第9話

 席に戻ると、そこには私の心配などは他所に、酔い潰れてテーブルに突っ伏した貴教くんの姿が在った。

 本当は「大丈夫っ?」って、直ぐにでも寄り添って介抱してあげたいのだけれど・・・。

『あーあ、珍しくたかのり、完全にアウトだな。えっと、確か、なつみちゃんってさ、たかのりんちと方向一緒だったよね?タクシーでこいつの家の前まで送っていってよ。アパートの前で放り出して良いからさ』

 本気とも冗談とも分からない感じで笑いながらの高村君にそう言われ、私はチラッと楓に視線を送る。

 楓は私の視線に気付くと、『うん』と目だけで合図を送り返して来た。

『あーあぁ、山田もダメそうだ。こいつは俺が送って帰るわ。んじゃ、たかのりは、なつみちゃんお願いね。今さ、マスターにタクシー三台呼んで貰うからさ、俺と山田、馨と楓ちゃんと麻衣ちゃんは方向一緒だろ。それに、たかのりとなつみちゃんの三台に分かれて帰ろうぜ。けど、なーんで俺が山田の面倒見ないといけねぇんだ?』

 中川君がぼやきながら、私にウインクするものだから、私はどんな顔をして良いのやら・・・


 ――なになに? これって仕組まれてる? 私の気持ち、皆にバレてる?


 でも、完全に酔っ払ってグロッキーな貴教くんは、多分、無関係、よね?



 それから程なくしてやって来た一台目のタクシーに、貴教くんが高村君と中川君に担ぎ込まれるようにして乗せられ、その後に私が乗り込もうとした時、楓が私に近付いて来て耳元で囁いた。

『大丈夫よ。石神君こんなに酔ってるんだから、あんたにその気がないなら変なことにはならないわよ。でも、なつみがその気なら・・・、それも良いんじゃない?』

『バカっ、何言ってんのよ』

 私は急いでタクシーに乗り込むと、高村君に聞いていた貴教くんのアパートの場所を運転手さんに告げた。

 タクシーが走り始めて間もなく、貴教くんが『う、うーん』と目を開け、私と目が合うと、彼は薄っすらと微笑んで、『よかったぁ、怪我、無かったんだね・・・』、それから『また明日、虫捕りに・・・』、そう呟くように言って、再び目を閉じた。

 目が合った瞬間、私に走った一瞬の緊張感は、貴教くんが再び寝入ってしまったことで、ゆっくりとほぐれていく。


 な、なんだぁ・・・寝惚けて夢でも見てたのね・・・。でも、その夢って・・・


 それから私は、随分と薄くなった貴教くんの顔の傷跡を、愛おしく撫でるのだった。



 結局私は、貴教くんに肩を貸すようにして、彼の部屋まで上がり込んでしまい・・・


 シャワーを浴びた貴教くんが素面に戻ったように感じられて・・・


 私も覚悟を決めて、シャワーを借りて・・・

 そしてシャワーから上がった私は、もう変に逃げたりしない、そう心に誓い、バスタオルだけを身体に巻いた・・・


 ・・・・・・・・・・・。


 なのに、私が部屋に戻ると、貴教くんは既に・・・


 ・・・・・・・・・・・。


 ――貴教くん・・・、私、少しだけ、添い寝したら、帰るね・・・


 そんなことを思いながら、私は彼の隣に潜り込み、いつの間にか、私も・・・



 目が覚めてから、あんなこと(きゃぁ)があって、そんなこと(いやぁん)もあって、今、こんなこと(貴教くんがシュン)になっている。


 話を元に戻さなくちゃ。

 そしたら、貴教くんも違った意味で元気になってくれるかも。


「あのね、貴教くん、さっきの質問のことだけど・・・。あの時一緒に居た男の人・・・」

 私が貴教くんの右腕に自らの腕を絡めながら、そこまで言うと、彼の身体が一瞬ビクッと硬直したみたいだった。

「あれはね、『儀人兄さん』っていって、私の母方のいとこのお兄さんなの。あの日ね、大学の冬休みでこっちに戻って来てた儀人兄さんにちょっと無理にお願いして、お買い物に付き合って貰ってたの・・・」

 そこまで口にした私は、これ以上は言えないっ、って、そう思って上目遣いに貴教くんの表情を窺った。


 ――どう、かしら? ただの従兄なの。安心してくれた?


 本当は、今直ぐにベッドを抜け出して、ハンドバッグを手に取りたい。

 でも、今、この何ひとつまとっていない格好で、ベッドから抜け出して自分の身体はだかを晒すのは恥ずかしくって、身動きが取れないよ。(しかもまだ、カーテンをしてるとはいえ、部屋の中、かなり明るいし・・・)


「そ、そうだったんだ・・・。俺、何か、変に勘違いしちゃってたみたいで・・・。いや、恥ずかしいな、俺・・・。なんか、変なこと訊いちゃって、ごめん・・・」

 貴教くんの腕の硬直は解け、口調は凄く照れ臭そうで、そして優しい。

 でも、貴教くんは、見上げる私にチラッと視線を落としただけで、また直ぐに天井の方に顔を向けてしまう。

 正直に言うと、私は貴教くんが『なーんだ、そんなことだったのっ』って笑顔になってくれて、私をギュッと抱きしめて頭をポムポムってしてくれることを期待していたのに。

    ◇




 落ち着け、落ち着け。


 僕は自分に言い聞かせる。

 今もそうだが、七瀬なつみの視線にロックオンされると、僕はいつだって反射的に目を逸らしてしまう。

 そして、今、この至近距離。もう逃れきれない。

 情けない。


 ん? 情けない? 何がだ?

 三回戦が上手くいかなかったこと?

 ずっと昔の思い違い?


 ん? ちょっと待て。何故逃げる必要が?


 何か、大きな勘違いをしていないか?

 頭の中がぐちゃぐちゃでまるで整理がつかない。


 今この状況を俯瞰することを試みる。


 ・・・・・・・・・・・。

 多分、恐らく、いや間違いなく、七瀬なつみは僕のことを・・・

 ん? 本当か?


 俄かには信じ難い。


 それでも僕は、意を決して、一度は逸らした自らの視線を、再び彼女に向ける。

 するとそこには、涙を瞳いっぱいに浮かべた、僕がこれまでずっと好きで、大好きで、でもそれをどうすることも出来ないでいた、七瀬なつみが、僕を見詰め返していた。


 ‼


 僕は気付いてしまった。僕が大馬鹿野郎だってことに。

    ◇


    つづく

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