第17話 お嬢様の夜

「あら、お嬢様。何か良いことでもありましたか?」


 コーデリア家の一室にて。主人がネグリジェに着替えるのを手伝いながら、メイドの女性がそう問い掛けた。


 彼女の言う通り、フィエラ・コーデリアはご機嫌だった。

 その理由はといえば、考えるまでもなく一つしかないだろう。


「そうね……今日は、良い友達が出来たから」


 フィエラが思い出すのは、社交パーティで出会ったテノアのこと。

 明るく無邪気で、甘えん坊。この世に不幸が存在するなどまるで知らない、と言わんばかりの、まだ幼い子供。


 それでいて……心に、大きな傷を負っている。


(……あれは、何だったのかしら)


 ゴブリンが現れ、会場が混乱の渦に巻き込まれた直後。どこからともなく現れた兄に抱き締められたテノアは、目を開けたまま急に動かなくなった。


 医務室に運び込まれ、医者の診察を受けても異常なし。しばらくして目を覚ますと、何事もなかったかのようにまた明るく笑い始める。


 まるで、自分が倒れていた事実そのものがなかったかのように。


(あの子も……似たような症状だったわね)


 フィエラの脳裏を過るのは、幼い頃に死別した妹……テルミのこと。

 普段は明るく元気なのに、突然意識が混濁して倒れてしまい、何をしても反応しなくなってしまう。


 しばらくすれば、元に戻るのだが……フィエラの妹は、徐々にその症状が悪化し、やがて目を覚まさなくなってしまったのだ。


 実の母が命を懸けて産んだ妹だったこともあり、この子だけは守りたいと願っていたのに……それすら果たせず、失ってしまった悲しみが蘇る。


 同時に、もしかしたらテノアも……と、そんな不安がフィエラを襲っていた。


(そんなこと、させないわ)


 どこか妹と似た雰囲気のせいか、ついつい入れ込んでしまっている。あるいは、貴族子女らしからぬその無防備さが、フィエラの心に響いたのか。


 どちらにせよ、テノアの病状について自分でも調べてみよう、と思う程度には、フィエラもまたテノアに好感を抱いていた。


(幸い、当てはありますからね)


 今回、テノアを診察したのは間違いなく腕の立つ医者だった。

 しかしそれとは別に、何年も妹の主治医を務めた老齢の医者が、この町にいるのだ。

 妹が亡くなった後も、父の指示でその病について研究を続けているという話を小耳に挟んだので、父に取り次ぎを頼めばテノアを治療してくれるかもしれない。フィエラはそう考えた。


「あ、いけない、忘れるところでした」


「どうしたの?」


「すっかり忘れていたのですが……旦那様がお嬢様を執務室に呼ぶように、と言っておられたんです」


 伝えるのが遅くなって申し訳ございません、と謝罪するメイドに、フィエラは構わないと手で制する。


 フィエラ自身、ちょうど父に用があったのだ。向こうから呼んでくれるというのであれば願ったり叶ったりだ。


 既に寝るばかりの格好になってしまっているが、カーディガンを羽織って最低限見苦しくない程度に格好を整えると、早速父の待つ執務室へと向かう。


「お父様、お呼びでしょうか?」


 扉をノックし、中に入る。

 そこに立っていたのは、すらりとした長身を持つ一人の男性。

 コーデリア辺境伯家当主、ヨーグ・コーデリアだ。


「来たか、フィエラ。こんな時間に呼びつけてすまないね」


 武を信望する西部貴族の取り纏めなだけあって、ともすれば対面するだけで相手を威圧してしまうほどに鍛え上げられた肉体を持つヨーグだが、実の娘へと向けられる眼差しは穏やかで優しい。


 如何なる魔物をもその手で屠る歴戦の戦士でありながら、家族愛に溢れた良き父親としての側面も併せ持つ。それが、ヨーグという男だった。


「いえ、ちょうど私も用がありましたので、構いませんわ」


 故に、フィエラはさほど緊張することもなく、柔和な表情で父に応える。


 そろそろ寝る時間であったことは確かだが、テノアもそれほどの長きに渡ってこの領地に留まることもないだろう。伝えるなら早い方がいい。


「用というのは、アーランド家の令嬢のことか?」


「そうですが……よくお気付きになられましたね?」


 仮面を被って取り繕うこともせず、フィエラは素直に驚いた。

 今日、父は主催者ということで開会の挨拶こと行ったのだが、その後は来客への対応もそこそこに席を立っていたので、フィエラがテノアと交流している一部始終も知らないはずなのだが。


「ボトムから聞いたんだ。フィエラが随分と動揺した様子で医務室の使用を頼み込んで来たから、何事かと思ったとね」


「そ、そうですか……」


 自分としては冷静に対処したつもりだったが、やはり見る人が見れば冷静ではなかったらしい。

 改めて指摘されたことで、羞恥のあまり赤くなってしまう。


「それに、グレイグ卿からも頼まれていたんだ。心の病に関して、専門的な知識を持つ先生がいれば紹介して欲しいとね。なんでも、ゴブリンに拐われた時のショックで、病気になってしまったとか。……ちょうど、テルミと似た症状だ」


「…………」


 父の口からも妹の名が出たことで、フィエラは自分の考えが間違っていなかったことを確信する。

 このままでは、テノアもまた妹のように命を落としてしまうかもしれない。


 妹の時は、そうなってしまった明確な原因も分からなかったためにどうしようもない部分があったが……テノアは切っ掛けがハッキリしている。


 テルミの件からずっと研究をしている"彼"ならば、治療も出来るかもしれない。


「私の方で、彼とも連絡を取ってみよう。ああ、フィエラは今日と変わらず、その子と交流しておいてくれ。心の病はデリケートだからね、予定が取れた時にスムーズに治療に入れるよう、しっかりと信頼関係を築いておいてくれ」


「分かりました」


 治療がどういったものになるかは分からないが、確かに受けて楽しいものになることはないだろう。


 テノアであれば大丈夫だとは思うが、信頼して治療に臨んで貰うためにも、より仲良くなるのは大事だ。


(明日は、個人的なお茶会にでも誘ってみようかしら?)


 テノアとゆったり過ごす時間を想像し、それだけで少しばかり楽しい気分になるフィエラ。


 しかし、そこで懸念となるのは、やはり今日の事件だ。


「それで、お父様。今日起きた、ゴブリンを使った襲撃事件ですが……犯人は見付かったのですか?」


「それに関してはまだだな。《氷炎》のスレイプも協力してくれているが……なかなか、手強い相手のようだ」


「……そうですか」


 魔物を召喚する魔法陣を、警備の目を掻い潜ってコーデリア家の城内に設置し、気付かれることなく脱出する。


 Sランク冒険者のスレイプを始め、数多の手練れが詰めているこの場所でそれを実行出来るとなれば、相当に腕の立つ相手なのだろう。


「もしや……魔族が、ここ城内に潜り込んでいるのでしょうか?」


「……滅多なことを言うものじゃない。それに、この城にはそういった存在の侵入を検知するための魔法もある。そちらに異常はなかったから、今回の事件を起こしたのは間違いなく人間だよ」


「……そうですか」


 魔物の召喚とはいうが、今回行われたのは転移の一種であり、コーデリア領の近くにあったゴブリンの巣と城内を繋ぐ"門"を開かれただけなのだという。確かに、それだけなら人間でも実行可能だろう。


 しかし、フィエラはこの状況に、どうにも奇妙な不自然さを感じていた。


(ゴブリンの襲撃程度では、大した被害を出せないことくらい分かっていたはず……それなのに、なぜこんなことを?)


 リスクとリターンが、あまりにも釣り合っていない。まるで、何があろうと自分が捕まることはないと、そう確信しているかのような行動だ。


「話は済んだろう? フィエラも、そろそろ寝るといい。大丈夫、もう二度とこのような事態は起こさせないさ」


「……はい、お父様。それでは、失礼いたします」


 モヤモヤとした気持ちを抱えながら、フィエラは執務室を後にする。


 考えることが多くなり、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえていたフィエラは、気付かなかった。


 去り際に、自分を見つめる父親の顔が、醜悪に歪んでいたことに。

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