第2話 献身と拒絶
(え? ……あれ?)
ニーズヘッグ二十階層。十九階層へと上がる階段の手前。背中に感じる地面の固さと頬に感じる何やらチロチロした感触に、アイナは目を開けた。
「はっ!」
慌てて周りを見回す。あの虎の魔物の姿はない。
(何なんだろう……? 私、あの魔物にやられたんじゃ……?)
無意識に右手で左の肩を触ってぎくり!とする。丈の短い袖なしのワンピース。その左肩はざっくりと裂け、ぐっしょり濡れている。
(これは……? ……血……?)
右手の指に付いた赤黒い液体を見たアイナは、慌てて自分の身体を見下ろす。裂けているのは左肩だけではなかった。ワンピースは右脇腹まで切り裂かれ、その隙間から素肌が見えていた。
「ひゃっ!?」
アイナは思わず両肩を自分で抱いて素肌を隠そうとした。キョロキョロと周りを見回す。人はおろか魔物の一匹すら居ない。
(不思議……服は確かに血で濡れてるのに、傷がない)
傷がないだけではない。ベルクに突き飛ばされて打ち付けた背中、グランに蹴られたお腹、リリアに引っ張られた肩。そのどれも痛みがなくなっている。身体に重く圧し掛かっていた疲労感さえ消えていた。
(これが私のスキル、『
他人のスキルは『鑑定』スキルがなければ覗き見る事は出来ないが、自分のスキルは自分で見る事が出来る。
アイナの持つスキル――『
スキルは、同じ名称でも保持者の持つ「属性」によってその性質が変わることがある。
世間一般で知られている『
アイナの『
『血風の狼団』はアイナにとってこれっぽっちも大切ではなかった。これまでの行いを考えれば当然である。よってヨルドの致命ダメージをアイナが肩代わりすることはなかった。
アイナが自ら身売りした奴隷商は、鑑定によってアイナの持つスキルが何かを知っていたが、金のかかる属性判定までは行わなかった。しかし、良心的なこの奴隷商は『血風の狼団』が『
それは、可能性は極わずかであったものの、命属性以外の属性をアイナが持っていることを考慮してのことだった。奴隷商の進言を聞かなかった『血風の狼団』は、まさに自業自得と言えよう。
もうひとつのスキル『
なお、『
そのため、文献はおろか伝承にさえ残っていない。奴隷商もそのスキルが何なのか分からなかったので『血風の狼団』に説明すらしていなかった。
(『
あの恐ろしい虎に切り付けられた瞬間を思い出し、アイナは再び自分を抱きしめて身震いした。
その時、ふと視線を感じて左を見る。そこには、今まで見た事のない生き物がちょこん、と座っていた。
「えぇっ!?」
思わず大きな声が出て、アイナは慌てて自分の口を塞いだ。
犬のような座り方でこっちをじぃっと見ているその生き物。一番近い生き物は……イタチ? いや、耳が立ってるからキツネかな……? 真っ白でふわふわしてそうな毛が生え、真っ赤な目はくりくりと大きいが、それはたぶん、身体が小さいから……
(って、すっごく小さい! これ、私の手に乗るんじゃないかな!?)
「あなたが私を起こしてくれたのかな?」
言葉が通じる筈もないのに、アイナはその小さな生き物に問いかけた。その生き物は、アイナをじぃっと見つめながらこてんと首を傾げる。
(くっ、かわいい……!)
見た目がいくら可愛くても、ここはダンジョン。危険な魔物かも知れない。アイナにもそれは十分分かっていた。だがアイナも女の子。可愛い生き物には目がないのである。
(お腹、空いてるのかな……?)
ワンピースの下に履いているショートパンツの尻ポケットに手を入れる。そこには、万が一の事を考え、『血風の狼団』の目を盗んで隠しておいた干し肉の欠片が入っていた。
ほんの少しちぎって、白い生き物の前に差し出す。鼻を近付けてクンクンと匂いを嗅いでいたが、ぷいっと顔を背けて食べようとしない。
(固すぎる……? それとも、塩が効き過ぎてるのかな?)
アイナはその欠片を口に入れ咀嚼し、柔らかくしてぺっと自分の手の平に吐き出す。それを再び白い生き物の前に差し出す。
クンクンと匂いを嗅ぎ、今度は小さな口でぱくっ! と食いつき、上を見上げて飲み込んだ。
(食べた! やった!)
それから何度か同じ作業を繰り返した。白い生き物は徐々にアイナに近付き、遂には太腿の上に乗っかった。
(な、撫でたい……)
「噛まないでね……」
アイナはその生き物の背中をそっと撫でた。
(ん……?)
白い毛は想像通りふわっふわだったが、想像してなかった物が背中に付いていた。
(これは……翼、かな?)
小さな小さな翼。両手の指で摘まみ、優しく広げてみても、それで飛べるとはとても思えない小ささだった。
(ま、いっか)
翼らしき物の存在はひとまず置いておくことにして、ふわふわを堪能する。優しく撫でていると、白い生き物は目を細めて「キュイ!」と鳴いた。
(鳴いた! 声も可愛い!)
アイナはほっこりしていた。ついさっき、
(はぁ。いい加減、どうするか考えなきゃ)
アイナはキュイックを撫でながら考えていた。そう、不思議な白い生き物に、アイナは「キュイック」と名前まで付けていた。由来はもちろん鳴き声である。安易であった。名付けられた方はたまったもんじゃないが、キュイックは意外とその名を気に入ったようだった。
(いずれにせよ、ダンジョンから出ないと。ここには居られない)
幸いキュイックと戯れている間、魔物が近付いて来る事はなかった。目の前には十九階層に続く階段がある。この二十階層から下の魔物より弱いとは言っても、ここから出口までの間にも魔物はいる。戦闘力ゼロのアイナにとっては、強かろうが弱かろうが魔物に襲われれば負ける。って言うか死ぬ。
(でも私には『
なるべく魔物を避けて進もう。もし襲われて死んでも大丈夫な筈、たぶん。出口を目指せばいつかは辿り着く筈、たぶん……
『血風の狼団』の囮にされ、一度死んだショックから立ち直ったアイナ。太腿から優しくキュイックを降ろして立ち上がった。
「キュイ?」
キュイックが小首を傾げてアイナを見上げる。
「キュイック……そんな目で見ないで……さあ、お母さんの所にお帰り!」
キュイックの目は特別何も変わっていないのだが、十二歳のアイナには、その目が別れを惜しんでいるように見えた。だってそういうお年頃だもの。
「あなたを連れては行けないの。この先は危険がいっぱいだから……私にはあなたを守れない」
口ではこう言っているが、連れて行きたい気満々である。ここで本当にキュイックが去ってしまえば、かなりしょげる。小一時間しょげる自信がアイナにはあった。
でも、キュイックが嫌がるのに無理矢理連れて行こうとは思わない。それでは、自分の扱いが酷かった『血風の狼団』と同じになってしまう。あんな風になりたくなかった。
「ごめん!」
そう言って、アイナは目の前の階段に向かって駆け出した。キュイックを守れないのは本当だし、キュイックにもちゃんとお母さんやお父さんがいるだろう。そこから引き離す権利なんて自分にはないのだから。
振り返っちゃいけない。階段の一段目に足を掛けた時、自分の思いと裏腹に勝手に身体が振り向いてしまった。
(キュイック……!)
そこには、小さな手足を一生懸命動かして、アイナの方に近付いて来るキュイックの姿があった。その姿を見て、アイナの涙腺が崩壊した。
「わぁぁあん! キュイックぅ! 置いて行ってごめぇぇぇんっ!」
アイナはその場に膝を付き、キュイックを受け止めようと両手を差し出した。今まさにキュイックを抱きとめようとした刹那、キュイックはアイナの両手をするりと躱して一目散に階段を登って行った。
「……え?」
その時、遠くからこちらへ向かって突進してくる黄色い塊が見えた。
グルォォォオオオ!
あの
「えぇぇぇ!?」
アイナはキュイックの後を追い、必死で階段を駆け上った。
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