第325話 お父さん、ありがとう

私が16歳の時に父が亡くなり、その後、しばらくして、母が継父と再婚。夫婦仲も良く、母と継父が結婚してから、もう35年くらいになるか。父と母との結婚生活が17年程度だったから、その2倍になるのだろうか。


もちろん、そういう点では私が父と過ごした時間の2倍、継父と過ごしてきた。世間でよく耳にする、継父と自身との衝突、であったり、実子と連れ子に対する態度の違い、などを経験することはなく、母から見れば、3人の子供の長子である私を「お前が我が家の長男」と扱ってくれたことには心から感謝している。私自身も継父を、同じ男性という視点から見て尊敬するところは多々あり、実父と同様に感謝し、遇しているつもりである。


ただ継父を「親父」と呼ぶことはできても、今でも「お父さん」とは呼べない。私にとっての「お父さん」はやはり実父なのである。


言葉の問題などのネガティブな理由、恩師と働きたいというポジティブな目標をもって、大学卒業後は地元関西に戻ってきたのだが、実際に恩師の診療所に戻ろう、というころには両親は仕事の都合で別県に移動、それ以降、実家は弟夫婦が暮らしていたのだが、弟夫婦も2年ほど前に実家を離れてしまい、以降は実家は空き家となっていた。空き家、とはいえ、完全撤退ではなく、ある程度荷物を置いていたのだが、どうしても人が住まないと家は老朽化が進む。私の実家は6軒長屋の一つなのだが、6軒長屋の端家であるお隣さんが転居、家を売却する、ということになり、それに便乗させてもらい実家を売却することになった。


元々実家は父が購入したもので、父が亡くなった時、私たちは未成年だったので、家については母が相続し、実家は母のものである。なので、売却の諸手続きは母に行なってもらいたいのだが、いかんせん母も喜寿にならんとする年齢で、他県に居住中であること、実家は駅から遠く、それなりに不便なところでもあり、「とりあえず、あんたがよろしく!」ということで、私が代行人として動いている。


子供たちが小さかったころは、まだ母、継父が実家に住んでいたので、お正月に実家にお年始に行ったりしていたのだが、それも無くなり、子供たちに私の実家のことを話すと二人とも、「覚えてな~い」とのことだった。


先日は長男と、昨日は次男と実家詣でをしてきた。二人とも、感想は「狭っ!ここで家族5人が住んでたの?!」とのこと。そうだよ、ここで家族5人が暮らしていたのだよ。25年前に、私が実家を離れ、医学部に進学するまでは私はここで暮らしていたのだ。


S&Gの“The Boxer”の歌い出し、”I’m just a poor boy though my story’s seldom told~”と歌い、息子たちに、「ほら、この曲が『父(私のこと)の曲』と言っている意味、分かるやろ」というと、それぞれ納得していたようだった。


家の売買をする以上、家の購入の際の諸書類が必要となる。母に聞いて、その書類の場所を聞き、自宅に持って帰ってきた。書類を開くと、父がいくらでこの家を購入したのかがわかる。家を購入したのは50年ほど前になり、その時の貨幣価値は今の3倍程度のようだ。と考えると、今のお金で1200万円くらいか。父方の祖父母も裕福ではなかったので、多分父が、父の弟たち(父が長男)の学費援助もしていたのかもしれない。父の兄弟はちょうど2歳ずつ年が離れた3人兄弟だった。一番下の叔父は、高校卒業後、働きながら大学を卒業したが、父と、真ん中の叔父は同じ工業高校を出て、同じ職場に就職した。家計の事情で高卒で働くことを余儀なくされ、その視点で進学先を選んだのだろうが、高校では首席で卒業し、それまでその高校からは採用のなかった大手企業に初めて採用された、と子供のころに聞いたことがある。真ん中の叔父も、同様に高校は首席で、おそらく父の働きぶりも加味されたのだろう、叔父も同じ会社に就職した。母とは職場で知り合い、結婚したと聞いている。


「家を買う」ということは、やはりそれなりに覚悟がいる。抱える借金も大きいし、そこで一生を暮らす、という人生のビジョンがなければ、そうホイホイと買えるものでもない。家を購入した時に、すでに父は病を抱えていたが、それでも父のビジョンがあって、この地に家を買ったのだろう。そのころに父がどんな思いを抱えていたか、それを聞くことができないのは残念である。


昨日は、必要書類にサインするため、次男を連れて実家に訪れた。その前に2回程来ているので、私が「必要」としているものは、一応自宅に持って帰っている。なので、一通り、次男に家を見せて、少し思い出話をし、あとは不動産屋さんと現地の状況を確認しながら必要書類にサインをして、一仕事を終えた。


実家の前には大きな片側1車線の道路が走っている。子供のころは、「盲腸線」状態でその奥は少し進んで行き止まり、となっていたため、時にその奥にあるタンクローリー会社のトラックが通る程度で、その道路でキャッチボールをしたり、ゴムボールで野球を、地域の子供たちで楽しんでいた(私たちは第二次ベビーブーマーで、地域には同年代の子供がたくさんいた)。今は二つの幹線道路を結ぶバイパスとなっているので、それなりの頻度で大型トレーラーが走り抜けていく。


家の向かい側にある歩道との段差に腰かけて、自宅とその周りの様子を見ながら、昔のことを思い出した。子供のころは6軒長屋が4つほど並んでいたが、今はその長屋は分断されたり、長屋そのものがなくなって独立した家が建っていたり、と、町並みは変わってしまっていた。でも、私の実家は子供のころと変わらずそこにあり、昔のことがいろいろと思い出された。


不動産屋さんとのやり取りも終え、とりあえず一仕事終了し、次男君と自宅に引き上げてきた。


お父さんが頑張って手に入れた家、申し訳ないけど手放すよ。息子たちには「狭い」と言われたけど、僕はそこで育ったんだ。お父さん、ありがとう。

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