胡桃色の髪の少女

 胡桃色の髪の少女ユイーズ皇太子妃殿下は冷酷に告げる。


 目元は鉄壁の前髪で隠れ、表情は分からない。


 そして彼女は軽い会釈とともに数人の騎士を連れ、その場を後にした。


 ハンカチを叩き落した、あの傭兵然とした騎士だけは警戒するように通路を塞いでこちらを睨んでいる。


 確か、ランドルフ中隊長と彼は呼ばれていた。


「あ、ロザリンド様」


 声の方を向けば、窓側の書棚の方の通路から、アレンが顔を見せていた。


 すると、ランドルフ中隊長が怒鳴った。


「アレンっ!」

「っ! はいっ!」


 身についた習性なのか、アレンはピッと地面と垂直に背筋を伸ばした。


「貴様、第二騎士団の職務を理解しているのかっ! どうして、皇太子妃殿下がおられる場所に人を通した!」

「それは報告でした通り――」

「言い訳は聞かん! 終礼後は隊室に集合だ。分かったな」


 そう言い放つと、年季の入った傭兵風の騎士は皇太子妃殿下と騎士たちを追って図書室を出て行った。


 不手際を叱られたアレンが恨めしそうに、わたしを見遣る。


「ロザリンド様は何をしでかしたんですか!? 中隊長が怒鳴り散らすのは、いつものことですけど……皇太子妃殿下と何かありましたか」

「ユイーズ皇太子妃殿下と少しお話をして、その後にランドルフ中隊長を含む第二騎士団の方々が現れたの」


 アレンは口を尖らせて訊ねた。


「皇太子妃殿下はともかく、中隊長達にナトミー子爵家の令嬢だと名乗りましたか?」

「いいえ? 名前を伝えただけで、子爵家の者とは口にしていません」


 あそこで長々と自己紹介をしても、遮られることは確実だっただろう。


 アレンは眉を寄せて、困ったような表情だ。


「第二騎士団の全員が、爵位と結びついた家名に心当たりがあっても、貴族の子女全員の名前と顔までは憶えていないんです。私も五月蝿い連中の顔と名前なら分かりますが、令嬢となると、西宮殿の誰で、どこの領地の者かなんてさっぱり分かりません」

「ただでさえ後宮に同じ年頃の令嬢が溢れて、あらかじめ覚えておく肖像画もないものね」

「ええ、その弊害かもしれません。……あの、中隊長が怒鳴って申し訳ありません。後で、間違いだったことをきちんと報告します」

「新鮮な体験でしたよ。子爵領ではありえないことでしたから」


 子爵家の馬車で街や村へと訪問する時、わたしが子爵令嬢だということは、すでに知れ渡っている。だから中隊長の歳で怒鳴るような気性の者は、そもそも会ったことがなかった。まあ、新鮮な経験と言いつつも、正直二度と怒鳴られたくないなとは思ったけれど。


 アレンは恐々と頷いた。別に怒っているわけでもないのに不思議だった。


「それと……あのですね、ロザリンド様。ユイーズ……皇太子妃殿下のお立場が危ういことはご存じですよね」

「もちろんです」


 皇太子妃殿下を取り巻く事情は、モニカ姉様から聞き及んでいる。西宮殿に居座っている元皇太子妃候補の令嬢を中心に派閥が立ち上げられ、皇太子妃殿下は孤立していると。


「問題は、皇太子妃殿下を標的に、悪質ないやがらせが多発していることです。中隊長達の気が立っているのはその所為です。たとえば、贈り物に虫のたぐいや針を紛れ込ませたり、だいぶ前には毒物を染み込ませた布飾りコサージュが差し向けられたこともありました」

「その贈り主はきちんと処罰されたの?」

「――出自不明の使用人しか捕まえられなかった。不甲斐ないばかりです」


 アレンは心底悔しそうにしている。


 わたしとしても、初めて聞く嫌がらせの詳細は眉をひそめるほどのものだった。皇国の治安の良さを思えば、悪意を持って他人を傷つけるなんてことは、心に抱く善意が許さないだろう。


「まさかこの皇国でそんな酷いことが起こるなんて……皇太子殿下は? 未来予知の加護を行使すれば、首謀者を捕まえるのはいとも容易いでしょう?」

「ユイーズ皇太子妃殿下は、皇太子殿下の力を利用したくないの一点張りで、何があったのかすら伝えられていません」

「そんな、どうして……」

「彼女は我々第二騎士団にもその理由を教えてくれません。幸いにも、東宮殿の上階は近衛の管轄なので、食事や衣類、部屋そのものに害がもたらされることはありませんが、隙の多い外出中に狙いが集中することでもあります。危害を目論んだ事案が後を絶たないので、日頃から第二騎士団が警護についている状況です」


 なぜ、ユイーズ皇太子妃殿下は、皇太子殿下を頼ろうとされないのだろう。


 皇太子殿下を心配させたくないから? だけど、皇太子妃殿下が危険な目にあう方が不安にだってさせるはずだ。


 それならば……皇太子妃殿下は、多忙な皇太子殿下の手を煩わせたくないのかもしれない。


 次期皇帝として地盤を固める大事な時期に迷惑をかけたくない。いうなれば、二人の愛情が足枷となって良からぬ方向へ動いてしまっている。


「西宮殿のサロンへ行きましょう。そんな非道な行いは許せません。ひとこと、ふたこと、それ以上の警告をして差し上げなければ」


 ギルデッド男爵夫人の忠告を聞いても、西宮殿のサロンへ行く気はさらさらなかったのに。


 皇太子妃殿下への嫌がらせの数々を聞いて、わたしは押し掛けてしまいたい気持ちに駆られていた。


「なっ、危険ですよ。どんな考えがあって無策で乗り込む気になれるんですか?」

「無策で結構。ちょうどお呼ばれされているのだから、ご挨拶も併せてしまいましょう」


 アレンは反対しているが、わたしはあれこれ言ってやらなきゃ気が済みそうになかった。


「無理して意地悪をされに行くようなものです、無茶だ……っ!」

「無理でも無茶でも結構です! わたし、西宮殿の令嬢の方々は名前と経歴だけなら全員、憶えています。立ち居振る舞いを観察すれば、どなたかなんて簡単に分かりますから」


 側妃候補の令嬢たちは、あいにく子爵領に直接の影響はない方々ばかり。領地や領民を慮り、臆する必要はない。


 だが、アレンにはわたしの腹積りが伝わらなかったようだ。


「ロザリンド様! 私が誰の為におっしゃっているのか理解しておられますか?!」


 そう言って彼はわたしの前に立ちはだかる。


 押し通るには、思いやりに擬態した彼の思惑を指摘するしかなかった。


! 第二騎士団として、ユイーズ様の周囲に不穏な要因を引き込みたくない。だから、わたしを引き止める。以前のことであれば、糖菓子店コンフェクショナリーでの第一騎士団団長ユグミシット卿の脅しを受け入れた」


 アレンは言い返された言葉に虚を突かれていた。冷静に思い出してみれば、あの時、彼はひどく動揺していたのだ。


『君。これは誰の評判が落ちるのかを理解していての行動かい?』


 第一騎士団と第二騎士団が争って、評判が落ちるのは皇都に不慣れな第二騎士団。そうして同郷の皇太子妃ユイーズ様が引き合いに出されて、貶される。これまでのこと、そして現在の行動からも、アレンの優先順位は皇太子妃ユイーズ様が最上だった。それゆえ、彼はわたしを引き止める。


「っ……オレはロザリンド様のことも考えています」

「わたし自身のことは別に良いのです。気になるのは……ユイーズ様のことも『考えている』で済ませたのですか? 皇太子殿下に助けを求めないことも、ユイーズ様の意図を汲んだ結果でしょう。ですが、ユイーズ様自身が皇太子殿下に迷惑をかけたくないからといって、傷付く姿をそのままにしてよいと思いません」


 行く手を遮るアレンを、わたしは避ける。


「今のわたしは、真にユイーズ皇太子妃殿下の為に行動したいと思っています。アレンが疑ったように、本来彼女を憎むべき立場の、領地持ちの貴族であるわたしを信じられない気持ちもあるでしょうけど」

「領地持ちの貴族だとしても、ロザリンド様のことは信じています。けれど……っオレ達だって何もしなかった訳じゃない」


 アレンはわたしに追いすがった。


「これまでも貴族令嬢を――領地持ちの貴族の縁者、宮廷貴族問わず声をかけてきました。ですが全員、領地に戻るか、西宮殿の令嬢側につきました。ロザリンド様は違うと信じたくても、過去の経験則からいって心変わりしないとは断言できません」


 火花散る導火線のように、わたしたちは言い争いを続け、西宮殿へずんずん進んでいった。


 ついには中央宮殿と西宮殿の境目まで到達し、アレンが足を止めた。


「オレが一緒に行けるのは此処までです」


 警戒する彼の視線の先は、中央宮殿と西宮殿の境目。


 そこで佇む品の良い立ち姿のふくよかな年配の夫人は、わたしたちへ柔らかな笑みを向けた。


「初めまして、ナトミー子爵令嬢。西宮殿のサロンはあちらです」


 出迎えたその夫人は、ギルテッド男爵夫人とは別の西宮殿の女官だった。


 彼女は簡潔にサロンの方向を伝えると、西宮殿への道を明け渡した。


「ロザリンド様、どうしても行くんですか?」

「アレンには、西宮殿の令嬢たちよりも、わたしを信じてほしいから」


 わたしは言葉を残し、西宮殿の区画の手前でアレンと別れた。


 西宮殿のサロンの大扉はどれも開け放たれ、廊下は忙しなくメイドが行き来していた。


 幾多の大扉の内、誰も通らないサロン中央の大扉から令嬢の園へ足を踏み入れる。


 この訪問者に気付いたサロンの令嬢が凛とした声で訊ねた。


「どちらの方?」


 一瞬にして、サロン内が静まり返り、視線が集中する。


「お初にお目にかかります。ナトミー子爵家のロザリンド・デ・ナトミーと申します」

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