第4話 撃癒師、救出される

 太陽が西へと続く階段を降りていく。

 次は東から月が階段を昇ってくるのだが、いまは丁度、その合間だ。

 錆色から金色に輝いている光を背にして彼女は顔を見せてくれた。


「良かった! 誰か穴の中にいるんですね!」


 問いかけが再度振ってくる。


「すいません、助けてください! 自力で登れなくて!」

「大変! 何とかしますから……って。まさか、治癒師、様?」


 最初はハキハキとした返事が。それから穴の中に上半身を突っ込んで誰がいるかを確認した少女は、驚きの声を漏らした。

 です、か? と疑問形がそこに続く。


 まさか自分の顔見知りがそこにいるとは思わなかったのだろう。

 杏のように大きな形の良い瞳が、一際大きく見開かれているのが、下からはよく見えた。

 しかし、相手からは穴の底が深すぎてよく見えないらしい。

 確認するように訝し気な顔をしているのがこちらからは見て取れた。


「あー……アハハ。そうなんですよ、はい」

「嘘っ! 本当に穴の中にいらっしゃるなんて! お待ちください、すぐに何とかします!」

「あ、えーと。あれ、おーい?」


 これで助かるだろうという安堵感が、カールの中に生まれた。

 その途端、それまで張り詰めていた緊張の糸が途切れてしまい、疲労感がどっと一気に押し寄せてくる。

 加えてどうにかする、とは聞いたものの、その相手が穴の淵から離れてしまってから、しばらく返事がない。

 降りてくる気配も無ければ、穴の周辺で何かをしている物音一つすらしなかった。


「どうなってるんだろ」


 夕陽は完全に山裾に隠れてしまったらしく、もはや天空に見えるのは青と赤と黒と薄い白のグラデーションのみ。

 僕を助けるために誰か人手を探しに行ったんだろうか?

 あの凛とした雰囲気を持つ彼女の顔を見た時、まるで天使が舞い降りたような気分に浸った。

 その思いが裏切られないように、と薄闇が支配し始めた空に向かい願っていると、遠くから蹄鉄の音がする。


 地下は地上よりも音を伝えやすい。

 その足音の数から、少なくとも駆けてくる馬だろう動物は一頭ではなく、複数いるな、と推測がついた。

 誰の馬だろうかと間抜けなことは考えない。あの娘に決まっている。


 自分よりも年上だったあの少女だ。

 そうに違いなかった。馬の蹄の音が近くで止み、鞍を降りて早足で駆けてくる誰かがいる。


「ご無事ですか、治癒師様!」


 声と共にロープが穴の中に投げ込まれ、灯りを点したランタンの光の中に彼女がいたのを見て、カールは改めて生きていてよかったと神に感謝した。


「ありがとう、無事です。ただ、動けなくて」

「えっと、ロープを手繰るのでそれに捕まって頂くのは……難しいですか」

「ごめん、そこまでの力が無いんです」


 魔力を使い果たしてしまって。そう言おうとして、カールは口を噤んだ。

 困った顔をして彼女に助けを求める。

 旅装束の彼は白い長袖のローブを羽織りうずくまっている。


 その下には鍛え上げた肉体があるのだが、生来、細身な体質と十四歳にしては幼く見える外観のためだろうか。

 上から照らした限りでは、ひ弱で華奢な体躯の少年が、自分の体重を支えるだけの力が無い、と見えたのかもしれない。


 少女は困ったという顔をして、自分の額に手を当てて悩みだした。

 この地方独特の民族衣装なのだろう。母親と同じように額から前頭部を隠すように巻いた飾り布が、鮮やかな藍色だということに今更ながら気づくとカールは申し訳ないなあ、とまた自分に対する自信を無くしかけていた。


 ドラゴンと対決して撃破したのは、君たちのためなんだよ、と声高に言いたかった。

 この穴から遠くないところに魔獣の遺骸があるだろうから嘘を言っているかどうかはすぐに判別がつくはずだ。

 治癒師ではあるが、カールは宮廷魔導師として王国に抱えられているれっきとした魔法使いでもある。


 左腕の銀環を見せつけて偉そうに説教してやれば、彼女はすぐさま行動を取るだろう。

 もっと安全にカールを穴から引き上げる方法を考えるだろうことは容易に想像がつく。

 ついでに感謝もされるだろう。今夜の宿くらいは提供してくれるかもしれない。

 だけど、それを告げることは、なんとなくためらわれた。


 彼女たちのためにしてやったわけじゃない。

 自分がそうしたいからそうしたまでのこと。

 助けてくれなんて望んでない、なんて返事が返ってきたらどうしたらいい?

 最悪の場合、このまま捨て置かれて放置されることになる。


 下手をすれば、宮廷魔導師の手を煩わせたことを盾に罰せられるとか思われて、上から土をかぶせられて生き埋めなることだってありうる。

 ここは地方であって王都じゃないから、地方貴族の領主に支配される彼女たちは、貴族と魔導師の区別はつかないだろし。

 そうなると厄介ごとに首を突っ込みたくなくて、証拠を隠蔽する可能性だって出てくる……。


「あの、急ぎませんから。ゆっくりでいいので……助けてください」


 蚊の鳴くような声でそうお願いしてみる。

 小さな音は穴の壁土に吸い込まれて消えていきそうだった。

 彼女は幾度かこちらを覗き込み、何かを考えている様子だった。


 下を見るたびに、普段は後ろに括られていることのない、豊かな銀髪がさらりと顔にかかって見えて、それはまた天使の見せる横顔のように美しい。

 命がかかっている状況だというのにそんなつまらないことを考えてしまう自分を心の中で叱りつつ、カールは彼女の返事を待った。


「……馬が二頭おります。そのうちの一頭にロープを引かせて引き上げようかと考えました。ですがそれができない……」

「ごめんね。僕には今それだけの力がなくて」

「……わかりました。私が下に降りて治癒師様を担ぎ揚げます。合図をして、馬を走らせます。そうすれば二人ともそこにとどまることなく、地上に上がってくれるはず」

「いや、それは――」


 覚悟を決めたように少女はそう言ってもう一本ロープを放り込んだ。

 僕の体重は見た目よりももっと重いんだけど、それを担げるの?

 そんな疑問が心をよぎる。馬がロープを引くとはいえ、彼女の肉体にかかる体重は、二人分のそれを越える荷重になるはずだし。

 滑車などの便利な道具も、こんな周りに木の一本も生えてない場所では、物の役に立たない。

 魔導師だと言うなら話は別だが、この少女が魔法使えるとも思えない。

 さて、どうする気なんだろう?


「お待ちください。今降りて行きますので」


 彼女は馬の鞍にロープの端を括り付けたらしい。

 上での準備を整えて縄を伝い降りてこようとする。

 その降り方はまるで羽が空中を待っているかのように軽やかで、重さを感じさせないものだから、カールは思わず目を見開いてしまった。


 何か特別な体術の心得でもあるかのような所作に、かたや若いながらも武術の達人は、何やら面白いものを感じてしまう。

 この女性なら自分を引き上げても大丈夫かもしれない。

 そんな確信めいた予感がカールの心を中に生まれていた。


「水が……こんな位置にまで」

「ああ、これ? うん、明日の朝まで放っておかれたら水死したかもしれないね」


 最初に力尽きてしゃがみこんだ時、地下から湧いてきた水はカールの腰辺りだった。

 しかし今では腹部の真ん中ほどにまで水位が上がってきている。

 水死、という言葉を聞いて、無事に穴の中に足を着けた彼女は、顔を険しくした。


「あなた様は、母の恩人です。そのようなお方をむざむざと見捨てるような真似はいたしません」


 凛とした声で彼女はそう告げた。

 気まぐれに言った一言が相手の気分を損ねたと知って、カールは申し訳なさそうな顔をする。

 それを見て少女脇毛を直したのか、次に見たら顔からは険しさが消えていた。


「重いものを運ぶのには慣れておりますので、どうかご安心ください。必ず地上までお戻しいたします」

「悪いね。お願いします」


 正直なところ言葉を交わすのも辛いくらいに、カールは疲弊しきっていた。

 体の数箇所にロープを通し、その背に背負われて水面から解放されると、もう何も言えないほどぐったりとなってしまう。


「治癒師様? 大丈夫ですか、どこかお怪我でもなされているのなら、先に仰って下さい」

「いや、大丈夫です。本当に、怪我とかはないから。それより本当に登れるの?」

「大丈夫、です」


 甲高い音が穴の中に響き渡る。

 彼女の口笛の音だ。

 それを合図にして馬たちが並足でゆっくりと穴から遠ざかっていくようにしたらしい。

 自分を背負っている彼女の体にギシッとロープの食い込む音がする。

 お世辞にも頑丈とは言い難い普通の縄は、途中で切れたりしないのかな?

 もうここまで来れば後は相手に任すしかない。


 落ちたとしても下は水だ。それにその場合、自分が下敷きになればいいだけの話。

 最悪、少女は全身ずぶ濡れになるかもしれないが、打ち身程度ですむことだろう。

 ちょっとだけ嫌な未来を想像する。自分の悪い癖だとわかっているがこんな状況なら誰でもそうすると思う。


「しっかり掴まって。少しでもずれると、術の効果が半減します」


 そんな指摘を受けて精一杯の力でカールは両手足で彼女の体に抱きついた。

 術とは何だろう? ずれてしまうと効果が半減するってどういう意味だ?

 何かの魔法? 大地の精霊や風の精霊に命じて、浮力を利用し空を飛ぶようにするのかもしれない。

 どちらにせよ考える力は残ってない。


 降りてきた時よりも倍以上の時間をかけて少女はカールを地上まで導いてくれた。

 肉体に食い込む縄の痛みにも耐えて自分を助けてくれた彼女にカールは深い感謝の言葉を述べる。


「ありがとう……」


 と、告げた後の記憶がない。

 あれだけの大惨事があったというのに空には満天の星空が広がっていた。

 地上に戻れた……。

 カールの意識が持ったのはそこまでだった

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