薔薇のように赤いドレスで
■ ■ ■
二人共ステージに上がると、照明の明かりの熱を肌で感じる。
衣装が変わった私達を見て、観客席が少し騒つく。ブーイングはないので、恐らく良い意味だろう。
薔薇のような真っ赤なドレスの女と、ブラックスーツの男——カルメンとドン・ホセだと、クラシック好きならわかる人もいるだろう。
譜面台に楽譜を置いてから私は、観客を正面に向き直った。
ひらりと、ドレスの赤い裾が靡く。アシンメトリーのローズレースが飛躍するような味を出してくれた。
楽器を持っていない右手でドレスを摘み上げ、一礼。まるで自己紹介をするお姫様のように。
上品な足取りで私は
突然のことで緊張しながらも、彼は私の手を受け取った。リハーサルで行っていないことなので、その反応は致し方ないだろう。
その手をギュッと握り締め、エスコートした先は、観客席に最も近いステージの前方。
彼は胸元に右手を添え、会釈した。王子様のような挨拶に、胸が高鳴る。
ドン・ホセの自己紹介。この時、ホセの胸ポケットにはなにもない。
舞台でも始めるかのように、私は右手を大袈裟に差し出した。
——カルメンは、一向に興味を示さないホセを誘っているのだ。
だが、彼は首を横に振った。ただ関心のない顔で、頑なにカルメンの手を拒む。何度誘おうとも結果は変わらない。
カルメンは面白くなかった。ダンスや歌で男達を魅了してきた彼女にとっては。
だから、彼を突き放すように左肩を持って、突き放す。
その際に、私は左肩に乗っていた黒いハンカチを取ると、胸ポケットに入っている黄色い花が姿を見せた。
——カルメンは、アカシアの花をホセに投げつけたように。
黄色い花が出てきた一瞬だけ「お」という短いざわめき声が、ポツリポツリと聞こえた。
んんんんん……反応が薄い。
予想より少ない反応で、肩を落とす。即席で考えた演出なんて、こんなもんか。
アカシアの花を投げつけたシーンをイメージした演出なのだが、あまり理解してもらえなかったようだ。がっかりはするが、引きずるわけにはいかない。
フラれたと悔しがるような演技をしながら、私は先に譜面台のある位置へと戻った。こっそりと黒いハンカチを譜面台に掛けて、隠す。
きっとカルメンに悲しみはない。自由の象徴ともいえるカルメンならメソメソ泣かずに、自分の道を歩いていくだろうから。
お客様の反応に困り顔を見せた私を笑うように、
そして、胸元にある黄色い花を大事そうに手を添える。彼も演奏する位置に戻った。
——実はホセはカルメンに惚れていた。拾い上げたその黄色い花を、ずっと持っていたのだから。
これら全て即興の演技。少しでもカルメンの世界観に触れてほしくて。その世界には、女と男がいたということを。
この演技がステージに入る前に言ったお願いごと。
本番直前で合わせてくれた
「ありがとう」小さな声で彼に感謝の言葉を送り、私はゆっくりと楽器を構える。それに合わせて彼も構えた。
カルメン幻想曲の冒頭——
Allegro moderato(アレグロ・モデラート)、アレグロとモデラートの中間の速さから始まる。
最初の旋律は
その心を更に掻き乱すように、私は途中から同じメロディを低い音で添えた。
さあ、私と一緒に踊ってよ。歌ってよ。きっと楽しくなるわ。
まだこの手を取らないの?
それなら——
メロディの音域が低く、不穏な空気へと一転。
私のソロだ。
彼は伴奏に徹する。
その間、カルメンがホセに熱い視線を向けるように、私は彼を見つめる。もっと熱く、溶けてしまいそうな程熱く!
私は何度も目で語りかけると、彼はそれに応えるかのようにニッと笑った。
メロディを支えるように、彼は伴奏を演奏する。
そして、テンポがModerato(モデラート)になり、一気に明るい雰囲気に変わった。
軽く、優美にという指示に合わせ、長く続く連符、16分音符に指がもつれそうにならないように、ぐっと堪える。
意識に意識を重ね、テンポが速くなってしまう前に湊くんを見遣る。
彼の指、彼の体の動きを見て、伴奏に合わせた。次第に強く音を鳴らし、なかなか答えを出さない彼を急かすように追い立てていく。
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