第6話 撃癒師、歓待される
「……困ったな」
カールはそう呟いていた。
湯浴みをして泥を落とし、汚れを全身から流すと、肉体が温まる。
吐き出す息の中に白いものが混じる。
洗い場の中は広く、この程度のお湯ではではぬくもりそうにもない。
借り受けたタオルで手早く全身を拭き、借り物の衣類袖を通す。
麻で編まれた灰色に染められたズボン、長袖の頭貫衣は日に焼けて黒みを帯びた赤色、胸のところが広く作られていて、どうも男性用のものではない気がする。
胸より下の部分でゆるく締め上げるように内側に紐が通されていて、それでサイズを調整するらしい。
着てみると、膝上ほどに裾があり、そこには白と紺色の飾り糸で、鳥のような意匠が刺繍されている。
女性たちが住んでいるからだろうきめ細やかに磨き抜かれている壁掛けの鏡が湯気で曇っていた。
それをタオルで拭き、くるぶしから上を写し込んでみたら――。
「ああ……みんなに見られたら女らしいぞ、と言われそうな装いだね。まったく」
誰も言ってくれないから自分で嫌味を言った。
もちろんカールに女装の趣味はない。
ただ、年相応には見られたことがなく、背丈の低いも災いしてか、いつも少女のようだとからかわれていた。
それをまじまじと実感する。
この姿のまま出て行っていいのか?
女性だと誤解を与えてしまったんだろうか?
そんなことをついつい考えてしまう。
多分それはなくて、この衣類はあの少女の若い頃に着ていたもので、たまたま自分に合うサイズの服が他になかったのだろう。
それくらいの予想はついた。
文句を言うより、凍え死ぬことがなくなった感謝を述べねば。
濡れたタオルをきつく絞り、まだ水気が滴り落ちる、自分の髪を巻いた。
暖炉で温めれば、どうにか乾くだろう。
その前に鉱石ランプの燃料となっている、魔石を貰えたら……多少なりとも、魔力を回復することができる。
「そっちの方がいいな」
長い時間をかけて髪を乾かすのはさすがに風邪をひきそうだ。
左腕の銀環、片耳にしたピアス、他に忘れ物はない。
カールは不備がないかどうかを確認すると、扉に向かって声をかけた。
「すいません。こっちはもう終わったんだけど」
出ていいかどうか。いや多分、出て問題ない。そのはずなのだが、彼方には女性が二人いる。
そう考えたら遠慮が先に立つ。
「済みましたか? こちらは問題ございません、お越しください!」
彼女の快活な声が浴室の中に響いた。
タイルの冷たさがその温もりを吸い取っていく。
この中を温めてやればあの人が湯を使う時、風邪を引かなくて済むだろうな。
自分の魔力のなさを痛感する。多少なりとも温存しておくべきだった。
いや、違うな。
いざという時のために、魔力を封印した指輪などを、普段から身につけておくべきだったのだ。
女のようだと言われるのが嫌だから、それを拒否していたらこうなってしまった。
有力な宮廷魔導師は、両手の指に豪華すぎるほどの大きさを持つ魔石を嵌め込んだ指輪をしている。
じゃらじゃらと音の鳴る豪奢な金銀細工の首輪も腕輪もしていたな、と数日前までいた宮廷のこと思い出していた。
戻ったら自分も彼らの真似をしてみよう。あの悪趣味な魔導師達の真似を。
扉を開けた。
自分が使ったことにより、より細く尖ってしまった石鹸の感謝を、まず述べようと思った。
明るい光が目に飛び込んでくる。
寝室兼居間となっているそこに、二人の女性がいた。
片方の名は知っている。イゼアいう名前の老婆だ。
治癒した時は、まだ老婆だった。しかし、回復した今では年相応に見える。
彼女の年齢は確か四十代のはず。
あの痩せ衰えた外観からは想像もできない、健康そうな女性がそこにいた。
少女と同じく、銀色の髪に黑い瞳。額には黒の飾り布を巻いていた。
もう一人は自分を助けてくれた少女。
年齢はよくわからない。
十代にも、二十代にも見える外見をしている。
幼女のような無邪気な笑みを見せ、全身で喜びを表現して、菫色の瞳が優しさに揺れている。
「体調はいかがですか、治癒師様」
「お怪我がなかったようで安心いたしました。どうぞこちらへ」
二人はそう言って、カールを暖炉のそばへと導いてくれた。
家の床は木材が張られており、その上に年代物のくたびれた絨毯が敷かれていて、その向こうでは、暖炉の熱で二つのフライパンに何かが焼かれていた。
パンを焼く時のような香ばしい香りと、肉がその中でじゅうじゅうと良い音を立てている。
親指ほどの太さほどもあるソーセージが、一口大に切られて細やかに切った野菜と共にいためられていた。
もう片方のそれはパンではなく、小麦粉を混ぜて焼いた薄いピザの生地のようなものだった。
多分、その中に炒めた食材を挟むか、巻いて食べるのだろう、と予想できる。
ぐうっ、とだらしなく腹が鳴ってしまい、カールは赤面する。
その様を見て、面白そうに笑った母娘は、彼の上にひざ掛けを与えてくれた。
そして、絨毯の上が所々赤茶けたものを見て、カールは自分に水をぶっかけた彼女の全身が綺麗になっていることに気づいた。
着ている服も変わっており、髪はまだ濡れていたが、その姿は綺麗なものだった。
「ミルクをどうぞ。温まります」
「どうも。色々とありがとうございました。この服に石鹸、お湯まで――」
そしてカールは、飲み物の器を受け取ったとき、差し出された彼女の指先が氷のように冷たいことに驚いた。
この室内で、もしくは自分の寝床を用意してくれていると言っていたがここには見当たらないから多分、その別室で。
彼女は湯を使ったのだと思っていたが、そうではなかったことに思い至る。
「冷たい……」
その一言に、二人ははっとした顔になる。
少女は慌てて手を引いた。母親がどこか憂いのある顔つきになっている。
「まさかとは思うんだけど。あの井戸で……?」
「いえ、それは」
「気になさらないでください。あなた様の方が身分が上ですから」
どこか不機嫌そうになり、怒ったようにして母親はそう言い、目を伏せてしまう。
ついで寄越された皿の上には、先程の焼いた薄く平べったパンのようなものと、ソーセージ、野菜を炒めたもの、そして大ぶりのバターが載っていた。
この地方ではこうやって食事をとるらしい。
続いて母娘もカールと同じような皿によそった料理を、それぞれの手に載せていた。テーブルを囲むというマナーはないらしい。
ここでは絨毯の上に座り、膝かけの布を置いて、その上で手づかみで食べるのだと知る。それは、初めての体験だった。
ただ一つ気になることがある。
それは先ほど母親が口にした言葉に関連していて。
彼女たち二人の料理の量は、カールのそれと比べても半分ほどに無いほどに少なかった。
貧しいのだ。
自分一人の食事量が彼女たちの一日ぶんに相当するのかもしれない。
そう思うと果てしなく申し訳なさが心の中に渦巻いた。
「あのイゼアさん」
「イゼア、と。呼び捨てで結構でございます、治癒師様」
「では、イゼア。僕もカールで結構です」
「いえ、そんな。身分の高い方を呼び捨てにすることは許されません」
「……それでは、アルダセン、と」
「やはり御家名をお持ちですか」
そう、彼女は言った。庶民には家の名がない。氏族名や、住んでいる村や町、地方の名称をその後に付けるのが正しいが、それは神殿などの礼拝の際に名乗る程度のものだ。
家の名前を持たない彼女たちがもしそれを名乗ったら、身分詐称で、処罰されてしまうからだ。
家名を持つということは、すなわち、貴族であるということの証明だった。
「しがない治癒師ですよ。助けていただき、その上に食事まで与えていただいて。感謝しています」
「それは当たり前の、私共が行うべき、貴族様に対しての義務ですから。お気になさらずに」
黙って食事をしてくれとせがまれているような気がした。
これを断ればあちら側の心象はもっと悪くなる。
これ以上、部屋の空気を重たくしたくないカールは、まずは食事に口をつけることにした。
温かいミルクを飲み、香ばしいパンの香りと、にくじる豊かなソーセージを頬張り、自然の香りのする新鮮な野菜をその舌で味わう。
どんなに賢そうなこと言ってもやはりカールはまだ十四歳の少年だ。
がっつくようにそれらをぺろりと平らげてしまう。
疲れきった胃が悲鳴を上げた。
喉元に戻ってきそうなそれをミルクで飲み干すと、カールはふうっ、と生き返ったように大きく息を吐く。
それは生きていることに感謝をする喜びに溢れていた。彼の全てを食べ終わり人心地ついたのを見て母親はどこか嬉しそうに微笑んでくれた。
イゼアには息子がいたのかもしれない。その柔和な顔つきは、まるで自分の息子を見ているかのような雰囲気だったからだ。
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