけない。その判断は、刀のふるい手、覡がおこないます」


 ……こつん。

 ひたいとひたいが、ふれあう。


「私がいます。私を信じて。きみならきっと救うことができます──つづ」


「あるじさま……」


 吐息がふれあうほど近くで、千菊がほほ笑む。

 ほ……と脱力した鼓御前を抱きとめた千菊は、いま一度少女のからだを力強く抱きしめた。


「諸々の禍事まがごと罪穢つみけがれを祓えたまひ、清め給え。かむながら守り給い、さきわえ給え」


 舌先でころがすように、千菊が祝詞のりとを口にする。


かしこみみ畏みをももうす──鼓御前つづみごぜん


 鼓御前をさいなんでいた苦しみは、もうどこにもなかった。


「──よろしい


 呼びかけに、ひとたび応えたなら。


 ぱぁあ……


 まばゆい光とともに、ひと振りの刀がすがたを現す。

 目にも鮮やかな朱色の鞘におさまった、脇差わきざしが。



  *  *  *



 その光景に、葵葉は目を見はった。


(俺のときみたいに、抜き身の刀身じゃない)


 朱漆塗しゅうるしぬりの鞘。あれは、鼓御前の神気が具現化したものだ。

 千菊はその手腕でもって、より多くの鼓御前の力を引きだしてみせた。そのあかしである。


(敵いっこないだろ。……さすがだなぁ、あるじは)


 いっそ清々しくなって、葵葉は笑いをもらす。


「いきますよ、つづ」


 千菊の手ににぎられたなら、もう恐れはなかった。むしろ鼓御前は、高揚していた。


『承知いたしました、あるじさま!』


 ふたたびその手でふるわれる喜びに、こころが震えていた。


「近づくな……!」


 紫陽が手をかざし、鋭利な枝が襲いかかってくる。

 柄に手を添え、一歩、二歩と千菊が歩みを進めた直後。


 ──すぱぁんっ!


 襲いくる枝が、まっぷたつに断ち切られていた。


「なんだと……!」


 うろたえる紫陽。それを、葵葉は可笑しげにながめていた。


「いいことを教えてやろうか。蘭雪公は刀をふるわせたら化け物級だが、そのなかでも居合いの達人だ」


 居合い。それはまばたきのうちに刀を抜き放ち、一瞬にして勝敗を決するもの。

 稲妻が落ちるように、一瞬で敵を斬り伏せる。

 それこそ、蘭雪が『鳴神将軍』と恐れられるゆえんのひとつである。


「要するに。このひとに刀を抜かせた時点で、あんたの負けだ」


 たっと、千菊が跳躍。またたく間に紫陽の目前へ迫った。


「この……!」


 千菊を薙ぎ払おうと、枝が襲いかかる。

 しかし身をひとひねりしてかわした千菊が、柄を握りしめ。


「──そこです」


 漆黒にかがやくきっさきを、紫陽の胸に突き立てた。


「っぐ……ぁあッ!」


 当然ながら、紫陽は苦しみ悶える。だが刃が突き刺さっているというのに、その胸もとから血液は一切流れない。


「感じて、さぐりあてるのです。そして、穢れだけを断ち切る」


 静かに語りかけながら、千菊が漆黒の刃をぐっと押し込んだ刹那。


 ぶちり──


 分厚く絡まった糸が、ちぎれる音がした。

 ほろほろと、紫陽に巣食っていた黒い色彩が消えゆく。


「……ふゆ……」


 遠のく意識のなか、紫陽はうわごとのようにつぶやいた。


「……ごめん、ね」

 

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