寝取られるぐらいなら死んでほしい
アーブ・ナイガン(訳 能見杉太)
第1話 死んでも守り抜きてぇ女
高三の夏、僕は幼なじみと十年ぶりのキスをした。
「
唇を離して、僕の腕の中で顔を赤らめる小麦肌の女の子を呼ぶ。その滑らかなショートカットを撫でると、蒼依は「んっ」と艶めかしい呼吸を漏らし、
「
「…………っ」
弱々しくも必死さを滲ませる声に、僕の理性が崩れていく。
一度目よりも激しくその薄い唇を奪い、激情のままにまぐわって――
「蒼依、ごめん。続きは帰ってしよう。君のこと、もっと大事にしたいから」
暴走する本能にストップをかける。勢い任せでこれ以上のことをするなんてダメだ。蒼依がそれを受け入れても、たとえ望んでいたとしても、やっぱり彼女にとって最高の思い出にはしてあげられないと思うから。
何たってここは夜の寂れた神社だ。初体験の場所にするには相応しくない。
「……うん、ありがとう……確かに初めてはもっとロマンチックな方がいいかもしれないわね……ここはここで、私達にとっては思い出深い場所なのだけれど」
そう言って、蒼依は照れ隠しのように微笑む。
確かにここは僕たちにとって良い意味でも悪い意味でも特別な地だ。ちょうど十年前に初めてのキスと結婚の約束と、そしてもっと大切な誓いを交わした場所。だから僕たちは今日、ここに来たんだから。
こんな、キス以上のことをするまでの雰囲気にするつもりはなかったんだけど……だって、
「うん、でもやっぱり僕に気遣いが足りなかった。蒼依が怖い思いをした場所でもあるんだ」
「……あなたが助けてくれた場所でもあるわよ? うふふ」
「嫌な思いをさせてしまった時点で、助けてあげられたなんて言えないよ。僕はあの日決めたんだ。もう絶対、蒼依を危険に晒したりなんかしないって。僕が一生守るって」
「愛一郎……」
潤んだ瞳で見上げてくる恋人を僕はもう一度抱き寄せた。
「改めて誓うよ、蒼依。僕は永遠に君だけを愛し続ける。よそ見なんて一瞬もしない。だから君もあの約束の通り、永遠に僕だけを愛し続けてくれ」
十年前のあの夏の日、この場所で、婚約を交わした蒼依から言われた言葉。「どんな理由があっても、どんな形であっても、わたしたちは絶対浮気禁止!」――を僕たちは守ってきた。これからも守り続ける。
八歳の僕たちがしたその誓いは少しマセていたかもしれないけど、とても尊くて温かくて、破る必要性なんてどこにもあるはずないのだから。
「うふふ……もちろん私だって大好きよ、あなたのこと。約束通り結婚して、子どもを作って、あなたと――」
大事なところで蒼依の言葉が途切れる。見開かれた大きな瞳が向いているのは、僕の後方――今しがた、物音――人の気配がした茂みの方だ。
「誰だっ」
蒼依を背中で守るようにして振り返る。僕のTシャツの裾を握ってくる手からは微かな震えが伝わってくる。
人が歩いていること自体珍しいド田舎の夜。こんな所に誰かが現れるなんて、普通のことではない。
不審者から、死んでも蒼依を守り抜くんだ!
僕は瞬きもせずに、茂みの中からフラフラと現れるそいつを睨みつけ、
「「「――え……」」」
困惑の声を漏らしたのは、三人。僕と蒼依と、そいつ――ジャージ姿の小学校高学年くらいの女の子。
「――――っ」
背中から息が漏れるような声。シャツを掴んでくる力が強くなる。当然だ、予想とは全然違ったとはいえ、目の前にいるのが不審な存在であることに変わりはない。
幽霊? 馬鹿馬鹿しいかもしれないが、その可能性を捨てきれない。近所の子供なんて全員顔くらいは知ってるはずなのに、こんな綺麗な黒髪を持った子なんて見たことがない。わずかな街灯と月明りだけが頼りの暗闇でも、そのストレートロングの麗しさがはっきりとわかる。
「――――」
本当に綺麗で美しくて儚くて――恐怖を感じるべき時なのにもかかわらず、目を奪われてしまう。彼女はおぼつかない足取りでこちらにゆっくりと近づいてきて――その距離が縮むにつれ、僕は自分の考えの間違いに気づいていく。
この子は人間だ。幽霊なんかじゃない。何の根拠もないけど、確実に血が通った、活き活きとした四肢五体を持っているようにしか見えない。
そして、よく考えれば、別に僕が知らない子供がこの村にいたって何らおかしくはない。今日は八月末日、まだギリギリ夏休みなんだから。都会から遊びに来ている子供だっているかもしれない。あの日の蒼依のように。
そして、僕が、彼女が幽霊じゃないと確信した一番の理由。それは――
「……ママ……?」
「「――――」」
女の子が蒼依の顔を見つめて、小さな声で、しかしはっきりと呟く。
「愛一郎、今この子、私のこと、ママって……」
「落ち着け、蒼依。きっとどこかの家の親戚の子だ。迷い込んじゃっただけだろう」
冷静を装ってはみたが、本当は、一瞬浮かんでしまった奇想天外な妄想を打ち消すために、自分自身に言い聞かせたようなものだ。
僕らがそうやって自然と手を握り合う一方、女の子の綺麗な顔は、困惑から驚愕へとその色を濃くしていく。充血した目を見開き、口をパクパクさせて数秒固まった後、
「――――あ……」
彼女は膝から崩れ落ちてしまった。
反射的に駆け寄り、僕も膝をついて女の子と相対する。
「大丈夫? 怪我とかは……ないみたいだけど……迷子だよね? 何て名前のお家から来たのかな?」
優しい声を意識しながら話しかけるが、至近距離まで近づいたことで、僕の動揺は激しさを増した。
心臓が暴れ出す。脳が、緊急事態を告げ始めているような感覚。
「……愛一郎……っ」
蒼依もこの状況の異常性に気づいているようだ。説明できるものじゃないけど本能的にわかってしまう。出会ってはいけないものに出会ってしまったと。それなのに、この瞬間をずっと待ち望んでいたような気がしてしまう。異様で奇怪な邂逅に僕たちはいま直面しているのだ。
「……ママ……ママ、だ……」女の子が小刻みに震えながらも、声を絞り出していく。「うん、ママだよね……」
言葉を失う蒼依を凝視した後、女の子は、ギギギと壊れた人形のように僕の方を向き、そして何か意を決したように、
「……そして、こっちが、パパ……パパだ……」
「「…………っ」」
僕たちは十八歳。この子は、近くで見てみれば顔は思ったより大人っぽく、十二、三歳くらいに見える。親子の年齢差としては明らかにおかしい。そもそも僕たちは肉体関係を持ったことがないし、だから蒼依には当然出産経験はない。
それなのに、彼女の突拍子もない言葉を僕らは笑い飛ばすことができない。
「パパ、ママ、わたしは……あ、あ、あなたたちの、娘、です。未来からきました。二人に、大切なことを伝えるために」
だってこの子は、あまりにも蒼依に似すぎている。
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