2022年 8月

第50話 恋(こひ)は「孤悲(こひ)」か・・・。

読売新聞の人生相談、50代の男性が20代後半の女性に恋をしたらしい。どうすればよいか?との質問だった。回答者の回答がよかった。


万葉の時代、「恋(こひ)」は「孤悲(こひ)」と描かれていたそうである。万葉の時代の人、すごい感性だ、と心動かされた。John Lennonの名曲“Love”でも同じようなフレーズがある。”Love is wanting to be loved.“(「愛」とは「愛されたい」と願うこと)」。恋をすると、恋した相手が自分のことを好きになってほしい、と感じるのは至極まっとうなことで、John Lennonはその思いを歌詞に、万葉の人たちは、その思いが届かず、自分の心の中が苦しみ悲しんでいることを踏まえて、「孤悲」と万葉仮名を使ったのだろう。


私が10代の終わりころ、太宰治のファンだった。彼自身が破滅型の作家ではあったが、戦時中の時代に、明るさと皮肉にあふれた作品、時には前向きな作品(確か、「走れメロス」は戦時中の作品だったように記憶している)を作り、終戦の後、重い作品(「斜陽」や「人間失格」)などを書いて、この世とさよならした人だが、彼の作品で私の好きなものの一つに「御伽草子」がある。よく知られている昔ばなし(コブ取り爺さん、カチカチ山、スズメのお宿)を彼流に換骨奪胎して、素晴らしい作品となっているが、その中のカチカチ山、太宰はタヌキを「少し下卑た中年男性」、ウサギを「思春期の女性」として描き、その作品は今も私の心の中に残っている。彼の言うように「思春期の女性の冷酷さ」と、まるで私のような「かわいそうなタヌキ」は、以前にも書いた“Female Choice”の現実を見せつけてくれる。きれいで冷酷なウサギに恋をした哀れなタヌキは、結局命を落とすことになるのだが、彼の最期の言葉「惚れたが悪いか!」という言葉は、今でも私の心の中で響いている。もちろん、それは私自身の人生の反映でもあるのだが・・・。


人生相談の回答者は、万葉の時代の「恋(こひ)」は「孤悲(こひ)」ということを持ち出して、「それはあなたの心の中にとどめておきなさい」と提案していた。「どうしても恋心が抑えられなければ、誠意をもって相手に思いを伝えなさい。たぶんハラスメント委員会から呼び出しがあると思いますから」と締めていた。とても適切な回答だと思う。


とはいえ人間、いつどこで、どんな形で「恋」の雷が落ちてくるか分からない。突然にドカーン、と雷が落ちてくることもあれば、自分の中で静かに育ってきた「恋心」に、何かのきっかけで「はっ!」と気付くのかもしれない。


いつ、どこで読んだ文章だか忘れたが、芸者の大師匠に、とある新聞記者が質問した。質問の内容は忘れてしまったが、女性はいつまで「女」ですか?みたいな問いだったと思う(今なら問題発言だろう)。大師匠は何も言わずに、吸っていたキセルを煙草盆にトントンと叩いて、タバコの灰を落としたそうだ。読んだ文章では大師匠の答えは「灰になるまで」という意味だったとのこと。

そう、「老いらくの恋」などと批判を浴びることもあるが、やはり男性は死ぬまで「おとこ」であり、女性は死ぬまで「おんな」なのだろうと思う。年齢に関係なく、恋に落ちてもしょうがない。人を恋する気持ちはだれも、そして自分自身も縛ることができないものだから。


人生相談に投稿した男性もそうなのだろう。好きになってしまったらしょうがない。でもそれが成就しやすいものか、時に犯罪まがいととらえられてしまうかはお互いの関係性によるものである。一般論でいうなら、その思いは「孤悲」として心の底に秘し沈めておくのが最適解であろう。


私は男性なので、太宰の御伽草子で出てくる「かわいそうなタヌキ」の気持ちがよく分かる。なので、最後にもう一度彼の言葉を言わせてほしい。


「惚れたが悪いか!」


でも、人生ってそんなものだよなぁ。

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