第11話「teach」

「多々良、助かったよ」

「な、何がですか……?」


 日本史の授業が終わると、教科担当の志島が歩み寄って来た。馴れ馴れしく猫背を叩かれ、優は困惑で眉を顰める。


「何って、来栖の件に決まってるだろ? 最近はちゃんと授業に出てるって他の先生方も感謝してたぞー」


 どうやらこの担任教師はスキンシップの力加減を知らないらしい。バシバシ、と音に合わせて優の右肩が徐々に下がっている。

 不快感は募るが、グッと堪える。愛想笑いだ。

 しかし会話はまだ終わらず、挙句肩に腕を回された。


「ところで、お前達は付き合ってどれくらいになるんだ?」


 近づく顔はひどく楽しそう。この際に親しくなろうとでもしているのだろう。

 対して優は、戸惑った表情に疲れを足しながら、事実に根本的な違いがあると首を横に振った。


「だから、そういう関係じゃないので……」

「おお? 隠さんでもいいだろー。というかいつも、あんなに見せびらかしてるんだし、今更じゃないかぁ?」


 冗談にツッコミを入れるみたく、またバシッ、と右肩を叩かれる。あわや声が漏れ出そうになるもどうにか食いしばって体裁を整えた。


 ……早くどっか行ってくれ。


 心の中では怨嗟が生じ始めていたが、肩に絡まる腕はどけられない。


「いやぁ、来栖は美人だし、羨ましいもんだ! オレがお前ぐらいの時はろくに彼女出来なかったぞー。まあオレの娘が世界一可愛いんだがな! がははは!」

「あ、あはは、そうですか」


 うるせぇ、と内心では悪態をつきつつ、表面は笑顔を装う。もちろんその頬は引きつっていた。

 その時、


「優くーんっ」


 まさに、話題に上がっていた美少女、来栖湊が教室にやって来た。ただ、休憩時間になれば毎度来るので偶然とは言い切れないが。

 最近は志島の言う通り、授業を終えてから来るらしく少しの時差がある。志島もその隙を狙ったのだろう。

 彼女の登場に、志島は再度バシッと優の背中を叩き、密着していた体を離した。


「よしっ、オレは邪魔だな。それじゃ、二人とも仲良くするんだぞーっ」


 優にだけ含みのある笑みを見せ、機嫌よく去っていく。散々叩かれた挙句、勘違いを解消しなかったその教師に、優は密かに恨みの視線を送った。

 そんな様子を、来栖湊は不思議そうに眺めている。


「先生と仲良かったの?」

「ち、違うっ。勝手に絡んできたんだ。教師と仲良くなるもんかっ」


 余計な誤解が生まれるのを恐れ、過剰な文句を吐き捨てる。

 それから余った怒りをぶつけるように、優は「ショット」と志島の背中に向けて銃弾を放った。

 その体は、今までのように鮮やかに散る。

 想像上の光景に満足する横顔を、来栖湊は嬉しそうに眺めていた。




「……ショット」


 廊下の先に見えた日本史教師。そこへ向けられた力は、しかし何も像を結ばない。


「なんか言ったかー?」

「何でもない」


 現在は化学室へと移動している際中。教材を抱え、いくつかのグループが転々と同じ方向に向かっている。

 隣を歩く樋泉の問いに短く応えた優は、自分の足元を見つめた。

 自分の力は妄想だ。それでも、好不調はあった。

 いわば乗り気かそうじゃないか。自分自身に酔えるかどうか。

 来栖湊と一緒にいる時は自然と強い己を演じられる。けれど一人になった途端、自分が本当に立つべき位置が分からなくなった。

 いや、正しいのがどちらかは分かり切っている事だ。異能力なんて自分にはない。

 それでも、求められているから取り繕ってしまう。どっちつかずな中途半端。


 ……格好悪い。


 最近の優は、ふとすればすぐに暗く落ち込んだ。

 対して横に並ぶ樋泉は、まるで関係なく陽気な声を上げている。


「やっぱさー、こう、服従させるのが良いんだよなー。立場を分からせる的な? こっちにはまるで気がないけど、それを無理やり、ってな。そう言うのが一番そそるんだよ。多々良もそう思わね?」

「……ああそうだな」

「思うのかよ!? お前そういう奴だったのかー。人は見た目じゃねぇなー」


 否定されるとばかり思っていたのに頷かれ、樋泉は遠い目で感心している。そんな様子も優は気づいていない。

 心ここに在らずなのは自称友人の目にもさすがに映ったのか、陽気な声音が少し変わる。


「てかよー。悩み事あんなら、彼女に打ち明ければいいじゃんか」


 今度は内容を聞き取れたらしい。優は顔を上げて樋泉を睨む。


「だから彼女じゃないって、」

「好きじゃねーの?」

「っ」


 言葉を食われ、優は喉を詰まらせる。突然真実を明確にされようとして、心の扉がギシリと強張った。

 明らかに動揺する様に、質問者は呆れて息を吐く。


「恋人になっちまえばやりたい放題だぜー? あんな事はもちろん、あんな事まで! おっと、あんな事しか頭にないのかって? そりゃあ男ならそうだろうよ!」


 後半の冗談はスルーする。けれど頭の中では、突きつけられた問いを反芻していた。


 ……好きかどうか。


 浮かぶ顔。とても綺麗で、好みなのは間違いない。一緒にいる時間も心地良い。相手からも好意のようなものを感じる。樋泉の言うような≪あんな事≫と言うのを想像した事だってもちろんある。

 答えはハッキリとしている。けれどそれを、言葉として出すには妙な抵抗があった。

 要は怖いのだろう。結局まだ、優は彼女の事についてよく知らない。踏み越えた線の先が、想像していたものとはまるで別物なのではないかと躊躇している。

 そんな意気地のない思考を渦巻かせているのをなんとなく悟って、面倒くさくなった樋泉は多少の真剣味も捨て去った。


「早く告っちまえよー。そんでヤれよぉー。溜まってるもん出したらすっきりするぜぇ? おっとこれは下ネタじゃないんだが、まあ下ネタでも一緒か!」


 ゲラゲラと笑うその声に、不思議と不快感はなかった。


 ……このままではいけないのだろうな。


 分かり切っていた事を、今更ようやく改めて思い知る。

 その日の授業は何一つ、頭に入ってこなかった。

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