第22話 暴食の悪魔
「あのヨーグを圧倒するとは、随分と出来の良い子供だな。クク、悪魔の贄にはあちらを使うべきだったか?」
「随分と、余裕だね……俺が、目の前にいるというのに……」
雷鳴轟く背後の戦闘を余所に、スレイプとジャヒィもまた静かに交戦を始めていた。
しかし……その勝負は、控えめに言ってもスレイプの不利で進んでいる。
「余裕に決まっている。何せこの俺には、《炎属性無効》と《氷属性無効》の二つのスキルが備わっているのだからな」
スレイプと言えば、その手に握る双剣に宿した炎と氷の二属性を駆使する魔法剣士として有名だ。
だが、ここにいるジャヒィにはその二属性が共に通じない。
ならば属性とは無関係の剣技のみで戦うしかないのだが、それだけで勝つにはジャヒィの外皮が分厚過ぎる。
スキル以前に、種族の差として体の頑丈さが違うのだ。互いに同じレベルの身体強化スキルがある場合、その種族差が致命的となる。
「はあっ……!!」
スレイプの双剣が、ジャヒィへ迫る。
魔法属性こそないが、《剣術》と《身体強化》の乗ったその一撃は岩すらも砕く威力を秘めている。
しかし、ジャヒィもまた《鉄壁》と《身体強化》によって岩すら越える鋼の肉体を得て、スレイプの連撃を無傷で凌ぐ。
「効かんなぁ!!」
煽るように叫びながら、ジャヒィが繰り出すのは異形の手。
デーモンが持つ鋭い鉤爪を利用した貫手は、スレイプの脇腹を容赦なく貫いた。
「ぐはっ……!?」
「ククク……Sランク、人類最強の英雄が一角が、この程度か。まあいい、せめてもの手向けだ、最期はこの俺が持つ最強の一撃で終わらせてやろう」
腹に穴を空けられた痛みからか、スレイプの動きがやけに鈍い。
そんな彼に、ジャヒィは無造作に掌を突き付ける。
「《シャドウストーム》!!」
漆黒の魔力が渦を巻き、全てを切り裂き呑み込む暴風となって吹き荒れる。
激しい破砕音を巻き起こしながら放たれたその魔法は、スレイプの体をバラバラに打ち砕いていく。
「ふん、他愛もない……これなら、わざわざ切り札を出すまでもなかったか?」
「いや、そうでもない。少なくとも、俺は助かったからね。他に隠し球はないとハッキリしたから」
「なっ……!?」
背後から聞こえた声に驚き、ジャヒィが飛び退く。
そこには、たった今全身バラバラになったはずのスレイプが、なぜか戦闘開始前と変わらない無傷の状態でそこにいた。
「バカな!? なぜ……お前は、たった今俺の手で、間違いなく……!!」
「ああ、それはただの分身だ。氷で作った鏡像みたいなものさ」
ほら、と、スレイプが剣を振るのに合わせて氷の人形が生み出され、瞬く間に本人そっくりの色味を帯びていく。
一体いつ入れ替わっていたのか、なぜそんな真似をしたのかと、ジャヒィは混乱する。
「入れ替わったのは、
「ぐっ……!?」
口に出してそう言われれば、確かにその通りだ。
だが、まさかSランク冒険者ともあろうものが、少年一人突撃させて自分は囮で済まそうとしているなどと誰が想像出来ようか?
「それに……テノア・アーランドを救う方法を、君の心から直接読み取る必要もあったしね」
スレイプが隠し持っていたスキル、《読心》。その効果は、触れた相手の考えを読み取るというもの。
制限が多く、使い勝手の悪いこのスキルを戦闘中に活かすため、スレイプは分身とライルを囮に自らは《隠密》で気配を消し、気付かれぬようジャヒィの内心を探っていたのだ。
「どうやら、君を殺せば悪魔召喚が止まるというのは本当のようだ。だから……次の一撃で決めさせて貰おう」
「バ、バカめ!! お前の攻撃では俺に傷一つ付けられんと、既に証明されているだろう!?」
「確かに、特定の属性に対する完全無効スキルは厄介だ。でも、それはあくまで直接その属性をぶつけた場合に効果があるだけで、間接的に影響を及ぼすものについてはその限りではない。分身は氷属性だったが、ちゃんと効いただろう?」
スレイプが炎の剣を一本だけ持ち、居合いの構えを取る。
鞘ごと燃え盛るように噴き上がった炎が収束し、力を溜めるように膨れ上がる。
「《バーストスラッシュ》」
炎が爆発し、後方へ流れる。
その勢いで解き放たれた神速の刃は、斬閃すら視認出来ないほどの速度でジャヒィの体を斬り裂き、あらゆる防御スキルを突破して首をはねた。
「そん、な……バカな……この、俺が……」
「その状態でも生きているのか……さすがはデーモン、しぶといな」
ごろんと転がった生首が平然と喋っている状況に、スレイプは辟易とした表情を浮かべる。
「まあいい、そこからでは流石に何も出来ないだろう。悪いが、これで終わりだ」
もはや問答している時間も惜しいとばかり、スレイプが剣を振り上げる。
だが、ジャヒィはその刃を見て恐れるどころか、逆に開き直ったように嗤い始めた。
「ハハ、ハハハハ……!! 確かに、こんな状態じゃあ俺は何も出来ない。後はただ殺されるだけ……だが、まだだ、まだ終わってない!! 俺には悪魔が……《暴食》の悪魔ベルゼブブ様がついている!!」
「何を言っている? 召喚にはまだ魔力が足らないだろう、魂を砕いて魔力に変換するにも、まだ時間がかかるはずだ」
テノアの様子をチラリと見ながら、スレイプは断言する。
今もテノアの胸に突き刺さった刃は、間違いなく彼女の魂を蝕んでいる。だが、魂というものはそう易々と砕いたり変換したり出来ないからこそ、ジャヒィ達もこんな場所で儀式を執り行おうとしていたのだ。
あの状態から召喚を完遂するには、早くともあと十分はかかる。
そんなスレイプの考えを、ジャヒィは笑い飛ばす。
「確かに、あの小娘だけで儀式を完遂するには、まだ足りない……だが! 俺の肉体を使えば話は別だ!!」
次の瞬間、倒れたジャヒィの体から、魔力が噴き上がる。
咄嗟に飛び退いたスレイプの前で、ジャヒィの体が崩れ落ちていく。
徐々に形を失う体は魔力と化し、テノアの体……正確には、その首飾りへと殺到し、取り込まれていく。
「正気か……!? そんな真似をしたら、いくらデーモンでも助からないぞ!!」
「ハハハ!! どうせこのままでは殺されるんだ、何を恐れることがある? それに、ベルゼブブ様さえ復活すれば、俺は《リザレクション》で生き返ることが出来るだろう。むしろ……貴様はこれからベルゼブブ様と対峙することになる自分自身と、そこの娘の心配をしたらどうだ?」
「なに……?」
「魔力への変換こそ間に合わなかったが、あれだけ深く魂へ食い込んだ刃が、悪魔召喚と同時に砕け散るんだ。あの小娘の魂とて無事では済むまい……確実に、死ぬ」
「そんな、テノア!?」
ヨーグを打ち倒したライルが、悲痛な表情でテノアに駆け寄る。
だが、突き刺さった刃を下手に抜けないからこそ、フィエラに預けて戦闘に赴いたのだ。今更何が出来るはずもない。
「お前達が勝とうが、俺達が勝とうが、どうでも良かったんだ。どちらにせよ、最後の最後に笑うのは、この俺なんだからなぁ!!」
狂笑が響く中、ついにテノアを戒めていた刃が砕け散る。
テノアの瞳から光が完全に潰え、ライルとフィエラが必死に呼び掛けるのを余所に、首飾りだけが宙に浮いて濃密な魔力を纏う。
「は、はは……これは、予想外だ……」
漆黒の卵から生まれ落ちるように、一体の異形が姿を現す。
全体的なシルエットは人に近いが、そのサイズは見上げるほどに大きい。
体のほとんどは骨で構成されている一方で、片方の手足のみ肉を持つ姿はなんとも歪で、名状しがたい不気味さを漂わせる。
纏う魔力が形となって漆黒のコートとなり、全身を覆う。牛のような頭蓋に空いた眼窩からは深紅の輝きが眼のように蠢き、周囲を睥睨していた。
生と死を司り、命を喰らう亡者の王。《暴食》の悪魔、ベルゼブブだ。
「ハハハハハ!! ついに、ついに悪魔の召喚に成功した!! 魔族の誰もが夢見ていた偉業を、ついにこの俺が果たしたんだ!! やった、やったぞ!!」
生首だけのジャヒィが、歓喜の声を上げている。
それを、召喚されたベルゼブブは無感動に見下ろしていた。
「さあ、ベルゼブブ様!! この俺に、最上の加護を!! 死に行く俺の肉体を《リザレクション》で甦らせ、人間どもを根絶やしにする力を、加護をお与えください!!」
ベルゼブブの骨の手が、ジャヒィへと向けられる。
自身の周囲に魔法スキルによる魔法陣が展開されていくのを見て、ジャヒィは自身の生還を確信した。
「覚悟しろ、《氷炎》のスレイプ!! ベルゼブブ様の加護さえあれば、貴様なぞごぶェ」
ぐしゃり、と、ジャヒィの生首がねじ曲がった。
なぜ……と、もはや声すら出せなくなった身で、瞳だけがその疑問を誰にともなく問いかける中、コーデリア領で長らく暗躍していたデーモンは、実にあっけなくその生涯を閉じる。
そして、ついにベルゼブブの魔法が発動した。
『『『オォォォォ!!』』』
数えるのも億劫なほどに溢れる、亡者の群れ。よく見れば、それはどこか生前のジャヒィに類似した姿をしており、その一体一体が彼と同等の力を秘めていることをスレイプは察していた。
「くっ……これがヤツの言っていた、《リザレクション》の正体か……!!」
死者を生き返らせ、加護を与えて強化するスキル。ジャヒィはそう考えていたようだが、実態は大きく異なっていた。
死した生物を代償に、その模造品とも言うべき亡者を無数に産み出し配下とする力。
蘇生は蘇生でも、あまりにも悍ましく醜い"死"の魔法だ。
『オォォォォ!!』
「ちぃっ……!!」
さすがに、生前と同じ技術と知能まで備えているわけではないらしい。炎や氷への耐性こそ残っているが、ただ正面から突っ込んで来ることしか出来ない相手なら、スレイプの敵ではない。
だが……。
「数が、多すぎる……!!」
一体を斬り伏せる間に二体に挟まれ、二体を捌く間に五体が群がり、一旦距離を取る間に十体に囲まれ、攻撃手段を模索する間に百体が視界を埋め尽くす。
如何なる作戦も、知恵も、技術さえ関係ない。ただただ絶望的なまでの数の暴力で以て真正面から踏み潰し、蹂躙する。そして、倒れた敵すら呑み込み亡者に変え、地上を地獄に変えていく死者の軍団。
それが、ベルゼブブという悪魔の権能だった。
「こんなもの、どうすればいいんだ……!?」
ベルゼブブを放っておけば、間違いなく国が──世界が滅ぶ。
だが、今この場でスレイプにベルゼブブを倒す術があるかと問われれば、そんなものはない。むしろ、ここでスレイプが殺され、ベルゼブブに更なる力を与えてしまうばかりだろう。
退くしかない。そう判断するが、既にそれは手遅れだった。
既にこの地下は、ベルゼブブが呼んだジャヒィモドキの群れによって埋め尽くされ、逃げ場などどこにも残っていないのだから。
「……ここまで、か……」
これまで、数多の敵を葬って来た。勝ち目の見えない勝負もなかったわけではない。
それでも、ここまで絶望的な状況に身を置いたのは初めてだ。
ここから先はもう、力尽きるのが早いか遅いかの違いしかない。
(せめて、子供達だけでも逃がしてやれれば良かったんだが、それも無理か……無念だ)
テノアも、フィエラも、共にここへ乗り込んだライルも、誰一人救えず、守れなかった。
諦観の念が渦巻き、激しい後悔に襲われながら、自身を殺すべく襲い来る亡者の群れを呆然と見つめ──そして。
「《レクイエムフレア》」
突如噴き上がった浄化の炎が、視界全てを覆い尽くした。
生者を守り、死者を葬送する鎮魂の炎。聖なる属性を帯びたその力が、《炎属性無効》を持つはずのジャヒィモドキを一掃する。
「ああ、もう……完っ全に油断してた!! こういう性格の悪いやり方は、魔族や悪魔の十八番だって知ってたはずなのに……危うく初心者みたいな雑魚死するところだった……!!」
その声を、スレイプは知っている。だが、そんなバカな、と己の耳を疑った。
彼女は魂を刃で貫かれ、強引に引き抜かれたことで死んだはずなのに。
「でも……フィエラ様、スレイプ様、それに、お兄様も……みんなのお陰で、助かったよ。守ってくれて、ありがとう」
普段の、子供らしくどこか不完全な丁寧口調は鳴りを潜め、より砕けた口調で語っているのは、まだ幼い一人の少女。
銀色の髪をたなびかせ、槍を携える小さな天使。テノア・アーランドだ。
「ここから先は、私の番だよ。すぐに終わらせるから、待っててね」
黄金の魔力を纏いながら、テノアはベルゼブブに相対し──いとも容易く、そう断言するのだった。
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