Fragment-memory of future-Ⅲ

黒乃

プロローグ

始まりを告げる音色

 静寂に包まれている森の奥で、男は笛を奏でていた。彼の笛から聞こえてくる音色は愛情に包まれているものの、何処か胸が苦しくなるような切なさを孕んでいる。彼の周りで静かに曲を聞いていた動植物たちも、まるで親に甘える子供のように男の周りで鎮座していた。


 男には愛する人がいた――いや、この言い方では語弊がある。男には、今でも愛している人物がいる。出会いは、男がその人物と出会った時まで遡る。


 その当時、男は人間たちに追われていた。

 時は世界大戦の真っただ中。人間の軍勢と人間以外の種族、果ては魔物でさえも。全ての生きとし生けるものすべてを巻き込んだ大戦は、何十年も続いてた。

 男は人間とは違う種族の血を引いていたことで、人間たちから狙われていたのだ。


 男に戦うための能力はなかった。代わりに、奇蹟を起こすことのできる鉱石を生み出せる能力があった。ひとたび身体に埋め込めば不老不死の能力が与えられる、文字通り奇跡の魔力が宿った鉱石。

 本来ならば一族以外の誰にも知られるはずのなかった男の能力は、人間たちの巧みな罠によって、解明されてしまう。それから、男の長く苦しい逃亡生活が始まった。


 どこに逃げようとも、誰に頼ろうとも。男はいつも売られ、裏切られ、辛酸を舐めさせられてきた。やがて誰も信じず、ただ生き残りたいという一心で、隠れるように生きるしかなかった。

 そんな時だ、男が己が生涯を通して愛せると思えた人物と出会ったのは。


 その人物は男がもはや、憎悪の対象としか見れなかった種族である人間だった。しかしどういうわけか、その人物は同族である人間と敵対していると話した。自分のような、力ない種族を人間たちから守るために戦っているのだと。


 正直にわかには信じがたい話だった。何せ男は多種多様な手口で、過去に人間から裏切られてきた。それらの事実が、男に人間を信じるという行為に二の足を踏ませていた。

 だから男はその人物に問いただした。どうして自分を助けようとするのかと。どうせ優しくするのは建前であって、己の能力が本来の目的なのだろうと。

 男の言葉にその人物は即座にそうだなと一つ頷いてから、こう答えた。


 ただ一言、お前が欲しいからだと。


 男はその言葉に混乱した。確認の意味も含めてもう一度、ほしいのは己ではなくて能力の方なのだろうと改めて尋ねた。その問いかけに対しての返事は、否。


「お前の能力ごとお前が欲しい」


 その人物は次ははっきりと、男に言い聞かせるかのような口ぶりで答えた。


 衝撃的だった。今までは同じ問いを投げかけては同じ返答が返ってきていた。そんなことはない、本当に助けたいのだ、と綺麗事を並べただけの中身のない言葉ばかりだった。

 それが目の前の人物は、いっそのこと堂々とした態度で自身の目的を男に伝えた。それがどこか、嬉しかった。


 その時からだったかもしれない。男が目の前の人物に惚れてしまったのは。

 それからは人間とはいえ、その人物と共に行動するようになった。その人物の人となりや考えにも同調出来て、彼の力になりたいと強く思えた。そう思いながら過ごした日々は、これまでの男の中の人生で一番充実し、生きていると実感できたと思える日々だった。

 だから男は気付けなかった。その人物の本心を、目的を。


 愛している人物の別側面を知ってから、男はいつからかその人物がどこか恐ろしい存在に思えてしまった。人となりが、性格が、全くの別人になってしまったように感じてしまったのだ。

 その人物は本当は、そんなことを望んでいるんじゃない。己の中でそんな思考を巡らすも、現実は男の予想をはるかに上回っていた。その人物が起こす行動を止めることが出来ず、横で眺めることしか男にはできなかった。

 その姿を見ながら、目の前にいるのは愛している人物の皮を被った怪物なのではないかと、男は自問自答を何度も繰り返した。


 そのうち衝突する機会も増え、とうとうある時、男はその人物のもとを去った。目の前にいる人物は、己が惚れたあの人物ではなくなってしまったのだ。そう考えることで、男は逃げた。

 愛している人物は、逃げ出した自分を追ってくることはなかった。それに気付いた時に男は羞恥を覚えた。

 結局自分だけだったのだ。自分だけが愛している人物に対して惚れ込んで、求められることが嬉しくて、舞い上がっていただけだったのだと。


 それでも、男はその人物を愛することをやめることはできなかった。どんなに変わってしまったとしても、その人物のことをどうしようもなく愛している自分がいたのだから。


 だから男は、待つことにした。自分が愛している人物を止めてくれる、誰かを。

 どれだけの時間をかけようとも、現れるかもわからない人物を、ただひたすら曲で奏でながら。


 その日も男は笛を奏でていたが、ふと顔を上げて空を見上げた。


「どうやら、始まってしまうようだね」


 傍にいた動物の頭を優しく撫でた男が、何処か悲しそうに、しかし待ちわびたかのように言葉を漏らす。


「……僕の待ち人ももうすぐ来そうだ」


 動かないとね、自分自身に言い聞かせるように呟いて男は立ち上がるのであった。

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