陰キャが異世界転生して陽キャを目指す
やまあん
第1話 タヌキを救え!
春の日の午後の教室は、うららかな雰囲気が漂っていた。
それも担任の国語の先生が発する、眠気を誘う音波のせいである。
「津島。教科書の三十五ページから音読しなさい」
先生が教室にいる生徒を指名した。
気まずい沈黙の後に、津島はそれが自分のことだと、ようやく気付いた。
津島はうたた寝をしていた。
気持ちの良い夢を見ていた。
ある日のこと津島のクラスに、突然に転校生がやってくるのだ。
そしてその転校生が実は魔法使いで、津島と友達になり、一緒に冒険の旅に出発する。
「津島。三十五ページからだ。早くしろ」
眠気製造機が津島に言った。
津島はゆっくりと立ち上がって、教科書の無味乾燥な文章を棒読みし始めた。
「昔は科学と魔法は同じものだった。しかし科学革命によって、魔法は消滅したのである」
津島は自分の今日一番の任務を淡々とこなして席に座った。
「イギリスの歴史学者であるバターフィールドは…」と先生が話し始めた。
教室にいる生徒は誰ひとりとして、バターフィールドに興味関心を持っていなかった。
生徒たちの頭の中にある考えは、意中の異性を振り向かせるにはどうすればいいか、一刻も早く帰宅してゲームの続きをやりたい、明日の昼ご飯は何を食べようか、という程度のことだった。
高校三年生になったというのに、進路について真剣に考えている人が、この中にいったい何人いるだろうか?
津島たち若くて愚かな高校三年生は、今日も青春という貴重な時間を無駄に過ごしていた。
それでも日々迫りくる、先生と両親からの、進路を早く決めなさい攻撃をかわすのは一筋縄ではいかなかった。
そして大人たちは、決まって最後にこう言うのだ。
「お前のためを思って言っているんだ」
これを言うのが、まるで勤労・納税・教育に次ぐ国民の義務であるかのように、彼らはこのセリフを連呼する。
津島の通う学校は、家から自転車で十五分の距離にある、偏差値五十くらいの平凡な公立の高校である。
進路は進学が半分、就職が半分くらいだ。
家から最も近いという理由だけで入学を決めたこの高校には、他に長所は特にない。
共学なのが唯一の救いである。
しかしかわいい女子が、まるで陰キャの権化のような津島に振り向いてくれるわけもなく、未だに津島の聖剣は未使用のままだった。
鞘に収めたまま、一度もその刃を抜くタイミングがなく、高校生活も三年目に入った。
「本当に僕のためを思っているのなら、陽キャになる英才教育を施して欲しかった」
津島は両親に対して恨めしく思った。
津島は実に平凡な高校生だった。特段に陰キャであることを除けば。
成績は中の上、運動神経は最悪、容姿はひよこ饅頭にそっくりの単純な顔だ。
両親は見合い結婚で、オタクでニートの兄を持つ津島は、まさに陰キャのサラブレッドである。
しばらくしてチャイムがなって、生徒たちはようやくバターフィールドから解放された。
津島は帰宅部で、しかも友達がいないので、ひとりで自転車に乗って帰宅した。
帰ったらゲームをやって、マンガを読んで、アニメを見るのが日課だった。
そしてこれは誰にも言っていないが、絵を描いたり、小説を書いたりするのが津島の趣味だった。
でも津島の絵を見たり、小説を読んでくれたりする人はいなかった。
津島は読書も趣味で、本をよく読んだ。
津島の部屋の本棚には芥川龍之介や太宰治や三島由紀夫の小説が並んでいた。
でもクラスには津島と話が合う人はいなかった。
一年生の時に期待して文芸部に入ったが、みんなが読んでいるのは村上春樹や東野圭吾や山崎豊子など流行の作家ばかりだった。
そしてすぐに部活も止めてしまった。
そんな寂しい高校生活を送る津島だが、かつてはまるで絵に描いたような幸運を持っていた。
隣の家に超かわいい幼馴染の女子が住んでいたのである。
まさに「タッチ」の浅倉南のようなかわいい女子と幼馴染だったのである。
津島の人生の全ての幸運をつぎ込んだような、またつぎ込んでも惜しくはない、それほど素敵な幼馴染だった。
津島の自宅の勉強机の上には、彼女の遺影が飾られている。
ひとりさみしく自転車に乗って学校から帰る途中で、津島はネコを見かけた。
ネコだと思った。
しかしよく見ると、しっぽがふさふさしている。
タヌキだ。
津島は野生のタヌキを始めて見た。
タヌキは住宅街の道路をスタスタと歩いていた。
津島が住んでいるのは、確かに山を切り開いて作った住宅地だが、タヌキが出現するのは珍しい。
津島は自転車を降りて、タヌキの後をこっそりと追いかけた。
するとタヌキは走って道路に飛び出した。
向こうからはトラックが走って来るのが見えた。
このままだとタヌキがトラックにひかれてしまう。
津島は走り出していた。
全速力でトラックの前に滑り込んだ。
そしてタヌキを掴まえて、腕に抱えて目を閉じた。
津島はトラックに弾き飛ばされた。
走馬灯というものを噂で聞いたことがあったが、津島は見なかった。
何も、見なかった。
恐怖も痛みも感じなかった。
ただ、ようやくこの人生から解放される、という安堵感に包まれたことだけを覚えている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます