豆を洗う

長月 八夜

豆を洗う、存在

「……小豆洗いよ、それは一体なんなんだ?」

 人里離れた山奥に佇む一軒の古民家。初夏を告げる瑞々しい新緑を、縁側にどっかりと腰を下ろして眺めながらぬらりひょんは問う。

「これですかい? これはえんどう豆でございますよ」

 小豆洗いはショキショキと研いでいた桶の中身を一粒つまみ、掲げ見せた。

「それはわかっとる。貴様は小豆を洗うのが存在意義ではなかったのか」

「ぬらりひょん様、小豆の旬は秋から冬にかけてでございます」

 今は初夏。

 たしかに旬を外れているが――小豆は保存食ではなかったのか。収穫時期は確かに冬かもしれないが、乾燥させた小豆を保管して置けば年中使うことができると記憶していたが間違いだったのだろうか。

「えんどう洗いか」

「今日だけはそうなりやすね」

 ぬらりひょんはため息を一つこぼし、立ち上がり、座敷の奥へと戻っていった。小豆洗いは気にせずに鼻歌を歌いながら、えんどうをショキショキと洗っている。

「ん? 小豆洗い、ぬらりひょん様がなんとも言えない顔で歩いていたのだが何かあったのか?」

 ぬらりひょんと入れ違いにやってきた河童が訊ねる。

「いやぁ、コレを見ただけなんですけどねぇ」

 河童は小豆洗いが指す桶の中身を見て、言葉を失った。

「……そりゃあ、あんな顔にもなるわい」

 それより、と河童は続ける。

「畑のキュウリが片っ端から収穫されてしまっていたんだが、知らんか?」

「キュウリかい? うーん……見てないからよくわからんが」

 河童は頭の皿を撫でながら、

「折角ここまで育ててきたのに、わしのキュウリは何処にいったんだか」

 と、庭に下りながら言った。他に畑を訪れそうな仲間は誰が居ただろうか。

「あぁそうじゃ、豆腐の小僧が薬味を探して畑へ行っていた筈じゃ」

「豆腐のか、ちょっと聞いてみるとするか……ありがとうな」

 河童は再び縁側に上り、座敷を通り抜けて廊下へと向かった。今の時間ならおそらく豆腐小僧は台所に居るだろう。

「小豆……いや、えんどう喰おうか人獲って喰おうか」

 一人残った小豆洗いは、ご機嫌に鼻歌を歌いながらえんどう豆を洗い続けた。


 台所には豆腐小僧とろくろ首、そして二口女の三人が居る。

 それぞれ、ああでもない、こうでもないとなにやら真剣に話し合っているようだ。

「お、居た居た」

 そこへ河童が割り込んで訊ねる。

「みんな、わしのキュウリ――あっ」

 三人が囲んでいる机の真ん中には、トマトにミョウガ、三つ葉とそしてキュウリがざるに乗せられているではないか。

「わしの!」

 突然の大声に、三人は肩をびくりと震わせて河童の顔を見た。当の河童は生き別れた家族に巡り合えたかのように、顔をくしゃくしゃにしながらうっすらと涙まで浮かべている。そして、キュウリに腕を伸ばしたその時。

「痛っ」

 二口女がその手をぴしゃり、とはたく。つまみ食いをいさめる母親のような、とてもスムーズな動きだった。

「いや、わしの……キュウリ……」

 戸惑いが声の大きさに比例し、消え入りそうな呟きを残す河童。豆腐小僧とろくろ首が互いに顔を見合わせてから一呼吸おいて説明を始める。

「河童殿の育てていたキュウリだとは存じていたのですが……、すみません。とても美味しそうに熟していたもので。あの、この豆腐にあう新しい薬味を模索していたんです」

「ほら、もうすぐぬらりひょん様のお誕生日? でしょう? ――誕生日という表現が正しいのかは分からないけれど。まぁ、それでね。小僧ちゃんと二口ちゃんと一緒に、御祝膳を用意できないかしらって」

 長い首をくねらせながらろくろ首が続ける。

「小豆ちゃんには豆ごはんに使うえんどうを厳選してもらって――」

「それでか!」

 合点がいった、といった風に河童は大きな声を出す。

「あっ、静かに! ぬらりひょん様には当日まで秘密ですすめているんだから」

 慌ててそういうろくろ首の隣で、二口女がうんうんと頷いている。

「そういう事なら、一言声をかけてくれればちゃんと分けてやったというのに」

「勝手にすみません」

「まぁよい、その代わり、出来上がった時にはわしにも食べさせてくれ」

 そう言って、河童は台所を後にした。その甲羅に向けて豆腐小僧が「楽しみにしていてください!」と頼もしい声をかける。

 河童は再び庭へと向かう。先程まで小豆洗いがえんどう豆を洗っていた場所に戻ってみたが、もう小豆洗いの姿はなかった。

「おや、もう居ないか」

 仕方がない、と河童はねぐらである敷地内の小川へと帰った。

 それにしても、ぬらりひょん様の誕生日とは知らなかった。妖怪であるわしらに誕生日というのもおかしな話だが、存在を認識された日を便宜上そう表現しているのだろう。

 比較的最近認知されるようになった妖怪たちはともかく、河童のように全国各地で名を変えながらも逸話を残す存在にとって、生まれた日などというのは定められない。

 其の点だけが少し羨ましく感じてしまった。


 ――数日後。ぬらりひょんの誕生日(仮)当日。

 夜明け前から、台所は忙しなく稼働している。かまどには火が入り、鍋はもうもうと湯気をたて、トントンと包丁がリズムと食材を刻んでいた。すでに豆を洗うという大仕事を終えた小豆洗いは、使い終わった食器を洗っていた。

(彼奴、何でも洗えるんじゃな)

 河童は自分にも手伝えることがないか、小豆洗いに聞いてみたが手は足りているという。折角早めに起きてここに来てみた河童はただただぼんやりと働く妖怪たちを眺めていた。

 一段落ついたらしい二口女が、

「河童や、手が空いておるのなら居間に膳の用意をしてきてくれないかい? あかなめが部屋の飾りつけをしてくれている筈だから、膳の場所など教えてもらうと善い」

「おぉ、そうかい。じゃあそちらを手伝いに行くとするよ」

 のたりのたりと廊下を歩き、居間へと向かう。

(そういえば、ぬらりひょん様はどこで寝ているんだったか)

 屋敷の中を早朝から大勢が動き回っていては、騒々しさに寝ていられないだろう。そんな単純なことに今頃気付いたが、気付いたところで河童にはどうすることも出来ない。きっと、誰かしら何らかの策を講じているのだろう。

「あ、河童の旦那」

 居間の障子戸を開くと天井からあかなめが垂れ下がっていた。長い舌を器用に使い、ガーラントを天井全体に張り巡らせている。

「膳を並べてくれと頼まれたんじゃが」

「おお、それはありがたい。其処に積んでいるから、座布団と一緒に並べてくれ」

「これじゃな」

 よいしょ、と数段重なった膳を持ち上げ、運ぶ。等間隔になるように膳を並べ、座布団を揃える。床の間を背にする位置にぬらりひょん様を、その正面に向かい合わせに二列、この屋敷で共同生活を送る妖怪たちの席を作っていった。

「旦那は几帳面ですねぇ」

「そうかい? 性分なのかもしれねえなぁ。上から見てどうだい、まっすぐ並んでいるか?」

 あかなめはぐるりと居間を見渡す。大きな口の端をきゅう、と上げて「綺麗に並んでいるよ、これならみんなも大喜びだ」と褒めてくれた。褒められるなど何十年ぶりだろう。少しくすぐったい気持ちになる。

「他に手伝えることはあるかい?」

 照れ隠しのせいで少々ぶっきらぼうな口調になってしまい、感じが悪かっただろうかと不安がよぎる。あかなめは気にならなかったようで、少し考えたあとに、

「お陰様でここはもう大丈夫だ、食事の準備を持ってきても大丈夫だと、台所に伝えてきてくれるかい?」

「おう」

 そうして、再び台所へと向かう。先程よりもゆったりとした時間が流れている台所は、いい香りが充満していた。ご馳走の匂い。

 朝からこんなに豪華な食事を摂ることができるのだろうか、と一抹の不安がよぎるが、今更考えても仕方がないことだ。

「居間の準備が整ったよ」

「おぉ、河童。予定よりずっと早く用意が終わったのう。河童のおかげじゃ、礼を言うぞ」

 二口女は大皿に彩り豊かな煮物を盛り付けながら言った。ろくろ首がその後ろでさっと何かを隠す。

「ん?」

 覗き込もうと身を乗り出した途端、

「河童、お前はこっちを手伝ってくれ」

 ぐいっと小豆洗いが体を押した。

「わかったわかった、そんなに押さんでくれ」

 ぬらりひょん様はともかく、わしにまで隠すようなことはあるのだろうかと、もやもやが残るが、流されるままに与えられた仕事をこなす。

 流れに乗るのは得意なのだ。


 居間に食事を運び、全ての膳に小鉢をきれいに並べ終わった。

 部屋の片隅には氷水を張ったたらいが用意されている。中には酒瓶や白湯が入ったやかんが涼しそうに浸かっていた。

「そろそろぬらりひょん様を呼んできましょうか」

 ろくろ首がそう言って首を伸ばす。体を居間においたまま呼びに行くのは失礼に当たらないのか、気になって仕方がない。

 その場にいる他の誰もが注意しないということは、この屋敷では気にすることではないのかもしれない。

「みなさん、もうすぐぬらりひょん様が来られますよ」

 一足……いや、ひと首先に戻ってきたろくろ首がそう告げる。

 ざわついていた部屋の空気が一瞬でピン、と張り詰め、皆が姿勢を正した。

 トントンと足音が近付いて来る。障子に映る影が停止し、一呼吸おいてすうっと障子戸が開いた。

 総大将の姿が見えた瞬間、盛大な拍手が居間に響く。

「なんの集まりだ、これは」

 戸惑っているような、騒がしさに機嫌を悪くしているような、読み取りづらい表情でぬらりひょんが言った。

 この場を代表して、小豆洗いが立ち上がる。

 深々と一礼し、いつもとは違う、低く渋みのある声音で「ご生誕おめでとうございます」と恭しく述べた。

「生誕……?」

 ちらり、と視線を上向きにする。ぬらりひょんが困惑しているという、珍しいものを見ることが出来た。それがいいのか悪いのかは、この後の小豆洗いにかかっているだろう。

「どうやら人間どもがぬらりひょん様の存在を認めたのが今日、この日だと聞きまして。それすなわち、ぬらりひょん様が人の世界に生まれた日。ささやかながら、我々一同でこのような宴の席を設けさせていただきました」

「ほう」

 ぬらりひょんは小豆洗いを見て、ろくろ首を見て、二口女を見た。なんとなくいたたまれなくなり、河童は手元に視線を落とす。緑色の手はいつもと変わらない。

「まぁ、よくわからんが儂を喜ばせようとしてくれておるのは理解できた」

 どかっと威厳たっぷりに座布団へ座り、膳の盃に手をのばすと、すかさずろくろ首がそれに酒を注いだ。

 それを合図に、他の者たちも銘々に盃を満たし始める。

 一通り、皆が満ちたそれを手にしているのを確認して、

「乾杯!」

 と小豆洗いが音頭をとった。

「乾杯!」

 集まった皆がそれに合わせる。くい、とぬらりひょんが盃に口を付けたのを確認してから河童も唇を湿らせた。

 二口女がいつの間にかぬらりひょんの隣に座り、膳の中身について説明をしている。そんなに離れていないのに、声がうまく聞き取れないのは周りが騒がしくなってきたからだろう。

 河童は自身が丹精込めて育てたきゅうりの乗った豆腐を見つめ、これについての説明を聞きたかったなぁと思った。細かく刻んだきゅうりに、おそらく大葉、みょうがなどの香味野菜が混ぜられている。ごま油を使っているのだろうか、香ばしい香りも感じられた。

「ふむ」

 出汁と醤油、それからごま油の風味に爽やかな薬味が負けていない。シャキシャキの食感も、豆腐と対比されている。

 ――うまい。

 丹精込めて育てたきゅうりが、主役の豆腐に引けを取らないような存在感を放つ薬味になっており、もう一口、さらにもう一口と箸が止まらない。

(ぬらりひょん様は)

 料理を、このきゅうりを楽しんでいるのだろうか、と顔を上げて上座を向く。いつの間にか二口女ではなく、豆腐小僧が隣に座っていた。

 豆腐料理について、どうやら説明をしているらしい。小僧は緊張しているのか興奮しているのか、早口で延々と語り続けているが、ぬらりひょんは意に介さず全くのマイペースで箸を動かしていた。

「わかったわかった、豆腐も薬味も旨いと言っとるだろう」

 しばらくマシンガントークを平気な顔で聞き流していたぬらりひょんだが、流石に煩わしくなったようで褒め言葉を口にした。

 それが豆富小僧に向けられたもので、更には世辞だろうとわかっていても河童は自身のきゅうりが褒められたようで嬉しい。

 一気に気分が良くなったので、隣の妖怪と交互に盃を満たしては空けるのを繰り返した。


「うぅ、ん」

 いつの間にか眠っていたらしく、気付けばあたりはしんとしていた。

 静けさに似つかわしくないほど、日は高く上がっている。朝から宴が催されていたので、どれくらい眠ったのかはわからないがまだ昼日中だろう。

 河童が運ぶのを手伝った膳は、綺麗サッパリ消えていた。ほんの少し罪悪感があったが、準備に参加していない妖怪もいたのだから後片付けを手伝っていなくても構わないだろう、と自分に言い聞かせる。

 よいしょ、と立ち上がり、周辺を伺う。ぐいと伸びをして、大きく吐き出したその時。

 ――しょきしょき。

 ――しょきしょき。

 小豆洗いが小豆を洗うときの音が耳に届く。

「ちゃんと小豆を洗っているのか」

 自分でも何を言っているのだろう、と思いつつ、河童は音が聞こえる方向へと向かうことにした。


「なぜ」

 しかし、河原で小豆洗いが軽やかな音を立てて洗っているのは、小豆ではなかった。

「ぬらりひょん様が、朝の豆ご飯を大層気に入ったようでねぇ」

 桶の中には鮮やかな緑色の粒が大量に入っていた。

 数日前に見た光景が、目の前にまた広がっている。

「まぁ、小豆が旬でないのなら、しばらくはえんどう洗いに改名しちゃあどうかい」

「ははは、それもいいもんです」

 小豆洗いはまんざらでもなさそうに、鼻歌を歌いながらえんどう豆をといでいた。

 妖怪の里は、今日も平和だ。

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