第300話 命の炎を燃やし切って

仕事の日は、ほとんどが「早出」の扱いなので、出勤のタイムカードを押し、体温を測定すると、当直の先生から引継ぎを受ける。今日は、未明に私の担当していた患者のMさんが永眠された、とのことだった。


Mさんは90代後半の方で、施設入所中。当院の別の医師の訪問診療を受けておられたが、その医師が退職されたため、昨年の4月から引き継いで在宅で診ていた方だった。夏ごろに食事中に誤嚥窒息、nearCPA(心肺停止寸前)で当院に搬送された。救急隊到着前に、施設の看護師さんが頑張って吸引処置をしてくれたおかげで、高流量酸素が必要な状態ではあったが、到着時には何とかSpO2 90%まで上がってくれていた。それまでは入居されていた施設でウロウロとされていたが、やはり窒息時に脳のダメージが大きかったのだろう。入院後は開眼されるが、追視は時々、発語はなし、という状態になってしまった。何とかミキサー食はむせずに食べることができるようになり、施設に戻られた。


施設での誤嚥直後の低酸素状態で、「低酸素脳症」を来したのだろうと思っていたが、施設に戻って徐々に活気を取り戻し、それなりの介護量は必要なものの、車いすでロビーに出て、TVを観たり、食事をとることができるようにもなって来ていた。そんな中、12月に再度昼食を誤嚥窒息。救急車で当院に搬送されてきた。今回も施設の看護師さんが頑張って吸引してくれたおかげで、高流量酸素は必要なものの、胸部CTで視認できる範囲の気管、主気管支、区域気管支に食物残渣は認めなかった。


高流量酸素が必要なため入院してもらい、ST(言語聴覚士)さんに嚥下機能の評価、訓練を行なってもらったが、今回のことで完全に嚥下機能は廃絶状態となっていた。ご家族に来てもらい、今後のことを話し合った。主に面倒を見ていたのは次女さんで、この方がKey Person。少し遠方にお住いの長女さんもお話に参加していただいた。


次女さんは、「本人の楽なように過ごしてほしい。特に延命のための処置は望まない」というスタンス、長女さんは「胃瘻を作って、長生きしてほしい」という希望を持っておられた。ご本人は認知症となって10年以上たっており、お元気なころの意思表明は不明、現時点での意思決定はできない状態だった。


私個人としては、「これが潮時」と思っていた。90代後半であり、これまでがギリギリのところだったと思っていた。施設に帰ってからの状態改善は「奇跡」だと思っていた。


先日、新聞記事だったか、ネット記事(ソースは新聞社だったかテレビ局だったか?)だったか忘れてしまったが、「日本では、ご本人の終末期の過ごし方に『家族の意向』が反映されてしまい、ご本人の希望に合わない医療が行われていることが多い」と問題提起されていた。


もちろん、高齢の方でもある程度自己決定権を行使できる方については、ご本人の意見を最優先している。ただ、「ご本人の意見」と、「ご家族の意見」のすり合わせはもちろん行なっている。「ご本人の希望だから」と言って、ご家族の意見をないがしろにすることはしない。


西洋ではいろいろな意味で「個人」というものを尊重する文化であるが、日本などアジア地域では、「家族」という枠を大切にする文化であると思っている。医療はそれを行なう地域の「文化」を抜きにしては存在しえない。という点で「医学」と「医療」は別のものである。


なので、日本の医療では「ご本人の希望」と「家族の希望」が対立した時には、話し合いで折り合いをつけ、お互いの納得できる形を見つける、というスタイルが最も適していると思っている。もちろん、多くの人は「医学」「医療」についての知見はそれほど多く持ち合わせてはいないので、「専門家」の意見が必要な時には、必要な情報を提供することが医師の仕事だと考えている。どうしても意見の衝突が改善しない場合には、少し方向性を持った意見を提案するのも医師の仕事だと思っている。


という点で上記の問題提起には一定の理はあるものの、「家族の意向が入り込むこと」そのものは、日本の文化を考えるとやむなし、だと思っている。さらに、少しだけダークなことを言うと、ご本人は残された命を全うし、旅立たれる方だが、家族はお元気なわけで、場合によっては「医療訴訟」という話も起きるわけである。なので、そういう点でも、「ご家族の意向」を無視するわけにはいかない。本人もある程度納得、家族もある程度納得、という点にうまく着地させる、ということが大切なわけである。


閑話休題。そんなわけで、ご姉妹で意見の乖離が存在していた。しかし、高齢の方であり、胃瘻の造設にもリスクがあること、胃瘻造設が成功したからと言って、ご本人の意識レベルが改善したり、ADLがぐっと良くなったり、ということは期待薄であり、胃瘻造設のベネフィットとリスクを考えると、胃瘻造設に積極的にはなりづらい。また、胃瘻造設の希望は、key personの次女さんではなく、ご本人のお世話にはあまり関与していない長女さんの希望である。胃瘻造設をして、負担が次女さんにかかる、というのもあまりよろしくはないであろう。


医師の仕事は医師法第一条に「医師は医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする」と規定されている。昨今の医療費増大の大きなものの一つが、高齢者の「延命」のための治療であることを考えると、公衆衛生学的観点から考えても、「胃瘻を造る」ことが適切、とは考えづらい。


そんなわけで、ご家族のお気持ちを聞きながら、「医師」の観点から現状を伝え、「もう本人にしんどい思いをさせず、自然な流れで過ごしていただきましょう」とお話をした。長女さんも私の話に納得され、最低限の医療介入で過ごしていただくことになった。


最低限の医療介入とは具体的には、1日に500mlの晶質液の点滴をするのみ、ということである。もちろん、看護師さんのケアはほかの患者さんと同様にしてくださる。生理学では、身体に必要な水分量は1500~2000ml/日と教科書に書いているが、高齢の方の「お看取り」モードでは500ml/日の点滴でも浮腫が出現することもある。Mさんは特に浮腫が出現することはなかった。マウスケアは毎日看護師さんがしてくださるので、口の中が乾いてパサパサになることもなかった。毎日の回診でも、Mさんの表情は穏やかでしんどそうな表情は見られなかった。


私の経験では、1日500mlの晶質液では、長くても2か月ほどで旅立ちの日が来る。Mさんもおよそ2か月で旅立たれた。


最初にご家族と方針を決定した時、ご家族には「当院は現在COVID-19流行のため、原則面会はお断りしていますが、Mさんはいつ何があってもおかしくないので、面会を希望される場合は、前もって地域医療部に連絡くだされば、面会できるように対応します」と伝えていた。年末頃にも数回、「いよいよの時が近いと思いますので、お顔を見に来ていただければどうでしょうか?」と声を掛けていたのだが、お見えになることはなかった。そういったことを考えても、胃瘻は造設しなくて正解だったのかもしれない。

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