第21話 撃癒師、賛辞を述べる

 食堂なるというよりはレストラン。

 それも格式を感じさせるそこには、間の悪いことに昼間、カールが撃癒を施してやった数人の貴族が顔を揃わせていた。


 互いに視線が交錯し、あちらとこちら。互いに気まずさを感じる。

 入り口でカールが足を止めると、彼よりも背の高いサティナはカールの頭越しに状況を見取り、小さく耳に囁いた。


「他の場所にしますか?」


 一人の視線が二人になり、二人が四人、六人へと視線が増えていく。

 ケリーと共に活躍し、船のローザと共に船の怪我人を救って回った宮廷治癒師のことを、知らない者はその場にいない。


 しかし、ここにいるのは貴族ばかり。

 その人数は二十数人しかおらず、彼らの目つきは好意的とは言い難いものがある。

 威圧感にカールが臆していると後ろから声がした。


「進んでよ。詰まっていると動けないわ。小さい人」


 軽く侮蔑を含んだ言葉が背中に刺さる。

 それは少女のものだ。

 出たなうるさい小オオカミ。


 前門の貴族、後門の黒狼。

 そこには昼間着ていた服とは違う、藍色のワンピースに身を包んだイライザが腰に手を当てて、仁王立ちに立っていた。


 後ろには護衛のケリーがいて、振り返ったカールとサティナに「どうも」と一礼する。


「小さい言うな」

「年下に言って何が悪いのよ。小さいのは小さい」

「イライザ……さん、と変わらないと思うんですけどね、僕は」


 周囲の雰囲気に抗えず、内気な性質に傾いた少年はぼやくように反論を口にする。

 その元気のなさに、イライザは昼間会った彼ではない、外観だけがそっくりな別人がいるような違和感を覚えた。


「……何よ、どうかしたの。治癒師様」

「なんでも、ないよ」

「変なの。入らないの? あんなに活躍したんだから、遠慮することないのに」

「うっ」


 遠慮のない性格のイライザは、遠慮なしにそう言った。

 それはまるで狩りに長けた狼が、獲物の弱みを的確につくような物言い。


 夫が見る見る間に緊張し、背中を丸めるていくのを見て、サティナは「ちょっと」と苦言を呈する。


「イライザ。失礼な物言いはなりませんよ。仮にも身分が上の方なのですから」

「はあい……」


 言葉とは裏腹に尾は元気よく立っている。

 まだまだ暴れたりないとそれは物語っているように左右に勢いよく揺れていた。


 先に店内に入る二人を見送り、案内のボーイが二人に希望の席を聞く。

 店内を見渡すと、壁一面がガラス窓になっている席の最奥が空いていた。


「あの席は?」

「只今、ご案内可能です。治癒師様」


 彼はメニューを脇に用意すると、片手を腰に回し恭しく一礼する。

 後に続いて歩けば、そこかしこから嫌味が飛んできた。


「なんだ、わしらを気絶させておいて。こんな場所によく顔を出せたものだ」

「おい見てみろ。あの連れている女は民族服じゃないか。まともなドレスすら与えられない主人など、主人たる意味がないな」

「まったくだ。土着の民など、このような場所に連れて来るものではない。常識を疑うぞ」


 口さがない批判がカールとサティナに突き刺さる。

 下を見ながら、自分のせいで彼女が侮辱されているのだと思ったら、カールは激しい苛立ちを感じた。


 それはあんな低俗な言葉を交わす貴族どもにではなく、自身の弱さに対する怒りだった。

 それに気づいた時自分がしなければいけないことは何かを、カールは学んだ。

 守ることだ。

 尊厳を傷つけられたら、立ち上がることだ。


 ついでに男には時として、勝ち目が大丈夫であっても挑まなければならないということも学んだ。


 立ち止まり、顔を上げる。

 背筋を伸ばし胸を張って己の弱さ全身から振り払うように、カールは無粋な連中がいる方向に向き直った。

 そして口を開く。出てきたのは妻に対する最大級の賛辞だ。


「ここにいる愚かな方々は、野犬のように吠える事しかできないらしい。君のその若草色の生地がどれほど高価なのか、理解できないようだ。それくらい彼らは貧しくて本物を見る目を持っていないっていうことだね」

「カール!」


 夫の口から飛び出した言葉に、妻の顔からさっと血の気が引いた。

 なんてことを言い出すの、と彼の無茶な物言いを咎める。

 カールは全く悪びれるそぶりを見せず同じような事をもう一度口にした。


「土着の民なんてそんな差別的な言葉で僕の妻を侮辱したんだ。他人を侮辱すればどうなるか、それは身分を問わずに罰を受けるべきだよ。恥ずべき行為は神によって罰せられると聖典にも書いてある。妻を侮辱されて怒らない夫にはなりたくない」

「あなた、止めてください! 私のことはいいから、こんな場所でそんなこと!」


 サティナの顔面は蒼白を通り越して、色を失っていた。

 ただでさえ銀色の髪と相まって白く見えるその肌が、死人のように元気を失っている。

 全身から覇気が無くなり、凛とした素振りも消え失せていた。


 貴族は文字通りの特権階級だ。

 例えカールが宮廷治癒師だと言っても、その権力には限度がある。

 より上位の存在に立ち向かうには、このレストランの中はあまりにも不利な状況だった。


 なにせ、周囲には貴族ばかりがひしめいているのだから。

 その人々を侮蔑するような発言をすれば、カールはこの場で断罪をされるかもしれない。

 恐ろしい未来がサティナの脳裏をよぎる。


 馬鹿にされた貴族たちも黙っていない。

 カールに対して次々と呪いの言葉を吐くように暴言を叩きつけていた。


「無礼な! たかだか治癒師の分際で、我が家にそのような唾を吐きかけるような行為をするとは。この場で処刑されたいのか」

「子供だと思って甘くみていれば調子に乗って言いたい放題。大人が怒ったらどういうことになるか知らしめてやらなければなりませんね」

「そうですな。懲らしめてやるにはちょうどいい席だ。この場で断罪を言い渡してやれば、それで事は済むでしょう」


 口々に自分たちが優位だと、貴族は誇らしいものだと、家柄や血統の良さを彼らは言葉にした。

 見えないそんなものにどんな価値を見出すのか。

 カールはせせら笑う。

 本当に面白くて、ついつい口にしてはいけないのに声に出して笑ってはいけないのに、それをしてしまった。

 言葉にすればどんな感情も相手に伝わる。


 ついさっき、妻が教えてくれた言葉が忠告のように、耳の奥に甦る。


「あなた、私のことはどうでもいいのです。ここで断罪などされたら――!」


 カールの服の袖を引き、妻が泣くような声でそう囁いた。

 それは口さがない貴族たちにも伝わったようで、いやらしいげな微笑みを浮かべて彼らは諭すようにカールを呼ぶ。


「治癒師殿。この場で謝罪すれば、そちらの女性に免じて許さないこともないですよ」

「そうそうまだまだ幼いあなたのことだ。これを良い経験として学べばいい」

「膝を折り謝罪するのですな。男爵様の温情に縋るがいい」

「カール!」

「大丈夫だから。僕も男爵だし」


 カールは貴族たちに自分の爵位をゆったりとした口ぶりで教えてやった。

 男爵?

 こんな小さな子供が、男爵?

 カールを馬鹿にした男達は四人の貴族だった。彼らは同じテーブルを囲む仲間のように見えた。


 三十歳か、そこいらの年齢だというのに、大した家人も連れていない。

 高い身分の者ならば後ろに家人の一人も連れているものだ。

 だが、彼らの後ろにはそんな人物は見当たらない。

 見当たらないところか、本当に高い身分の者なら――こんな場所で食事などしないのが、当たり前だった。


「それにほら言ったら悪いけどこの船ってそんなに運賃が高くないんだよね。格式も大して高くない。僕みたいに個人で旅行しているならともかく、それ相応の身分の人間なら後ろに侍女や執事の一人も立たせているもんだ」

「え、ええ……?」

「見てごらんよ。彼らの後ろに誰か立つ人間はいる? 控えている存在はどこかに消えてしまったのかな空気みたいに。それとも元々いないのか。いないなら大した爵位じゃないよ。僕と同じかちょっと上ぐらい。でも一つ目は伯爵様で、ね」

「ここにはいらっしゃらない?」


 貴族に逆らう恐怖をサティナは知っている。

 ほんの少しその逆鱗に触れただけで殺された親戚の子供もいた。

 平民の命を何とも思っていない存在。


 気分次第で剣を抜き民を殺す。それがサティナの常識にある、貴族の姿だ。

 だから彼女は心の奥底から次から次へと生まれてくる恐怖を止めることができなかった。

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