#2
小学校六年生の修学旅行。行先は奈良と京都だった。
その時の母は多少お金に余裕があった。嬉しそうにお札を眺めては、「今までが馬鹿みたい」と笑っていたのを覚えている。出所は分からなかったが、結果的に費用は払えて貰えた。
それだけで、後の湊は最大の感謝をするだろう。それほど、彼との出会いは大きなものだった。
新幹線に乗って、それからバスの中でガイドの話を聞いた。湊は特に興味を持てなかったけれど、勉強はするべきだという強迫観念から、知識だけは頭に詰め込んだ。
当時、彼女に友人はいなかった。貧乏さや家庭の様子などが広まっているのか、ずっと距離を置かれている。もちろん湊が気にする事はなかった。
だからだろう。自由行動の時間は班で行動するべきなのに、彼女だけが置いて行かれた。トイレに行っている隙に皆いなくなっていた。
それも別に何とも思わなかった。むしろ一人で自由に行動出来る方がありがたいと感じたくらいだ。
暇だからとりあえず辺りを散策してみようと、行き当たりばったりに歩く。
そして出会った。
鹿がたくさんいる公園。
そこで、湊と同い年ぐらいの少年少女の集団を見つけた。
「見てろよー。俺が今から念力を使って、鹿を呼び寄せてやるよ!」
「絶対無理だってー」「また始まったー」
一人の少年の周りを、数人が囲って笑い合っている。
楽しそうな男の子だと思った。最初は、湊のクラスにもいる少し声の大きい男子とそう変わらないなとも。
けれど、彼はそんな有象無象とはまるで違った。
少なくとも湊の目にはそう映った。
「来ーいっ!」
集団から少し離れた場所で、少年が大きく叫びながら右腕を掲げる。
すると途端に鹿がゾロゾロと寄って来た。
遠くへと移動したために小学生達は気づいていなかったが、少年は右腕を掲げると同時に、周辺に鹿の餌を巻いていた。それだけでなく大きな声を出した事も理由だっただろう。とはいえ、偶然の面も大きい。
とにかく、彼が言う念力を使ったわけではないのは確かだった。
けれど、幼い子供にその理屈を理解する事は難しかった。他の子ども達が真似して声を上げても寄ってこないものだから、余計少年はもてはやされた。
「すごいねっ!」
気づけば湊は、目を輝かせてその少年の下に駆け寄っていた。
少年は最初驚いた様子で身を引いたが、自分の力を認めてくれる人間だと知ると、途端に得意げになって鼻の下をこすった。
「へへ、すごいだろー」
「うん、すごいすごい! ねえ、もう一回見せて!」
と、迫る湊に少年は少し困った顔だった。
少年はその歳にしては賢い方だった。自分の力は細工ありきの運に頼った見世物だとちゃんと把握していた。自分でも上手く行った事に驚いたくらいだ。
それでも、自分の中に力が秘められている事は信じていた。
そんな少年は、求められたなら応えるべきだと考えて、湊のお願いに頷こうとした。だがその直前に、彼を呼ぶ声が止めた。
「優くーんっ! 集まるってーっ!」
「おーうっ! ごめんっ、俺もう行かないといけないっ」
返事を投げて、慌てたように湊へと振り返る。
「そっかぁ……。じゃあまた見せてねっ」
「お、おう! また会えたらな!」
修学旅行先でたまたま出会った男の子。再会を約束したところで、果たされる可能性は限りなく低い。それは、湊も承知だった。
去っていく少年を湊は手を振って見送った。
「優くん、か……」
聞き取れた名前をうっとりしたように呟く。
そこでふと思いつき、見えなくなった少年を追いかけ始めた。
彼がいたのは駐車場だった。丁度大型のバスに乗るところで、あと少し遅ければ、その顔をもう一度見る事は叶わなかっただろう。
どうやら彼も、湊と同じ修学旅行生だったらしい。バスの運転手席辺りには、≪十石小学校様≫という張り紙があった。
それが、少年の通う小学校。その名前を忘れないようにと頭に刻み付け、再会を夢見た。
その後、発進するバスを追いかけようとしたのだが、湊を探しに来た引率の先生に見つかって連れ戻される。どうやら集合時間をとっくに過ぎていたらしい。
教師に注意を受けたのは湊だけだった。彼女を置いて消えた班員は、湊の方からいなくなったと証言したようで、クラスメイト達の見る目はどんどんと冷たくなっていく。
反して、彼女の胸はずっと熱かった。
同い年で、見えない力を自由に扱える男の子がいる。
その存在が、未来を照らしてくれた気がしたのだ。
それから湊は、常に彼の事を考えるようになっていた。
一人の異性の事を想い続ける状態を恋と呼ぶらしい。修学旅行の宿泊先で、同室の女子達がそう語っていた。
だから、湊は優という少年に恋をしたのだと確信した。
また会う約束を果たさないと、と誓う。
次の日。集団行動中に抜け出して彼を探したが、見つかりはしなかった。すぐに教師に見つかって、「またか」と呆れられた。
結局、約束は果たせないまま旅行は終わり、帰りのバスに乗せられた。
不意にバスを降りてでも探す選択肢が浮かんだが、そうなれば母の下に帰る手段がなくなってしまうためさすがに諦めた。
けれどいつか必ず、とバスの中で窓の外を眺めながら、彼女は異郷の地を去った。
そうして帰宅すると、母が娘の顔を見て破顔した。
「湊、帰ったのね」
「ただいまお母さん。あのねっ、私好きな人が出来たのっ」
無邪気に土産話を始めようとしたが、その口は微笑む母親に止められた。
「そうなのね。でもお話はあとで聞くわ。それよりも湊に頼みたい事があるの。湊はお母さんの事大好きだから、何でも言う事を聞いてくれるわよね?」
「うん、聞くよ。だって私、お母さんの娘だもん」
自慢げに言って見せれば、母はまた笑ってくれた。それが嬉しくて、湊も笑った。
それから湊は、闇へと連れ込まれた。
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