ごめんなさい
■ ■ ■
警察という言葉を聞いた母親は、逃げるようにすぐに帰った。
残された私達は、どっと疲れたようにソファに座り込んだ。表情は曇ったまま、重い沈黙が流れる。
「どうぞ」
ずっと私達の様子を気に掛けてくれていた先生達が、コーヒーを出してくれた。
お礼を言って、グラスを受け取ると、カランと氷の音がした。
曇りのない透明なグラス。それに口を近づけると、鼻を掠める珈琲豆の香り。
私は一気にそれを喉奥に押し込むと、冷たいコーヒーが体の中に流れていくのを感じた。
思った以上に、
溜息と一緒に、グラスを置く。
「大丈夫ですか?」
ハンカチで傷を押さえていると、若い女性の先生が絆創膏を持って、声を掛けてくれた。そして、そのまま目元の傷にそれを貼ってくれる。
「あ、いえ、はい。大丈夫です。血はもう止まりそうですし」
「たまに、ああいう親っているんですよね。子供を第一に考えすぎて、ストレスを溜め込んで。終いに学校でストレス発散をするんですよ」
「こんなことが毎日あったら大変ですね。先生って凄いなぁ」
腰を低くし、責める言葉も態度もなく、ただ私を心配してくれた。迷惑をかけた筈なのに。
申し訳ないという気持ちに、目頭が熱くなる。何度も唇を固く閉じて、喉元まで上ってきたそれを飲み込む。
「私のせいで、本当に……」
ごめんなさいと言葉を紡ごうとしたら、喉の奥が痛くなる。我慢する涙がじわりと滲んだ。
すると、深々と頭を下げた教頭が、重たい口を開いた。
「お忙しいところ、急にお呼び立てしてしまい、申し訳ありませんでした。
「いえ、大丈夫です」
本当はもっと言いたいことがあるのに口が動かない。
私の様子を見た
「
「
「
教頭は微笑んだ。が、
しかし、と言葉を続ける。
「暫くの間、音楽室の貸し出しはやめましょう。演奏会があるとお伺いしてますが、
その声色は柔らかい。だからこそ、余計に学校に迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思った。
穴があれば入りたいところだが、それよりも、
「多大なるご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした……」
テーブルに額を当てるくらい、深々と頭を下げた。迷惑をかけた先生方と目を合わせることがつらかった。申し訳なかった。居た堪れなかった。
そんな私の肩をそっと触れる手。温かい手に顔を上げると、教頭がシワを深くしながら、目を細めた。
「いいえ。
「でも……」
「しほり、教頭先生もそう仰ってるし、ね。とりあえず、暫く練習はやめよう。落ち着いたら、こっちから連絡するよ」
「……わかった」
教頭が許してくれても、私の気持ちは落ち着かない。でも今は身勝手な思いはひとまず置いておこう。
私はトートバッグを持って立ち上がった。
「後日、改めて謝罪をしにお伺いさせていただきます」
「いえいえ、お気になさらず。またあなたのフルートの音を聴かせてくださいね」
「え? あの、お聞かせしたことがありましたか?」
「音楽室は防音している筈ですが、もうあの校舎は古くなっておりますし、完全に音をシャットアウトするわけではないようです。外を歩いていると、遠くから聴こえてくるのですよ」
初めて知った。
「生徒を含め、努力する人の音が聴こえてくると、つい耳を傾けてしまう。『どんな曲を演奏しているのかな? 何回も練習をして頑張ってるな』そう思うと、私も落ち込んではいられないですよね」
負けずに頑張りましょうと、教頭は優しく微笑んだ。
私の音を聴いてくれる人がいたんだ。
「そっか、そうなんだ。私の音楽でも、少しくらいは人の心を動かせるんだ。よかった」
口元だけで呟く。
恥ずかしいような、照れ臭いような。でも胸の奥からじんわりと温かくなる。
教頭の優しい言葉に、込み上げてくるその感情を抑えきれなかった。
頑張ろう。気にかけてくれる人の為に、絶対に演奏会を成功させよう。こんなところで歩みを止めちゃあ駄目だ。
「頑張って、演奏会をやり遂げます。最後まで、絶対に諦めません」
目頭に溜まる涙を指で拭いながら、「ありがとうございます」と何度も頭を下げた。
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