婚約パレード
アレンと別れ、控室まで戻って来たわたしをマディル公爵は落ち着いた様子で迎え入れた。
不在のパパは依然、子爵位継承の手続きに煩わされているようだった。
「ロザリンド嬢、何か良いことでもあったかな」
「どうして分かったのですか」
「顔に出ているよ。今までで一番嬉しそうな顔だ」
バレてしまってはしょうがない。けど、そんなに嬉しそうな顔をしていただろうか。
既に共犯者のマディル公爵ならパパに告げ口をされる心配もないので、わたしは正直に初めての友人との出会いを語った。
「第二騎士団のアレンという方とお友達になったのです。経緯は――」
第一騎士団の少年の
「へぇ…………第一騎士団にね」
「第一騎士団の彼は警邏中のようでしたから、何事もないようにと意識するあまり、気が張っていたのだと思います」
あの状況から導き出すにはあまりにも好意的な解釈だ。それを承知の上で、あえてそう語ったのは、少なからずわたしの下心が招いた結果だと思うからだ。平和的な帰結に落ち着いたからこそ、自省が引き立てられた。
マディル公爵は、そう恥じ入るわたしの憶測とは異なる推論を述べた。
「おそらくだが、ロザリンド嬢は助けられたのではなく、第一騎士団と第二騎士団の
「そうです、その通りです。田舎者だとか、金食い虫だとか。声がかからなければ、何が起こっていたか……」
アレンは努めて冷静を装っていたが、握手をした彼の右手には触れただけで分かる深い爪の跡が残っていた。一足遅ければ、血を見る結果になりかねない一触即発の事態だっただろう。
「第一騎士団と第二騎士団は犬猿の仲だ。どちらもやむにやまれぬ事情があるとはいえ……」
マディル公爵は心苦しげにため息をついた。
皇太子妃の件でも思い知ったが、皇都の政情は想像以上に複雑で知らないことばかりだ。子爵令嬢という立場上、一端を察することができても、それでは将来の子爵たる者の及第点には遠く及ばない。原因は何も知らないことだ。
「お義兄様。その二つの騎士団の事情を是非とも教えていただけますか」
「ああ、良いとも」
マディル公爵はあっさりと快諾した。
だが、けろりとした顔で続けた言葉にわたしの背筋は凍った。
「子爵となれば、時たま議会の為に皇都へ参上しなきゃいけないだろう? だから皇都に駐在する騎士団、とりわけ第一騎士団の反感を買っては、暗殺されかねない……。馬鹿らしくて笑えてくるが、領主たるもの面倒事は避けなければ」
「あ、暗殺されてしまうのですか……?」
「第一騎士団は貴族の不正や悪魔が関与する事件への捜査権を持っていて、隠密に対象を処理してしまうことも許されているんだよ。ん? ……ああ、別に彼らの反感を買っても直ぐに暗殺されるということはない。騎士団に楯突く者は何かやましいことがあるだろう、ぐらいだからね」
マディル公爵は恐れ慄くわたしを見て、予期せず脅し文句を言い放ってしまったことに思い至ったようだ。公爵は口端を上げて大事ではないと話を取り繕った。
「第二騎士団も、第一騎士団のような特権を持つ為に、競合し、いがみあっているのですか」
「そっちの騎士団はこれといった権限はない。ただ、魔獣討伐の前線である辺境伯領出身の者が多く、騎士団長があのニコライ・サンドレス伯爵だ。領地持ちの貴族と縁故がある第一騎士団が、彼のいる第二騎士団を恨まない訳がない」
「では、第一騎士団と第二騎士団が険悪である理由は……やはり
「私も兄や多くの友人を失ったが、君も母上や親類を亡くしていたね」
「……はい。それに生まれるはずだった弟も」
サンドレス伯爵活躍の、十年前のジキルライン防衛戦の勝利の影には、現在でも尾を引く重大なつづきがあった。
敗北を喫した悪魔はジキルライン防衛戦の一年後、皇国の各地で行われた貴族の祝勝会を狙って、報復を行ったのだ。
呪詛の依り代を贈り物に紛れさせたり、もしくは肖像画を呪詛に利用したり……そうやって皇国の多くの貴族を殺害したのだ。
ナトミー子爵家にもその魔の手が及んだことは言うまでもない。
お母様や分家に至るまでの親族が呪詛に巻き込まれて亡くなった。その日、パパとモニカ姉様は皇都におり、他領に嫁いでいたオリビア姉様とコデット姉様は祝勝会に参加していなかった為、助かった。わたしは……物心つく前の出来事なのか、その前後のことを全く憶えていない。
ともかく、彼らの
サンドレス伯爵の活躍をきっかけに多くの領地持ちの貴族が死を迎えたことによって、貴族で構成された第一騎士団は伯爵擁する第二騎士団を嫌悪している。
ひととおりの説明を終えて、マディル公爵は重たい息を吐いた。
「ジキルライン防衛戦が十年前。その報復が九年前か。時折、思うことがある。まさかこの私が公爵と呼ばれるようになるとはね」
マディル公爵は昨日も首にかけていた簡素な意匠のペンダントを触りながら、そう言った。
悪魔の報復はわたしが子爵位を継ぐ起点であったが、マディル公爵も等しい状況にあったのだろう。公爵が何かと気遣ってくれるのは、そのためかもしれない。
ふと、あることに気が付く。
「そのペンダント……もしかしてお亡くなりになったご家族の肖像画でも入っていらっしゃるのですか?」
「え……ああ、
「先程、露店で紙片をはめ込めるロケットペンダントを見たばかりだったので。あれは
あのペンダントの用途から考えて、彼のペンダントも親しい人々の細密肖像画を収めていることは予想がつく。ただし、報復で肖像画が呪詛に利用されたことを考慮すれば、貴族が親しい生者の似姿を肌身離さず持つことはありえなかった。となれば、死に別れた家族と推測するのが自然だろう。
マディル公爵は自身のペンダントを掲げて、見定めるように眺めた。
「そんな安物では無いと思うのだが…………うーん、安物だね。何であっても愛着が湧くと捨てられなくなる」
「素敵なことですよ。どんなものにも価値を見出せるということですから。それに愛着が湧くだけの長い期間、大切にされている証拠でもありますし」
反面、わたしは童話集の奥付の模様から
今のところ、失くさない自信があるのは記憶だけだ。
「しかし、露店で細密肖像画がはめ込めるペンダントが売られているとは、平和になったものだね。貴族は今も肖像画を描かず、飾らずを暗黙の了解としているのが滑稽なほどだ」
「
「その認識で合っているだろうね」
報復以降、皇国の貴族は徹底的に肖像画を忌避していた。
まず、画家に肖像画を依頼しなくなった。そして、誇るように飾っていた先祖の肖像画ですらも、火にくべて灰にするか、宝物室の奥深くに仕舞い込み埃を被らせるかの二者択一。
わたしのお母様の肖像画だって、鑑賞されることも、持ち出されることもないよう厳重に保管されている。だから、パパがわたしの瞳の色はお母様譲りの碧眼だと散々言い聞かせてくれなければ、わたしはお母様の容姿を……髪の色ですら知らなかったりする。
皆、分け隔てなく平和を享受していても、貴族だけは過去に囚われている。
第一騎士団と第二騎士団の不和も、肖像画を自制する不文律も、前に進むことができない貴族を象徴する好例だった。
暗い話題が続いた為に、控室がしんみりとした雰囲気に包まれてしまったことは気の所為ではない。別の話題を切り出すにも、憂鬱なまでに口が重かった。
「私の可愛い可愛いロザリンドを暗い顔にさせた馬の骨は此処にいるのかねぇ?」
ギクリとして、わたしとマディル公爵は控室の入り口を振り返る。
不気味な森の影よりも暗い闇を全身から発しての、パパ登場。
「あぁあぁ~、いえいえ、いえいえ、混雑で皇都の露店を楽しめないことを二人して残念がっていた所ですよ」
「はいっ、そうです! 代わりに、用意していただいた皇都のお茶菓子を頂戴していたところで、パパもいかがですか?!」
ごまかしが饒舌すぎる。
そう冷静に指摘されたら、わたしが一人きりで皇都の散策をしていたことが露見していただろう。ただ、パパは
本当、肖像画の話題も含めて、パパの追求を切り上げられたことは幸いだった。
そしてようやく、白亜の城のように美しい街並み、その一部である二階テラス席に移動する。
宮殿へ一直線に続く中央の大通りを挟み、観衆が鈴なりのようにしてパレードを待っていた。
「はじまりはもうすぐですよ」
今日の賑やかさに滑り込み、楽団のトランペットの音色が響き渡る。
主役が登場する合図に、全員が息を潜め、場は静寂に包まれた。
しかし、それも一瞬。歓声と拍手が波のように広がり、大きくなる。
「皇太子、皇太子妃両殿下がおいでになられたぞ!」
誰がそう口にしたのかは分からない。それでも、観衆が二人を待ちわびて祝福していることは確かだった。
「これはまた、随分と遠い」
パパが呟いた通り、主役を乗せた馬車は宮殿へと続く中央の大通りのまだほんの端っこ。
このテラス席から見るとまだ親指ほどの大きさなので、肝心の場面まではパパとマディル公爵が世間話に花を咲かせるひと時となった。
「子爵。爵位継承の申請の件はどうなりましたか」
「当然のことだが、受理されたよ。後日、皇立学院卒業試験相当の筆記試験と皇都の大教会にて対面論議の後に、皇帝陛下の裁可を経てからにはなるが。公爵推薦の家庭教師からお墨付きをいただいたロザリンドならば大した問題でもない」
「そうでしょう。家庭教師のテスコール氏も、ロザリンド嬢の飲み込みの良さを褒めておられた。今度、皇立研究所の入館許可状を特別に、ともおっしゃっていたな」
「ああ。ロザリンドは
なんてことだろう。
パパの娘自慢にマディル公爵が乗ってしまったら誰も止める人がいないではないか!
パパにありったけのお世辞を並べられるのは平気でも、それに同調する人物が現れて、かわるがわる褒めそやされるのは流石に恥ずかしい。
よって途中からは聞き流していたが、どうしてマディル公爵はわたしの話を振ってしまったのだろう。まあ、パパのご機嫌取りの方法で一番手っ取り早いのは分かるけれど……。
しかし、このままパパの子煩悩ぶりを長々と聞いていたら両殿下は通り過ぎていってしまう!
「そこまでにしましょう、パパ。マディル公爵も。おしゃべりし過ぎて、皇国一お幸せなお二方へ祝福の言葉をかけられなくなったらどうするんですか!!」
わたしは待ち遠しさにかまけて立ち上がると、テラスの手摺に駆け寄った。
長い世間話が交わされていた間に、両殿下を乗せた馬車は、先行する近衛騎兵隊の顔が見られるまでに近づいていた。
目下の民衆は色とりどりのスミレの花束を振り、歓声を送っている。わたしと同様にテラス席から観覧する紳士淑女も、テラスの手摺から乗り出して、花束の代わりに手を振り祝福の言葉を捧げていた。
大掛かりな祝祭に参加するのは初めてのことなので、わたしは見よう見まねで手を振った。
借りものではあるけれど心の奥底からの祝福の言葉を捧げるうちに、白馬に引かれた壮麗な馬車は目と鼻の先にまで近づいてきた。
ようやく、女神が与えた
「………………え?」
喜びにほころばせた顔を凍らせて、わたしは呆然とした。
間近に迫った馬車に目を凝らし、見間違えたのではないかと疑った。だってそれは見慣れた、いや、待ち焦がれた姿形の彼が馬車に乗っていたから。
「リヴィ?」
わたしは更にテラスから身を乗り出して、彼をよく見た。
白銀に近い
どれをとっても、皇太子殿下は看守の少年リヴィにそっくりだった。きっとリヴィが死なずに済んだのなら、彼のような立派な青年へと成長していたに違いない。
そして、テラス席から馬車を見通せるということは、馬車からもテラス席がよく見えるということだ。
皇太子である彼は、勢いよくテラスから身を乗り出し目立っていたわたしに向けて、優しく微笑みながら左手を振った。
直後、未来の皇帝陛下から直に挨拶を賜った周囲の観衆は喜びに沸き立った。
だがしかし、当の本人にとっては嬉しくも哀しい残酷な現実だった。
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