#5

 中学二年生の二学期。湊は十石中学校へと転入した。


 祖父からの仕送りは一人暮らしに十分と言えるものではなかったが、生活必需品以外を欲する事が少ない湊には問題なかった。

 至って健康的。ただしその顔には過去に出来た痣や傷が残っていて、クラスメイトとなった生徒達は彼女の事を遠巻きにしていた。

 とは言え湊の方も、その中学校には興味を失くしていた。


 そこに彼がいなかったのだ。


 彼。小学校の修学旅行中に出会った、見えない力を扱う少年。

 その少年を探すため、記憶にある学校名を見つけ転入したのだが、空振りとなった。優という名前を頼りに探せば一つ下の学年に二人いたが、面影はなく違う人物だった。

 せっかくやって来たのに会えないのかと肩を落とした。それでも諦めず小学校の方で情報収集しようと向かった。

 その道中だった。


「……あいつらはまるで分かっていない。俺が力を目覚めさせるのはもうすぐなんだ。そうなれば……くっくっくっ!」


 すれ違う男の子。それは、隣の中学の制服。

 耳に触れたその声に聞き覚えがあった。やや低音な気はしたが、すぐに確信を得た。

 目を輝かせ振り向いて。思わず声をかけようとして。すんでのところで止めた。

 遠ざかる背中。それが着る制服を記憶に刻む。その場はそれだけ。

 そしてすぐに、公衆電話を探した。

 そうするように、アドバイスを貰っていたから。


 翌日。

 湊の現住所の周辺ではおそらく最も寂れたカフェ。そこは、以前住んでいた地域にもあった店とよく似ている。

 そしてまるで過去を再現するように、静かな店内で巨漢は待っていた。


「こんにちはお嬢ちゃん」

「こんにちはヤツメさん。わざわざ来てくれてありがとうございます」


 ヤツメに頭を下げながら対面に座り、促されるまま注文をした。

 ここでも同じ、パフェとオムライス。


「好きな人が見つかったんだってねェ」

「はい。なので、言われていた通り相談に乗って下さい」

「うんうん。お嬢ちゃんがそのまま突撃すると、相手は怖がっちゃいそうだからねェ。恋を成就するための作戦会議をしようかァ」


 引っ越す前。今と同じようにカフェで落ち合った時。ヤツメは湊の過去を彼女の口から聞いた。興味本位だった。ただそれをきっかけに余計、少女の事を気に入るようになった。

 故に湊の想いを叶える手伝いをする。出来るなら、今の彼女が変わらないまま成長してくれるように。

 きっと考えなしに彼女が突撃すれば恋は終わるだろう。それは、湊の方が失望するという形で。

 それだとつまらないと、ヤツメは感じていた。その恋を膨らませた方がもっと面白いものが見られると直感が言っていた。

 だから、少女の道案内をする。もっと自分の想像を超えた方向へと。

 そんな歪みを見るのが好きだからこそ、ヤツメは世界に立っている。




 多々良優。それが、湊が追いかけ続けている少年の名前。

 学校を突き止め。家を突き止め。彼の部屋に何度か入って情報を集めた。

 それでも接触はまだ行わなかった。


「出会いは自然な方がいいからさァ。同じ高校に上がってからでもいいんじゃない?」

「そうですか。じゃあそうします」


 ヤツメは比較的、真っ当に相談に乗った。常識的な判断はあるのだ。ただし本人が常識人という事は決してない。

 湊はそんなヤツメの言う通りにした。時間はいくらでも費やす覚悟があった。幼い頃から今まで、ずっと同じ夢を求め続けているのだ。今更二年足らずなど大した数ではない。

 それから湊は多々良優と出会うため、彼の趣味に沿うように自分を作った。

 もともと容姿は優れている方だったが、手入れをしてこなかったので傷や痣が残っている。髪質もあまり良くはない。仕送りで足りない分は、ヤツメが手配してくれた。


「顔の傷はおじさんのせいでもあるからねェ。知り合いに美容に詳しいのがいるから、いくらでも紹介するよォ」

「ありがとうございます。けど、どうしても優くんに会ったらダメなんですか?」


 湊は少し不満をぶつけるように聞く。彼を思い日々を過ごす内に、欲求は高まっていた。


「そりゃぁ、最初のインパクトって大事だからねェ。いっとう美人さんになってから会った方が、きっと優くんも恋に落ちるよォ」

「そうですか。それなら、遠くから眺めるだけは?」

「あー。それなら変装すれば、別に構わないんじゃないかなァ?」


 ヤツメは翌日にウィッグをくれた。目元を隠す黒い頭髪を再現したもの。

 以降、湊はそのウィッグをつけて多々良優に会いに行った。

 学校を抜けて。彼の通う中学校に。彼がいる教室を。

 じっと眺めた。

 するとある時目が合う。嬉しくて口元が緩んだ。それからは何度も目が合った。

 下校途中の後をつけたりもした。そこで彼が力を使うところをまた目撃する。


「……ショット。よし、あいつら死んだ」


 ぼそぼそと呟く多々良優。視界の先には同年代ぐらいのカップルがいて、和気あいあいとしている二人を見ながら死んだと言っている。

 やっぱり彼には見えないものが見えているのだと、湊は嬉しくなった。早く正面から会いたいという気持ちはより強くなった。

 けれどあまりに通い続けたせいで、中学校の教員に追い返されるようになった。どうにかバレない時間帯を模索している間に、気付けば多々良優は学校に来なくなっていた。

 どうやら停学したらしい。ずっと部屋に引きこもっている。停学期間を終えても彼は出てこなかった。

 そこでふと、もしかしたらこのまま高校にも進学しないのではという不安が襲った。


 それは困る。出会えなくなってしまう。


 だから彼女は、もう何度も侵入した事のある部屋の窓めがけて小石を投げた。きみに会いに来たという合図だった。

 しばらくして多々良優は顔をのぞかせた。そして湊はその場から去った。こうしたら追いかけてきてくれるんじゃないかと考えた。

 だが、そうはならなかった。多々良優は引きこもるばかりだった。

 けれどその日を境に、多々良優は変わったようだった。

 湊は彼の部屋を遠くから眺め、彼が外に出た隙を狙って部屋に侵入した。そうして彼が高校受験に向けて勉強している事を知った。

 その志望校を記憶に刻み付ける。


 それからは、湊も自身の中学に真面目に通うようになった。今までは、多々良優を眺めるためと自分磨きのために学業はそっちのけで、このままでは進学も危うかった。

 とは言え湊は要領がいい。取り組めばすぐに結果を出す。

 そうして、もう何度目か分からないヤツメとの作戦会議。


「お嬢ちゃん、ほんと見違えたねェ」

「優くんは好きになってくれますかね?」

「なるさァ。おじさんが同年代なら、すぐに告白しちゃうねェ」


 確かにその実感は湊にもあった。

 久しぶりに登校した時、男子の目が変わっていたのだ。女子からは整形したと噂されはしたが、手を加えたのはせいぜい皮膚だけ。やはり元々のポテンシャルが高かったのだ。

 お世辞でないおだてに少女は喜び。変わらないでいる人格に巨漢は期待した。

 そんな会議の終わり間際。そろそろ、とヤツメが区切ろうとした時。

 いつも人払いされているカフェに、突然の来客があった。


「ヤツメー。こんなとこまで来て何してるかと思ったら、女と会ってたのかよー。って、体格差ありすぎじゃねっ。東京タワーと東京バナナぐらい差あるぜー?」


 湊と同い年ぐらいの少年だった。少女よりも少し背は高く、中学生にも関わらず髪を金色に染め、耳にいくつものピアスを開けている。


「おや坊ちゃん、追いかけて来たんですかァ?」

「お前、最近しょっちゅういなかったからなー。何してるのかと思ってよー」


 坊ちゃんと呼ばれた少年は、湊を見て瞳を細めた。艶やかな黒髪に手を伸ばして、その顔を見つめる。


「おーおー、可愛いじゃん。オレともヤってみない?」

「ごめんなさい。初めては好きな人って決めてるの」


 湊は間髪入れず自分の意思を伝えた。すると少年の顔は途端に不機嫌色に染まる。その様子をヤツメはくっくと笑った。


「坊ちゃん、実力行使しようとしない方がいいですよォ。このお嬢ちゃん、指を噛み千切っちゃいますからァ」

「ヤツメさん、あの時は目の前に手があったからそうしたんです。鼻の方が近ければそっちに噛みつきますよ」


 修正を求めるズレた湊に、ヤツメはまた笑う。

 巨漢のそんな表情を初めて見たのか、少年はポカンとしながら、はっと鼻を鳴らした。


「ヤツメが気に入るってすげーなぁ。名前なんて言うんだ?」

「来栖湊だよ」

「そうか。湊ね。処女やめたらオレに体売れよなー。何でもやるから」

「ほんと? じゃあ約束だよっ?」


 頬をさわりと撫でて少年は「おうよー」と頷く。それで満足すると、ヤツメに向いた。


「で、もう用は済んでるのか? 頼みたい事があんだよなー」

「あぁ、それで追いかけて来たんですかァ。ええもう済んでますよォ。それじゃあお嬢ちゃん、おじさんはこれで失礼するねェ」

「はい、さようなら。ありがとうございました」


 湊がヤツメに笑顔を見せると、少年はその整った容姿にまた瞳を細める。

 そして忘れていたとばかりに口を開いた。


「そーいや、オレの名前は樋泉慶八な。覚えといてくれよー」


 ひらひらと手を振って、巨漢を引き連れその少年は去っていった。

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