第14話 タイムマシン

「は……?」

 振り返る。呼吸を乱した万葉ばんばがこちらを凝視している。充血したその目に浮かぶのは、心からの恐れと困惑で。

 なんだそれ。お前いま何て言った? 蒼依が死んでる? 十年前に?

「は、は、ははは。バカか、お前。僕は蒼依と十年間付き合ってきたんだぞ?」

「いいから、こっちに来て座ってくれ。俺が知っていることを順を追って話すから」

「…………ちっ」

 釈然としないものの、ここは大人しく従うしかない。信じる信じないは別として、こいつが進んで情報を吐くというなら聞かない手はないのだ。

 意味もなく反抗心を込めて、僕は立ったまま壁にもたれかかり、万葉と向き合った。

「……まぁいいや、聞いてくれるならそれで。といってもどこから話すべきかは難しいんだけど……うん、まず最初に言っておくと俺は転校生じゃない」

「はぁ?」

「鈴木貞作先生の指示で忍び込んだだけだ。田中愛一郎という男にアイフォンを渡すために」

「な……っ」

「目的はあのアイフォンを愛一郎くんに常備させておくということだけだったから、転校生を装う必要なんて本来はなかったんだ。俺が聞いていたのは君の名前と年齢と住所だけなんで、とりあえず昨日の朝、君の家から出てきた男子高校生を尾行していたってわけ。極力怪しまれずに受け取ってもらう方法を模索しながらね。で、高校の中にまでついていくべきか悩んで校舎周辺をウロウロしていたら、ボロボロになった教員らしき男が出てきたんだ。情報を探ってやろうと手当てしながら話を引き出していたら、何と教え子の愛一郎という生徒に殴られたというじゃないか。そこで俺は、教師という仕事に限界を感じ始めていた彼に適当なビジネス話を吹き込んで篭絡し、若きビジネスパートナー探しという名目で数時間限定の転校生に成り代わらせてもらったのさ☆」

「もらったのさ、じゃねーよ。ただの自白じゃねーか、詐欺と不法侵入の」

「まぁ彼も教師を辞めるつもりなわけだし、僕も君にアイフォン渡したらさっさと消えるつもりだったし、別にいいじゃないか。幻の転校生としてこの学校の七不思議に残るだけの話さ。ていうか君の傷害罪の方がよっぽど重い罪だよね」

 正当防衛だよ。寝取られは疑惑の時点で殺人行為だからな。

「だいたい意味わかんねーよ。何で蒼依の父親が僕にそんなものを……」

「それは俺にもわからない。理由を聞いても巧みに誤魔化されるばかりで……。やりとりも全部メールでなんだ。先生は数日前から体調不良で動けない状態らしくて。この指示だって実行前夜に突然だからね」

「……怪しすぎるだろ、さすがに。蒼依の父親とお前は犯罪組織か何かなのかよ」

「いや、本当に急のことで……でも先生は本物の天才だからさ、俺なんかじゃ理解も及ばないような目的があると思うだろう? これも実験に必要な何かだと思ったんだよ。でも、蒼依ちゃんの存在が、ターゲットの君の隣にあることを考えると……本当は先生のプライベートな事情だったんだと思う。つまりは、たぶん…………盗聴、かな、目的は」

「盗聴……っ!? ……何らかの理由で蒼依を探るために、彼氏である僕に盗聴器を持たせようとしてたってことか……?」

 いや、しかしそれもおかしい。十年前から行方不明・音信不通の父親が、蒼依の彼氏が僕だということをなぜ知っているんだ? 確かにあの日、僕はあいつから蒼依を守ったけど、十年経った今でも付き合っていて、しかも蒼依がこの村に引っ越しているなんてことを把握しているわけが……。まぁ、もしかしたら、あくまでも候補の一つとしてダメ元で、僕にも当たってみただけなのかもしれないけど……。

 でもそれにしたって、蒼依を盗聴したいなら盗聴器は蒼依の持ち物に仕掛けるべきだ。何故その彼氏になんていう、回りくどい真似を? 蒼依が死んでいるというこいつの勘違いと何か関係があるのか?

「なぜ死んだはずの蒼依ちゃんが……という疑問は一旦置いておくとして……うん、そういうことなんだと思う。俺は先生の弟子として研究のお手伝いが出来るのなら何でもする。でも個人的な犯罪行為にまで加担する義理はないからね。盗聴器(仮)は破壊したし、知っていることは何でも話すよ」

「弟子? ってのは、まさかお前……」

「そりゃもちろん、科学者鈴木貞作先生にご教示いただいてる立場ってことだよ。まぁ弟子っていうのは俺が勝手に自称してるだけだけど……残念ながら先生も今はもう正式な肩書きは持っていないしね。マッドサイエンティストなんて言われてるのもそのせいさ」

「やっぱり……! じゃあお前、蒼依の父親の研究に関わってるんだな……!?」

「いやいやいや関わってるだなんて恐れ多いにも程があるよ……俺なんてただの三流大の学部生に過ぎないからね……研究内容を正しく理解することすらままならないよ。でも、その意義は理解している。あれが実用化されれば、まさにエポックメイキングだ。それなのに先生は狂人扱いされて、正当な評価を受けていないからね。研究が実を結んだ時に、それを世の中に広める役目を俺は担いたいんだ。俺が世界の未来を変えてやるのさ! 人類に克服できない困難なんてない! 未来の可能性は無限大なんだ!」

 両手を広げて高らかに主張する万葉。その姿に、僕は息を呑まざるを得ない。

 やっと掴んだかもしれない、愛朱夏に関する疑惑の答えを。

「それがタイムマシンなんだな! 蒼依の父親が発明した! はっ……未来、未来って、もしかして万葉、お前も未来から……? そうだ、小学生時代の蒼依に告っているはずなのに、大学生、僕たちより年上だなんて……」

 それにこいつは妙に自信満々に未来のことを語ってきた。数年後の未来から来たと考えれば辻褄が……!

「は……? タイムマシン……? 何だい、それは。そんなもの実現不可能に決まっているじゃないか。未来からって……現実見ようぜ、高校生」

 なんだこいつ。

「俺は蒼依ちゃんより一つ年上だよ。プラマイ一学年くらいまではみんな蒼依ちゃんに惚れていたしね。未来ってのは、まぁ……コンプレックスなんだ、この古臭い名前が。国文学者の親が、苗字から連想した万葉集の中から取って、令和のりかずなんて名付けやがったらしくてさ。いつまでもそんな過去の遺産に囚われてるなんて馬鹿らしいだろう? だから俺は自分のこの令和という名前を次世代の象徴にしてやろうと、」

「あ、お前の身の上話とかいいから。ていうかだな、そんなわけないんだよ、万葉。タイムマシンはある。十四年後に。お前には隠しているだけで、蒼依の父親はずっと研究しているはずなんだ」

「そんなことを言われてもね……全く心当たりがないし……そもそも先生の専門は細胞生物学だぜ? タイムマシンなんて先生に一体何の関係が……」

「さ、サイボーグ……?」

「いいかい、愛一郎くん。サイボーグやタイムマシンみたいな夢物語なんかじゃないし、そんなものよりもずっと人類を救うはずなんだ、先生の癌治療薬は。俺がアクセスできるものじゃないけど、ここだけの話、十年分の有用な動物実験データまであるらしいんだ! 実用化はまだ先だろうけど……その時までに俺はメドテック業界で成功を収めて若手起業家として影響力を持っておく。自分に研究者としての才能が皆無だということは充分思い知った……だから自分にできることをやる。価値ある研究が正当に評価され、その恩恵を一日でも早く一人でも多く享受できるような未来を、俺が作ってやるんだ!」

「…………………………めどてっくか……あれコスパ高いコンテンツだもんな」

 ダメだ、万葉は無駄に目をキラキラ輝かせてやがるが、僕の脳には全然話が入ってこない……。

 癌……? 治療薬……? そんなもんで愛朱夏はどうやって未来から来たんだよ!? そんでメドテックってなんだ、僕が知らない言葉を使うな! ちなみにコンテンツの意味もよく知らない。コスパならギリ知ってる。

「あ、ご、ごめん、俺の話なんてどうでもよかったよね……うん、だいぶ話が脱線してしまった。とにかく俺は先生――鈴木蒼依の父親に、十年前からお世話になってるんだ。先生の娘さんが亡くなってるのは間違いない……はず」

「はずって何だ、はずって! 言葉尻めっちゃ弱々しかったぞ!?」

「いや間違いないよ! そもそも先生との付き合いが始まったのは、蒼依ちゃんが死んだってのを信じられなかった俺が彼女の家まで押しかけたのがきっかけだったんだ! 今でもはっきりと覚えてる! 侵入経路を探して家の前をウロウロしていたら、貞作先生と蒼依ちゃんの親戚のおばさんに捕まって!」

「やっぱりストーカーだったんじゃねーか! お前の不法侵入癖はその頃からか!」

「だ、だって! 夏休み明け、いきなり学校で伝えられたんだよ、俺たちみんな! 葬儀も、蒼依ちゃんが事故に巻き込まれたっていう先生の地元での家族葬だったらしくて……」

「は……? 何言ってんだ、じゃあ、なおさら僕がそれを知らないのはおかしいだろ!」

「な、何が? どういうこと……?」

「鈴木貞作の地元はここだ! 実家があった空き地まで僕んちから徒歩十二分だよ! いいか、よく聞け! 蒼依が死んだっていうその村で! 蒼依が死んだっていうその十年前の夏に! 僕と蒼依は出逢ってるんだよ! それからずっとラブラブちゅっちゅなんだよ!」

「なん……だって……」

 正確にはちゅっちゅはほとんど出来てないけどまぁいいか。精神的ちゅっちゅしまくってきたからな……!

「僕は万葉が嘘をついてるとは思ってない。でも結局のところ、お前の話の大事なところはほとんど伝聞じゃないか。それと違って僕は実際に、生きた蒼依と十年間共にイチャイチャちゅっちゅしてきた! お前も自分自身の目で、生きた蒼依と僕がキュンキュンちゅっちゅしているのを見ただろ!」

「俺が見たのは貞操帯ド変態プレイだけなんだけど。そ、それに蒼依ちゃんが生きているとしたら、かつて告白してきたこんな変な名前の俺を覚えてないなんておかしいじゃないか」

「でもお前は蒼依の死体すら見ていない。僕は生きた蒼依と生きてきた」

「死体って、そんなの……、でも……確かに……」

 万葉は顎に手を添え、考え込むように、

「先生は離婚していて蒼依ちゃんは元々お母さんに引き取られていたから、結局俺は仏壇に手を合わせることもできてない……お墓の場所だって、先生に蒼依ちゃんの話は禁句だから……あ、そ、そうだ! 先生の研究室で遺影なら見た! 八歳当時の蒼依ちゃんの写真を確かにこの目で! あの日の俺は、それで蒼依ちゃんの死をやっと受け入れられたんだ……!」

「……遺影くらい、どうとでもできるだろ」

 どうとでもまでして、死んでもいない娘の遺影を偽装する意味は全くわからないが……。

「いや……うん……確かに冷静になってみれば、現状、愛一郎くんの認識の方に分があるのは認めざるをえないね……。蒼依ちゃんそっくりの高校三年生の鈴木蒼依がそこにいる――それだけだったらまだ何か思い違いを指摘できたかもしれないけど……貞作先生がその蒼依ちゃんを探ろうとしていた形跡があるんだ。もはや、何かを隠しているのは貞作先生だと疑うほかない」

「だったら会わせてくれ、鈴木貞作と。それで全部わかるだろ」

 蒼依のことだけじゃない。愛朱夏の怪しい言動に関しても、もしかしたら今回のことと何か関係が……ないか、さすがに。

 未来の娘と、失踪したはずの父親。偶然にも同じようなタイミングで曰く付きの二人が現れてしまったせいで、どうしても結び付けて考えてしまいそうになるけど……その論理には飛躍がある。

 八歳の蒼依の謎の「死」とそれに伴う父親の不可解な行動は、全て過去から現在までの出来事だ。今から二年後に生まれて十四年後から来た愛朱夏に関連なんてしているわけがない。

 ましてや、鈴木貞作が今の時代にはタイムスリップ研究に着手していない可能性すら出てきたのだ。彼の前で下手に愛朱夏の情報を出すべきではないだろう。意味がないどころか、意図せぬ形で未来を変えてしまうリスクさえある。

 未来を変えずに蒼依を死に追いやる……その目的だけはブレさせてはいけないんだ……。

「わかったよ、愛一郎くん。気は進まないけど、俺だって気になるし……ただ、先生は本当にいま体調不良みたいなんだ。俺も動ける状態じゃないし、何日か待って――」

 体力の限界が来たのか、万葉が胸を押さえて体を横たえた、そのとき、

「大変なの、愛一郎! まんこがかゆい!」

「ひぃっ! 膝蹴りまんこおばけ!」

 話題の中心人物であった鈴木蒼依その人が、必死な顔で保健室に飛び込んできた。昔好きだった女の子に対して本気でビビりながらのまんこおばけ呼ばわりは酷くないか。まぁ、こいつは蒼依が死んでると思い込んでたわけだから仕方ないか。仕方なくねーわ。

「蒼依、いいかげん貞操帯は捨ててくれって言ってるだろ。僕はもう君を信じてるんだって」

「ダメよ、これは私の自分に対する戒めでもあるんだから。だから、まんこかゆいたびに開けてもらわないと――って、違うの! 間違えたわ! 今はまんこなんてどうでもいいの! あの子が――愛朱夏が大変なの!」

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