第7話 王の悪夢
「……遅いな」
自らの軍勢が滅ぼした町の中心、適当な岩を重ねてちょうど良い高さに整えた簡易な椅子に腰掛けていたゴブリンキングは、苛立ち交じりにそう呟く。
英雄──グレイグ・アーランドの娘を浚ってくると言ったゴブリンナイトが、一向に戻って来ないのだ。
「まさか、失敗したのか? 英雄とやらにこちらの動きを掴まれ、返り討ちに遭った……?」
伝令役のゴブリンを寄越す様子もなく、姿を眩ませた。何か、不足の事態が起こったと考えるのが妥当だろう。
「だとすれば、ここに留まり続けるのは危険だな」
ゴブリンキングは、自身の力に絶対の自信を持っている。如何に英雄と呼ばれていようと、所詮は人間。一対一で降すことくらい造作もない。
だが同時に、人間という種を過小評価もしていなかった。たとえ一対一で勝てる相手であろうと、それが何人も束になって攻めて来られればどうなるか分からない。
戦いは質ではなく、数だ。だからこそ、質で勝るはずの魔物達は未だ地上の覇権を奪うことが出来ず、数ばかり多い人間達に苦渋を舐めさせられているのだから。
「今はまだ、本格的に人間共に仕掛けるには数が足りん。一度退くべきか……」
だからこそ、キングはこれまで慎重に事を運んで来た。
人間の村や町を襲う場合は、生き残りを出さないように完全な包囲網を敷いてから、必ず夜の闇に紛れて奇襲を仕掛けることを徹底している。
全ては、自分達の存在を可能な限り人間の目から隠し、確実に力を付けるため。
いずれこの国を滅ぼし、その功績で以て崇拝する悪魔から加護を受け、"魔物"から"魔族"へと進化を果たすために。
魔族としての絶大な力でこの地上を蹂躙し、人間達の絶望の叫びを全身に浴びるという野望のために。
「あの御方にも、あまり無茶をするなと釘を刺されているしな……仕方あるまい」
現在、キング率いるゴブリンの軍勢の数は千を越えている。
側近であるゴブリンナイトはまだ四体しかいないが、知能だけならそれに比肩し得るゴブリンシャーマンは数多産まれており、今回の町の襲撃によって軍勢の数も質も大きく向上した。
仮に、英雄が周辺の領主に助けを求めて討伐軍を編成しようと、それを正面から捩じ伏せることは十分に可能だろう。
しかし、それをするにはまだ早い。ゴブリン主導による全面戦争は、"討伐軍"ではなく"王国軍本体"と戦える段階に至ってから仕掛ける予定なのだ。
そうと決まれば、動くのは早いに越したことはない。キングは近くに控えていたシャーマンの一体に指示を出す。
「おい、お前」
「はい、なんでしょうか、キング」
「この町を放棄し、一旦暗黒大陸に帰るぞ。準備させろ」
「了解しました」
なぜ、とは、シャーマンは問わない。キングが決めたことであれば、それに従うのがこの群れに属するゴブリン達の役割なのだから。
キングの伝令は素早くゴブリン全員に伝達され、撤収の準備はつつがなく進められていく。
しかし……キングの判断は、あまりにも遅かった。
伝令に走らせたシャーマンが、血相を変えてすぐさま戻ってきたからだ。
「キング、報告します!! 今朝方出発したナイトの配下が、今しがた帰還致しました!!」
「ほう、それは良かった。だが、それならばなぜそこまで慌てている?」
「それが……ナイトは英雄の娘に敗れ、戦死。逃げ帰ってきた配下の者達が後をつけられていたようで……現在、我らの部隊と英雄の娘が交戦状態に入っております!!」
「何? 英雄の娘が……一人でか?」
「はっ、間違いないかと!!」
報告を聞いて、キングの心に最初に浮かんだのは困惑だった。
英雄当人が、娘や部下を連れて奇襲を仕掛けて来たのであれば、まだ分かる。周辺の領主に救援を求めるよりも、一刻も早くゴブリンの群れを討伐しようと焦ったのだろうと。
だが、娘が単独で襲撃を仕掛けて来るなど、あり得るのだろうか? 仮にナイトを単独討伐出来る実力があるにせよ、こちらは千の軍勢だ。単騎でどうにかなる相手ではない。
「ふむ……何か裏があるのか? ともかく、まずはその娘を仕留めなければな。まずは数で押しつつ、他のナイトを呼び寄せて一気に叩くぞ、俺も出る。それから、念のため周囲に斥候を放っておけ」
「はっ!!」
シャーマンに指示を出し終えたキングは、英雄の娘が現れたとされる場所へ向かう。
そこで目の当たりにした光景に、キングは目を疑った。
「な、なんだこれは……!?」
積み上がっているのは、数えるのも億劫なほどのゴブリン達の亡骸の山。
撒き散らされる血の雨が大地を汚し、視界を赤黒く染めていく中、たった一人の幼い少女が暴れ回っている。
身の丈に合わない槍を手に、四方から群がるゴブリンの攻撃を全て躱し、次から次へと殺戮していく様は、あまりにも現実離れしていた。
(ナイトに勝ったと言うから、成人間近なのだろうと思っていたが……あの姿、どう見ても十歳程度ではないか!! こんなことがあり得るのか!?)
産まれてすぐに戦士として戦うことが出来るゴブリンと違い、人間は成長に時間がかかる。それを、キングも知識として知っていた。
だというのに、目の前にいる幼女は通常のゴブリンにも劣るような小さな体で、人間とは思えない絶大な力を振るっている。
あり得ない、と否定する心と、現実に今目の前で起きているではないか、と肯定する心がせめぎ遭う。
そこへ、ゴブリンナイト達が遅れて到着した。
簡単な魔法を習得したゴブリンシャーマン達も続々とその場に集い始め、幼女を完全に包囲していく。
「相手は一人だ、物量で押せば必ず仕留められる!! 行くぞ、《ファイアボール》!!」
数十体のシャーマンに加え、ナイトの中でも特に知能が高い一体が協力して、無数の火球が放たれる。
轟々と燃え盛る炎に炙られ、幼女は断末魔の叫びを上げる間もなく絶命した──かに見えた。
「《ストームブリンガー》」
しかし、炎の中で幼女が槍をひと振り。それだけで、叩き付けられた炎の全てが吹き散らされた。
あまりの光景に恐れ慄くシャーマン達。それを余所に、ナイト達はあくまで冷静に対応する。
「────」
「ウオォォォ!!」
「ハァッ……!!」
生半可な魔法では効果がないと見て取ったナイトが、魔力を練りながら強力な魔法の詠唱に入る。それを援護するように、残る二体のナイトが大剣を手に前衛、弓を手に後衛に別れ、幼女を牽制する。
通常の矢より一回り大きい、木の枝をそのまま利用した矢が空を裂く轟音と共に飛翔し、幼女の眉間を狙う。
金属製の盾すら貫通し得る威力のそれを、幼女はいとも容易く弾き飛ばすが……その隙に、剣を持ったナイトが接近を果たした。
「《パワースラッシュ》!!」
大上段から振り下ろされる、たっぷりと重量が乗った一撃。
矢を弾いた隙で防御は間に合わず、そもそも業物ですらない通常の槍で防げる威力ではない。確実に決まると、少なくともゴブリン達はそう考えた。
しかし、幼女の瞳に焦りなど微塵もなかった。
「《スラスト》」
完全な後出しによる、戦技の行使。
普通なら、ただの悪足掻きにしても遅すぎる攻撃だが……幼女とナイト達の間に横たわるスピードの差は、その遅れすら覆した。
ナイトの振るう剣が幼女を捉えるより遥か前。まるで、停止した世界の中を一人だけコマ送りで動いているかのように伸びた槍の穂先が、ナイトの頭部を吹き飛ばしたのだ。
「っ……《ブレイズキャノン》!!」
ナイトが一体絶命する間に、完成した魔法が幼女を襲う。
小さな太陽の如き熱量を誇る砲弾が、容赦なく幼女の小さな体を呑み込み──
「《バスタードランス》」
ブンッ、と。
炎を引き裂き投げ飛ばされた槍の穂先が、弓持ちのナイトの心臓を貫いていた。
「そんな、バカな……!?」
渾身の魔法が全く通じなかった事実に、最後のナイトは完全に動きを止めてしまう。
その隙を、幼女が待ってくれるはずもない。一瞬で距離を詰め、痛烈な蹴りを放つ。
ボキッ、と、鈍い音が響き、ナイトの首があらぬ方向へと折れ曲がる。
瞬く間にナイト三体を屠った幼女を前に、ゴブリン達は一歩も動くことが出来なかった。
「ハ、ハハハ……なんだこれは、悪夢にしても質が悪すぎるだろう……」
頭を抱え、渇いた笑みを溢したゴブリンキングは、己の頬を殴り付ける。
鈍い痛みに、これが現実なのだと嫌でも理解させられたキングは、自らの得物──巨大な薙刀を手に、幼女の前に進み出た。
「娘よ、名はなんだ」
「私の名前? ……テノア・アーランドだよ」
「そうか、テノアか。我が名はゴブリアス、誇り高きゴブリンの王である」
威風堂々と名乗りを上げ、薙刀を構える。
周囲のゴブリン達が距離を取ってスペースを確保した中心で、その切っ先をテノアへと突き付けた。
「これ以上余計な被害を増やしたくないのでな……一対一の決闘を申し込む。そちらの方が、貴様としても都合が良かろう?」
「うん、いいよ」
あっさりと承諾したテノアが、ナイトの亡骸から槍を引き抜き、キング──ゴブリアスに対峙する。
その構えを見て、ゴブリアスは確信した。
この幼女は、素人だと。
(恐るべき身体能力だが、槍の扱いは間違いなく未熟。付け入る隙は、十分にある)
ナイト三体を失ってなお、ゴブリアスは絶望していなかった。
いや、むしろ……これはチャンスだとさえ思っている。
(この娘の強靭な肉体ならば、俺の子を宿せるだろう。そうなれば、この国の攻略とて容易に進む……ナイト四体と引き換えにする価値は十分にある!)
テノアを手に入れたその先を夢想し、舌なめずりをするゴブリアス。
その瞳には、自身が敗北する未来など、全く映っていなかった。
(たった一人でここへ来たこと、後悔するがいい。クハハハハ!)
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