他人の家の匂い
■ ■ ■
彼と同じシャンプーの香りが鼻を刺激する。同じ物を使ったという事実に照れるなと思いながら、ドライヤーで髪を乾かした。
鏡と対面し、
「服装チェックをしまーす」
キリッと顔を引き締めてみる。
花柄のロングガウンのルームウェア。
ゆったりしたタイプのルームウェアだから体のラインは出ないし、教育上問題はないだろう。体を動かしてみて、目の毒になるような箇所がないかチェックする。
「よーし。問題なーし」
最後に、後から入る福岡くんが嫌な気持ちにならないように、脱衣所を使う前よりも綺麗にしておく。落ちた長い髪の毛は全て拾ってゴミ箱へ。
私が寝る部屋に来て、一つ問題が起きた。それは——
「寝る場所は、別々の方がいいですよね」
「そだね!」
私は動揺して、早口になる。
私が寝る部屋は洋室で、床がフローリングだからベッドかと思っていた。しかし、ベッドは置いておらず、クローゼットの中には複数の布団が収納されている。いろんな人が泊まりに来たりするのかな。
「じゃ、またなにかあったら言ってください。向こうの部屋にいるんで」
それだけを言うと、彼はあっという間にいなくなった。
「あ、はい」
ガチャンと閉まったドアの前で立ち尽くす。
ポツンと、部屋に取り残された。
まあ、特に意識してたわけじゃないけども。仮にも同じ家に男女がいるんだぞ。
いやいや待て待て。なにを思ってるんだ。私は三十三歳。相手は高校生。なにかあるわけがない。そもそもあったらダメ。そう、ダメ。絶対、ダメ。
「
首を傾げながらも、機械的に電灯のスイッチをオフにして、布団を捲り、入る。
「……」
カチカチカチカチ
壁に掛かっている丸い時計。
その秒針の音が耳に入る。
カチカチカチカチ
妙に音がよく聴こえる。睡眠を邪魔するように意識が向いてしまう。
確かに布団に入った。入ったんだけれども。
「寝れないニャー」
目が冴えている。もうギンギンですとも。遠足前日の子供のような気持ち。
環境が変わると寝られないタイプだったのを思い出した。
私だけかもしれないけど、寝室の部屋って独特な匂いがする。特にお香とか匂いが出るものは置いていないのに、その部屋にいるだけで眠たくなる。
でも寝る場所が変わると、慣れない匂いで眠たくならない。むしろ交感神経が刺激されて、目が冴える気がするのだが、勘違いだろうか。
せめて抱き枕が欲しい。落ち着かないな。
「寂しい……」
冷たい敷布団に夏布団。
僅かな月明かりに照らされる天井。その色使いがどこか儚げに見えて、センチメンタルな気持ちになる。
「……寂しい」
しんみりと考えたらダメだ。やめよう。違うことを考えよう。
例えばコンサート。楽器は貸してもらえる。
でも、ピアノ伴奏はどうしよう。
楽器を決めた後、いろいろと福岡くんと話はしたんだけど、
「ダメダメダメダメ。また
ダメ。もうダメだって。いくら寂しいからって、飢えた猛獣みたいに高校生のことを考えるなんて犯罪みたいでダメよ。
溜息を長く吐く。
「寂しくない、寂しくない」
ギュッと目を閉じる。
羊なんて数えても眠れないから、心を無にしよう。無に……無……む……。
「よし、トイレに行こう」
むくりと上半身を起こした。こういう時は無理に寝ようとしても眠れないので、寝る事を諦めた。
音を立てずにドアを引き、廊下に出る。
抜き足差し足でトイレに向かっていると、リビングダイニングの方から物音がした。
「
真っ暗なリビングダイニングに入ると、奥にある和室の引き込み戸の隙間から電灯の光が漏れていた。まだ彼は眠ってはいないようだ。
私も若い頃は夜遅くまで起きていた。漫画を読んだり、友達と連絡をとっていたり。
高校生っぽい彼が頭に思い浮かぶと、口元が綻ぶ。彼の邪魔をしないように、トイレに直行しよう。
音を立てないように、リビングダイニングのドアを閉めた。
用を済ませて戻ってくる。
もう
眠らなくて大丈夫かな。
そう心配しながらも、部屋に戻ろうと踵を返した時、
「んー……どうするかな」
彼の声が微かに聞こえた。
悩んでる?
遊んでいるわけではない?
もしかして、コンサートに向けて考えてる?
そう思うと、私だけのうのうと眠っても良いものなのだろうか。それは違う気がする。
私は躊躇いながら、
恐る恐るノックした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます