#4
祖父が叔父の紹介を渋ったのは、生活力に欠けているかららしい。
借りている部屋はいつも足の踏み場がなく、そもそも少し前まで働かずに実家で暮らしていた。祖母の容態が悪化したとともに、祖父が無理やり追い出し、知り合いの伝手で仕事を与えた経緯だった。
一応仕事はこなしている。基本的には物静かな性格で、大きな心配はないだろうと託された。
訪ねたアパートは母と暮らしていたものよりも少し狭い。一人暮らし向けだ。
「いらっしゃい湊ちゃん」
迎え入れてくれた叔父は満面の笑顔で招いてくれる。
通された部屋は、事前の情報とはまるで違って、充分に過ごせる空間だった。湊が来ると聞いて急いで掃除したのかもしれない。
「今日から湊ちゃんは僕の家族だからね」
叔父は言ったが、湊は受け入れなかった。
家族は父と母だけ。そう割り切っていたから。
それはきっと、明確な血の繋がりがなかったからだ。
湊は結局、家族という繋がりも証明出来るから信じ込んでいたというわけになる。
「よろしくお願いします叔父さん」
だから湊が叔父に対して、敬語を改める事はなかった。
一線を引いたように。興味を示す事はなく。
捉え方はテレビと大差なかった。一方的に話しかけられるのを、ただただ聞いている。
そうして、他人との二人暮らしが始まった。
湊は率先して家事を行う。最初は自分の事だけをこなしていたが、叔父に料理を作って欲しいとせがまれ、養ってもらっている身だからと引き受けた。
すぐに小学校から中学校に上がる。
セーラー服を着た湊を、叔父は過剰なほどに「可愛い」と褒めたたえた。それは入学式を終えても止まらなかった。
「湊は、美人だねぇ」
呼び方が変わり、執拗に容姿を褒めてくる。
食卓の席が隣になった。風呂場を出ると脱衣所で鉢合わせた。寝ていると頬を撫でられた。
唇めがけて顔を近づけられた時もあった。それはさすがの湊も避けた。
初めてだけは、好きな人と決めていたから。恋とはそういうものらしいから、絶対に譲りはしなかった。
そんな風に変化しながらも平然と過ごし、不満を抱かなかった湊はやはりどこかおかしかった。
むしろ彼女はその生活を普通だと思っていた節がある。
叔父はそもそも他人。家族という認識などない。男が女を求める事はあるだろう。
そんな中でも、父と母は常に胸の中にいた。いや、頭の中の方が正しい。そう考える事で、必死に繋がりを感じようとしていた。
近くにいないからこそ。見えないからこそ。
だから、決して会いに行こうとは考えなかった。もう、本物の二人に価値は見出せなかったのかもしれない。
見えないものが見えるように。いない両親を思った。毎日毎日。辺りを見渡して幻影を探しもした。
当然のように見つからない。するとより、彼を思うようになった。
「優くん、会いたいな……」
見えない力を自在に操れる彼。彼ならきっと、自分に見えないものを見せてくれる。
日に日に思いは膨らみ。好きを自覚する。
どうにか会えないだろうかとずっと考えた。
でもまだ中学生の彼女に出来る事は多くなかった。
それに、叔父の言いつけで遠くへの外出は禁止されている。
学校が終わったらすぐに。休日はずっと。家に。隣にいてくれと命じられた。
その意味を特に考えもせず聞き入れたのがよくなかったのかもしれない。
中学二年生になり、夏がそろそろやってくるだろう時期だった。
「大切な話があるんだ。聞いてくれないかい?」
なんて事のない日。前日に何かあったわけではないし、翌日にも予定はない。
そんな日を叔父は特別にしようとした。
部屋で隣に座る湊へと、叔父は体ごと向けて打ち明ける。
「あのね、湊。きみにはいつか言わなきゃと思ってたんだけどさ」
父の三つ下。顔にはいくつも皺が出来、頭髪に白色が混じるその男は、照れくさそうに視線をさまよわせながら、ついに意を決する。
「僕ね。きみの事が好きなんだ」
ニッコリと。
告げれば必ず報われると思い込んだ表情だった。
「ごめんなさい叔父さん。私好きな人がいるんです」
当然のごとく湊がそう切り捨てた途端。
——ドンッ。
湊は突き飛ばされた。不意の事で反応出来ず、後頭部を打った。
仰向けから起き上がろうとすると、叔父が体に跨り覆いかぶさる。
逆光の中で叔父は顔を迫らせた。
「何で断るの? だって僕らずっと一緒に暮らしていたじゃない? その好きな人って実は僕の事だろう? じゃなきゃ一緒に暮らしたりしないッ。おかしいじゃないか。ねえ? おかしくないかな? 湊っ!」
「一緒に暮らしているのはおじいちゃんにそう言われたからで、何もおかしくないですよ叔父さん」
「湊ッ‼」
冷静に応えると、部屋が震えるほどの怒声が放たれた。叔父がそんな声を出せるのだと初めて知った。
しかし、湊はビクリともしなかった。
ただただまっすぐに、テレビを見るように、歪む瞳を見返した。
「動けないからどいてください叔父さん」
無論、叔父は聞く耳なんて持たなかった。
「知ってるかい? 男と女が一緒に住むのは同棲って言って、結婚前のカップルがする事なんだ。僕達はそれなんだよ。だから君は僕を愛していないとおかしい。だって僕はきみを愛しているから。もしかして照れ隠しかい? 確かに今まで気持ちをハッキリとさせなかったものね。そうか、もう一年以上もきみと過ごしているんだもんね。それなのに進展しようとしなかったのが悪いんだね。ごめんね、僕も経験不足でさ。関係が壊れるんじゃないかって怖かったんだ。でもそうだよね、もう同棲しているならそんなこと気にする意味もないよね。ごめん、今からするから」
叔父はまくし立てて、右手で湊の右腕を掴み身動きを封じた。
そして顔を近づける。以前失敗した事を行おうと、唇を尖らせた。
今度は避けられないようにと、湊の顔を固定するため左手を伸ばす。
だから湊は噛み切った。
——がちんっ。
叔父の小指を第一関節から。
「ぅぁあアアアアアアア——ッ!?」
湊が顔を横に振ると、ブヂリと残っていた皮がちぎれる。顔に赤い液体が散った。
叔父は強烈な痛みを握り締めてのけぞる。それから床を転げ回った。
その隙に立ち上がった湊は、ぷっと口の中のものを吐き捨てる。
「ごめんねお母さん。私も暴力しちゃった」
湊は見えない母親に謝りながら、叔父と暮らした部屋を飛び出した。
このまま叔父が一緒にいるのは邪魔だな。
湊は街の中を歩きながらそう考えて、とりあえず祖父に連絡しようと思いつく。
ただ、突然飛び出したのでお金はない。もちろん携帯もない。アパートに戻れば、まだ叔父がいる。
だから彼女は祖父の家を目指した。道はうろ覚えで丸二日かかった。
「ごめんなさいおじいちゃん。何か食べさせて」
辿り着いて真っ先に訴えたのは空腹だった。
生きるために活力を満たして、落ち着いてから、叔父の事を報告した。
祖父は顔を赤くして叔父のアパートへと向かった。戻って来た時は真っ青だった。
「……湊、あの小指はお前がやったのか?」
「うん、どいてくれなかったから。ごめんなさい、暴力振るっちゃって」
悪戯がバレてしまったように湊は謝る。
そのズレた言動に祖父は、孫への恐怖を確信した。
それから叔父はすぐに捕まった。彼の携帯電話やパソコンの中からは湊の盗撮写真が山のように出てきてあっさりと有罪になった。小指は正当防衛で認められた。
その後は祖父の家にお世話になる事となった。
祖父は祖母の事もあり、面倒を見切れないかもしれないと断りを入れたが、湊にそう言った心配は必要なかった。
彼女は一人でも生きられた。お金さえあればどうにかなった。最悪、お金も自分でどうにかしていたかもしれない。
祖父はそんな快活な孫に怯える仕草を見せるようになる。
それも仕方ない。孫の周りで起きた大半の出来事を知る祖父にとっては、まるで彼女のせいで周囲がどん底へ落ちたように見えただろうから。
ならば次は自分の番。と考えるのは道理。
だから祖父は遠ざけたかったのだ。
「湊が一人暮らしをしたいなら、仕送りするぞ」
どこか震えた声で提案する。すると湊は即座に食いついた。
「いいの!? どこでもいい!?」
「あ、ああ。どこでもいいぞ」
珍しくはしゃぐ孫を不気味に思いながら、受け入れられた事に安堵する。
「じゃあ、調べて来るから少し待ってて!」
湊には明確に、新たな住居の候補があった。けれどそれにはまだ情報が足りなかった。
だから彼女は急いで自室に戻って、二年前に貰ったメモ用紙を取り出した。
「久しぶりだねェ。背ェ伸びたんじゃない?」
つばの広い帽子を被った巨漢——ヤツメは、湊の顔を見て優しく笑った。
「お久しぶりですヤツメさん。二年で一五㎝ぐらい伸びました」
「成長期だねェ。今日はおじさんが奢るから好きに頼むと良いよォ」
ヤツメに連絡し、集合場所として指定されたのは、寂れたカフェだった。
ヤツメの方が早くやって来ていて、テーブル席に座っていた。その対面に座る。二人以外は誰もおらず音楽すら流れていないから、まるで閉店後の店内だった。
とは言えちゃんと営業しているようで、ヤツメが店員を呼ぶと、やけに背筋がピンとした老人が注文を取りに来る。
ヤツメはパフェを。湊はオムライスを注文した。
「それで、もう体を売る気になっちゃったのかねェ?」
「いえ、今回はちょっとした事をお願いしたくて」
「あー、そんな事も言ったねェ。いいよいいよォ。何かなァ?」
ヤツメが促すと、丁度湊の頼んだオムライスがやってくる。その出来栄えを特に確認もせずスプーンを突き立てて湊は言った。
「十石小学校って言うのがどこにあるか調べて欲しいんです」
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