第3話 撒かれた種が華開くその時まで


 その日もまた、カイトとハルキ達は旅の道中、かの国の護衛達に守られながら休息をとっていた。ここサザンクロスの国は、どこも温暖な過ごしやすい気候で、木々が生い茂る緑豊かな土地だった。そういう意味では、日本の春の時節に多少似ているかもしれなかった。けれども四季は無く、乾季と雨季が交互に訪れる、農業に適した土地であった。

 晴れていれば、日中の陽の光は心地好い眠りを誘い、穏やかな午睡を楽しむ事も出来るだろう。

 そんな土地の正午にも近いだろう時分の事。

 同行者達との団体行動にも慣れ、カイトもハルキも、大分気安く会話を交わすようにはなった。あくまでも、異世界の若者としてのそれであったが。


「そちらの世界ではそれが普通なのか」


 そう言って微笑んだのは、カイトの面倒見を任された(押し付けられた)セルジョだった。迎えにやってきた彼等の中では、最も穏やかで話しやすく取っ付きやすいのが彼なのである。男女共に人気の高い、信頼された騎士だった。


「うん。学生って大体そんな感じだよな。他所の国は知らねぇけど。ほんと、平和ボケした所だよ」

「それな。罵倒されたのに、それで萌えキャラ作っちゃったりとかさ」

「あー、そんなんあったなぁ。ハルキ、良く覚えてんな。結構昔の話だよな、アレ」

「もえ……?」

「あっ……“萌え”って、え、コレ何て説明したら良いんだろ。可愛いキャラクター的な?」

「可愛いキャラクタァ……」

「あー、うん、もうそれでいいんじゃない?カイトのがそういうの詳しいでしょ」

「うるっせぇ、ハルキも大して変わんねぇだろッ」

「あははっ」

「な、成る程……」


 セルジョの話し易い雰囲気のお陰だろうか、二人は普段と変わらぬ調子で会話を繰り出す。若干、若者の話題に付いていけないし社会人のようなやり取りにも見えなくもなかったが、誰も指摘する者は居なかった。

 そのような様子を、他の人間達はどこか羨ましげに見ているのだが、カイトもハルキも当然のように声をかける事はしなかった。何しろ、二人はほんの少し人見知りな、イマドキの若者なのだから。

 特殊な事情もあって、二人だけで過ごす機会はその年代の誰よりも多かった。そんな二人の息の合ったやりとりに、誰かが口を挟める筈がない。


「二人は、本当に仲が良いな」


 セルジョではない、別の騎士がぽつんと呟いた。この世界に来て、ハルキとカイトに一番最初に話しかけた金色の騎士だった。あの時カイトが見抜いたように、彼は彼の国の王子の一人であった。世継ぎにはどう足掻いてもなれない位置だそうで。しかし、確かに身分はこの中でも確実に上位にくる男。本名かどうかは不明だったが、彼はアウジリオと名乗った。

 振り向かせる事が目的ではない、アウジリオの自然とこぼれ落ちたような声に、ハルキとカイトは逆に興味を惹かれた。二人にとってそれは、何度聞かれたかも分からない、聞き覚えのある言葉だったから。


「まあね!」

「当然!」


 元の世界でも散々応えてきたその台詞を、二人は当然のように言い放ったのだった。

 それをどこか眩しそうに見ながら、アウジリオは更に言葉を続けた。


「……そうか。なら、二人がどのように暮らしてきたのか、興味がある。続きをもっと話してくれないか?この地での人々の暮らしぶりは、二人もそれなりに聞いていると思う。ならば我々は、君達の世界について知りたい」


 優しげな表情を浮かべながら、アウジリオがカイトとハルキに問う。彼の言う通り、ここのところ二人はこの世界についての話ばかりを聞かされてきており、逆に、二人がどういった生活を送ってきたかは話に上る事もなかったのだ。初めて聞かれる、自分達の世界に関する問いだった。


「俺らの……」

「世界……」


 先程セルジョに聞かれた時のように、二人は一度ジッと互いを見つめ合ってから、ニッコリと笑ってアウジリオの問いに応えるのだった。


「いいぜ!」

「もっちろん!何からが話すのが良いかなぁ……カイト、何からがいいと思う?」

「あー……、俺らの国の事と学校の事から話さないと駄目じゃ────」


 そんな二人の様子に、多くの者達が毒気を抜かれる。別に二人にその気がなくとも、彼等の仲睦まじい様子はいつだって他者の目には微笑ましく映る。それが異世界であったとしても同様で。神子を取り合い言い争いをしていた者達も、多少なりとも二人の仲に感化された様子だった。どうやってハルキとカイトを引き離すか、そんな主張を囁いていた者ですら、バツの悪そうな顔で黙り込んでしまう。この場に居る誰もが、ひとり、またひとりとカイトとハルキの講演に引き込まれていくのだった。


「──で、高校卒業するからーって、カイトと卒業旅行も計画していざ! って時にね……」

「それな。俺、ハルキと一緒に海外一度は行ってみたかったわ。……まぁ、ここも海外っちゃ海外みたいだけどな」

「一方通行だけどね!」

「ほんそれな!」


 キャッキャと二人が騒ぎながら説明が終わると、そこで休息時間は終了となった。この時ばかりは、カイトも昔の事などすっかり忘れ、唯の高校生カイトとして、普段のハルキとのやり取りを楽しむ事が出来たのである。それはきっと、幸せなひと時に違いない。

 何もかもを忘れた事にして、こうして二人気のままに過ごすのも悪くない。それは確かに、カイト自身の願望に過ぎなかった。


 そんな幸福なひと時も終わりを告げ、彼等は早々に出発する事となった。随分と慌ただしい出発だとカイトは思ったものだったが、聞けば、もうじき国の首都が見える所にまで到達するのだという。夜になる前に、せめて領内の関所の中には入っておきたいとの事だった。


「あの辺りには厄介な魔物が出る。万が一、出られたら応援を呼ぶ必要もある。昼間の内に抜けてしまいたい」


 そんな簡易的な説明を聞かされて、出発の準備をしながらハルキとカイトはコソコソと囁くように会話を交わす。


「魔物だってさ、カイト。いよいよファンタジーだね。どんなのが出るのかな」

「んー、アレじゃね、ゴブリンとかオークとか、洋ゲーなんかにも良く出てくるヤツ? ……うーわ、俺想像したくねぇわ」

「現れてのお楽しみなのかな? ──あっ、いや、やっぱ嘘、俺も絶対出会したく無い……秒で殺られる気がする」

「それな。騎士の人達と一緒に固まってようぜ……」


 本当の所、カイトはどんなモノ達が現れるのかは知っている。ずっと昔、散々蹴散らして来た者達だったから。

 けれども今、カイトは高校生なのだ。片手で魔物や魔族なんかを吹き飛ばしたり、結界を張って敵の侵入を抑えたり魔術を掛けたり、そんな事が出来る筈はないのだ。だから全く検討外れな事を言って、少しでもハルキの心情を考慮するのである。


 あそこに出るのは、魔物だなんてそんな生優しいものではない。知恵を持ち、人を喰らわんと食指を伸ばす、魔族崩れの化け物共。変に自信過剰な割には人間相手に敵いもせず、絡め手でどうにか人間を罠に嵌めようとするのだ。カイトが生きていた頃も、どれ程の人が犠牲になったかは知れない。一介の従者でしか無かった彼がどうにか出来るはずもなく、当時も犠牲は増える一方だった。


(散々注意をしろと呼び掛けたというのに、そんなものに引っ掛かった間抜けを気にするお人好しはこの世界には普通居ない。ここはそういう世界だから)


 在りし日の主人が異常な程の他人想いだったから、代わりに彼は性悪になったのだ。付け入ろうと画策する者共を、片っ端から切って捨てた。比喩の時もあったが、文字通りにそうした時もあったはずだ。けれどそれ位が、彼等には丁度良かったのだ。己を無碍にする事も厭わない主人の知らぬ所、平気な顔で泥に塗れ、工作し、他所でも内でも恐れられる。それが、彼だったのだ──。


「カイト? 大丈夫?」

「え?」

「何か、遠くの方見てたから……」


 懐かしい事を微かに思い出していたところで、ハルキに声をかけられハッとする。見ればハルキは、どこか不安そうな表情でカイトを見つめていた。カイトにとって、過去を思い出す事なんて別に大したことでは無いのだが、この心優しい『親友』は、目敏くもカイトの異変に気付いてしまう。そして、まるで自分の事であるかのように、彼の事を心配してしまうのだ。こんなハルキの心根が、以前の主人に良く似て居ると、カイトはどうしても思えてならなかった。


「んだよ、そんな顔して……別に何とも無い。王都ってどんなかなーって見てただけだっつーの!」

「あでっ! 痛い、何すんの!」


 言葉を言い終えると同時、デコピンでハルキの額を打ってやれば、心配そうだった表情がいつもの拗ねたような顔に変わる。それをしめたと思いながら、何かを言われる前にカイトはさっさと歩き出してしまう。


「お前の方こそ変な顔してるからだっつーの! ほら、行くってよ」

「あ、ちょっと待ってカイト、俺も!」


 妙に鋭いハルキの事、きっとここに来てからのカイトに違和感を感じているようなのだが。きっとそれは確信では無いはずだ。でなければ、ハルキはすぐにカイトに聞いてくる筈だから。そして何より、彼がかつてこの世界の人間だったなんてそんな事、本人の口から暴露されなければ絶対にバレやしないのだ。カイトが下手さえ打たなければ、かつての彼を『知っている』人間さえ居なければ、何の問題もない。そう、自分を納得させて彼は心を落ち着けるのである。この所、ざわざわとして妙に騒がしい自身のこころ。カイトはそれに無視をした。

 そんな彼の背後で。カイトにも誰にも知られず、ひとり呟く。



「カイトの夢を見たなんて……言ってもきっと信じないだろうな」


 カイトの後ろを走って追いかけながら、ハルキの口から溢れ出た言葉は。本当に誰にも聞かれる事なく、その場で消えていったのだった。


 それが実は、神子ならではの予知夢の能力であって。未来を変える為の神子のお告げは神官達によって各地へ伝わり、代々国を良い方へ導いて来た、というのは国の人間ならば誰もが知る話で。それを未だ知らぬハルキは、その時が来て初めて夢のお告げの重大さを知る事になるのである。

 そしてカイトですら、ハルキが既に神子の能力が開花しているだなんて、知るはずがなかった。だからこの先まさか自分が、以前と同じような道を歩みそうになっているだなんて、到底気付けもしなかったのである。



『なぁ、おい…………あいつか?』

『──多分な。気配は別物だが、覚えのある魔力だ』

『そりゃ結構だ。今度はちゃんと引き摺って来いよ?』

『見くびんな。二度と、同じ過ちは犯さねぇ』


 人間の踏み入る事の出来ぬ領域で、そんな言葉を交わす者が二人。

 前世での所業がまさか思った以上に影響を齎していて、それが新たなる騒乱の火種になっていただなんて、とっくに死んでしまった彼が知る筈もなく。

 晴れ渡った空に、嵐の前の静けさはよくよく馴染んだ。




* * *





『左舷方向から敵多数、構え』


 突然空から降って来た女の声は、警告だった。

 それは本当に咄嗟の事で、声の主を探しているのか、ハルキは驚くばかり。カイトもハルキの真似をして目を見開きキョロキョロするなどしたが、声の主が誰かを知っているカイトは内心、気にもとめなかった。いっそ気になったのは、襲撃者に纏わる情報の方である。聞き耳をたてながら注意深く、しかしさりげなく観察した。


「騎士は前へ!」

「うわ、ちょ、怖っ」

「おおー、騎士だ……」


 声が降ってきて即座に、アウジリオが真っ先に叫んだ。小声でハルキやカイトが悲鳴やら感心やらの声を上げる中、アウジリオの号令に反応した騎士達は、ハルキとカイトの乗る馬を護るように陣形を組む。神官達もまた馬を降り、騎士達の後ろを護るように陣取っていた。言わずもがな、彼等にとっては、かの神子様を護る事が最優先だからだ。

 そして、彼等の迎撃態勢が整ったかと思った次の瞬間の事。左手の岩山の影から突如、ワッと多数の騎馬兵達が飛び出して来たのだった。岩山には到底隠れきれないだろう数十にも及ぶ人間の兵士達は、明らかに何者かの手によって巧妙に隠されていた。待ち伏せによる奇襲を狙ったそれは、見事、大魔導士の活躍により狙いを外した形となった。


「ッチ!読まれてたか」

「こりゃ大魔導士だな……あんのババア、中立とかほざいておきながら」

「おい、どうすんだ!」

「……少しでも良い、奴等の兵力を削いでおけ」

「んな無茶な……アレ一人一人に並ぶような戦力、ウチじゃそもそも外に出す余力はねぇぜ」

「承知の上だ。見計らって撤退しろ」

「……了解した」


 岩山の間より最後に出て来た二人組がそのような会話をする中で。サザンクロス王国の精鋭達は、彼等をあっという間に返り討ちにしてしまったのだった。

 撤退の合図と共に岩山の方へと戻って行く騎馬を見ながら、アウジリオとその近くに居た近衛騎士、エルネスという男が言葉を交わした。


「よし。いくらあの人数の騎馬とはいえ、奇襲が成功していたら危なかったな。大魔導士殿の助力と心遣い痛み入る」

「ええ、本当に。……アレは、北部連合の連中でしょうか?」

「恐らくはな」

「我らに昔攻め落とされてからも尚諦めない……いい加減身の程を知れというに」

「まぁ、そう言うな。力を削がれ最早羽虫程の力しか残してはおるまい。完全に力を失う前の悪足掻きといったところか。──ただの負け犬の遠吠えよ」


 そのような会話を小耳に挟んだカイトは、耳慣れない北部連合という言葉にはて、と思考を巡らせた。彼の生きた頃に、そのような連合は無かった筈だった。

 北部にある国々はどこも岩と森林に囲まれた雪深い土地で、南部にあるサザンクロス等に比べると、どこも小さく貧しかった。そんな国々の中でも、唯一大国と呼ばれた国があったが、あそこはもう、無くなってしまった。雪の降らぬ土地を求め南下し、しかし強欲で凶暴であったが故、南の国々に叩き潰されてしまったのだ。

 元々無くなっても当然な程の酷い国だったので、その当時のカイトはザマァない、と嘲笑ったものだったが。現在はそんな連中の残党がこぞって手を組んだ、という事だろうか。彼は少しばかり考えてしまった。あれらの生き残りがもし再びあの地を支配しようものならば。きっと昔のカイトなら、即座に叩き潰していた事だろう。奴らはそれ程にどうしようもない所だったのだ。


 ただひとつ、ここでカイトは不安の種を思い出す。あの地には魔族が居た。魔族は北部に居た連中と同じように、凶暴で強欲で、時に人をいたぶっては殺す、これまたどうしようもない種族である。人よりも長生きで頑丈で、魔術を自分の手足のように使い熟す、非常に厄介な存在だった。

 そんな奴等の中には、昔のカイトを知っている者がいる筈だ。そうなると少し、厄介である。彼等は人間では太刀打ちができない程、鼻が効く。下手に出会ってしまえば、カイトが普通でない事、そしてこの世界で生きた記憶を有している事を看破される恐れがあった。

 何せ、数百年も生きる種族だ、確実に何人かは今でも生きているはず。話を聞く限り、カイトが知っている時代からはまだ、百年程しか経っていないようだから。

 まぁいずれにせよ、ここは比較的平和な南部で、北部の魔族達の領域からは遠く離れた土地だ。神子の傍に居れば、出くわす事もそうそうある訳が無い。

 そう、大丈夫なのだ。考え過ぎだ、何を恐れる事がある。と、半ば無理矢理納得させるようにカイトはバッサリと思考を切り上げた、はずだった。

 今唯一の不安の種はそこで。それさえ無ければカイトはずっと、普通の人として生きて行く事が出来るのである。蹂躙される心配も、昔己が持っていた力についても何も考える必要もなく、日本に居た頃と大して変わる事なく平和に安心して暮らせる。カイトには、その権利が与えられた。

 例えハルキと二人、何処かへ逃亡する道を選ぶ事になっても、カイト達はただ日本へ戻ってしまえば良い。今のカイトにとってすら、それは簡単な事。やり方は知っているのだから、ハルキさえ居れば簡単に帰れる。

 だから、そう、何も心配することは無いのだ。

 そう無理矢理自分を納得させるように言い聞かせて、何かを予見して騒つく心の内を何とか落ち着けようとする。けれどもその時からずっと、カイトの中から不安が無くなることはなかった。

 昔の力なんて失って久しいはずなのに。どうしてだか、今尚その感覚が思い出される。咄嗟に口を覆うと、目敏いハルキから声がかかった。


「カイト? 顔色悪いけど……もしかして体調悪かった?」

「あー……今少し、気分が良くないかも」

「おや、それではまた、眠りますか? 良いですよ、私に身体を預けて頂いても」

「折角だからそうしてな、セルジョならもう慣れただろうし」

「ん、そう、する。お願い、シマス」


 考え過ぎだ、大丈夫、何もない。何も起こらない。内心で繰り返しそう言い聞かせながら、カイトはセルジョにそっと身体を預けたのだった。人の体温はいつも、自分を安心させる。ハルキの事を考えながら、カイトの意識は深く深く沈んだ。

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